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余命宣告を受けた私の前に黒猫が現れた話

掲載日:2026/06/12

 我がハーベント伯爵家は、とても裕福というわけではないが、貧しいわけでもない。ごくごく平凡な貴族の家だった。だから私、クロレンス・ハーベントも、ごく普通に結婚して、生を全うするのだと信じて疑わなかった。

 それなのに、ある日、医者から自身の余命を聞くなんて、誰が想像したことだろう。



 きっかけはハーベント伯爵邸の温室で、植物の世話をしていた時のこと。私は頭痛持ちで、頭痛にいいと聞けば、茶葉を取寄せて試してみるも、どれも効果はいまいち。ならば、自分で栽培してみようと、本や苗を取寄せていた。

 少しでも痛みが和らげば、両親はもとより、婚約者のヴォルフ・キルステン侯爵令息にも心配をかけないで済むからだ。


 本来ならば、気分のいい日にはデートをしたい。王都の街をヴォルフと一緒にお茶したり、買い物をしたりして楽しみたいのが本音だった。なにせヴォルフは私の初恋の人。

 小さい時から私に優しくて、同い年なのに、お兄様みたいな人だった。といっても、私に兄はいない。ずっとハーベント伯爵家には私しかおらず、婿を取らなくてはいけなかったのだ。

 けれどヴォルフはキルステン侯爵家の長男。爵位が上なのに、婿に来てくれ、とは言えず、ずっと想いを告げられずにいた。

 そんな我が家だったが、五年前に待望の跡取りが生まれたのだ。これで想いを告げられる、と思っていたら、弟が生まれた次の月に、ヴォルフから告白を受けた。

 まさか両想いだったとは知らず、頭痛すら忘れて舞い上がったほどだった。ヴォルフもまた、同じように悩んでいたらしい。キルステン侯爵家に男児はヴォルフしかおらず、このまま想いを断ち切るか、妹に爵位を譲ることまで考えていた、というのだ。

 私もせめて、この頭痛で体調を崩す日を失くしたい。そう思うのは当然のことだった。


 だからあの日も、温室でいつものように取寄せた苗の世話をしていた。本は部屋でも読めるけれど、さすがにハーブのような繊細な植物は、ちゃんと世話をしないとすぐに枯れてしまう。

 私が緑の手の持ち主だったら良かったのだが、どうやら赤の手に近いらしい。我が家お抱えの庭師の協力を得て、なんとか枯らせずに済んでいる有り様だった。


「っ!」


 突然、頭を殴られたかのような痛みに襲われ、私はその場にしゃがみ込んだ。


 大丈夫。大丈夫。落ち着け。こんなのいつもと同じ痛みじゃない。こうして蹲っていれば、自然と治まるわ。そう、自然と……痛みが、引く、はず……。


「お、お嬢様っ!」


 庭師の血相を変えた声が聞こえたような気がした。



 目が覚めると、自分の部屋のベッドの中にいた。どうやら私は、温室で倒れたらしい。今まで酷い頭痛に悩まされていたけれど、意識を失うことはなかった。

 だからだろう。両親も心配になって、お医者様を呼んでくれた。


「これまで頭痛で倒れたことはありましたか?」

「いいえ。痛みが酷い時は、その場で静かにしているか、座る場所がない時は、しゃがんでいました」

「なるほど。酷い痛みは、どのくらいの感覚でありましたか?」


 お医者様が質問をしてくる度に、不安が募っていく。明確に何、と言わない代わりに、次々と質問を投げかけてくるからだ。自分の症状を言っているだけなのだから、正しいも間違いもないのは分かっているはずなのに、なんとも言えない気持ちに苛まれた。


「ふむ。結論からいうと、すぐにどうにかなる、ということはありません」

「そうですか」


 私と近くにいた両親が、胸を撫で下ろした。けれどそれも束の間。お医者様の次の発言に、私たちは再び、心を揺さぶられることになる。


「ですが、用心した方がよろしいかと思います。これまで通りの生活をしていたら、再び倒れることもあるでしょう。それが長く続けば、私も保証はできません」

「保証……」

「では、どうすれば娘は、クロレンスは助かるのでしょうか?」

「断言はできませんが、静かにお過ごしなられれば、もって十年。これまで通りならば、五年でしょうか」


 五年? 十年? 頭が痛いだけで? いや、すでにこの頭痛のせいで、生活に支障が出ているのだから、別におかしいことではないわね。


 いつやってくる頭痛に怯え、交友関係も最小限にしていたからだ。

 ヴォルフとのデートも、それを理由に何度も断っていた。愛想をつかれてもおかしくはないのに、彼は私の体調に配慮をしてくれて、家にやって来てくれる。嬉しい反面、申し訳なさでいっぱいになっていた。

 もう、彼の優しさにいつまでも甘えてはいられない。

 弟が生まれて五年。この頭痛でどれほどヴォルフに迷惑をかけていたか、計り知れない。侯爵夫人にも相応しくない、と何度思ったことか。


 もうそろそろ、いいよね。ヴォルフを解放してあげなくちゃ。


 そう思っていると、使用人からヴォルフの来訪を告げられた。



「えっ、すまないが、もう一度言ってくれないか」


 二人だけになった部屋で、私は静かに想いを告げた。


「婚約を解消してほしいの」

「どうして!? 倒れたから? クロレンスがずっと、頭痛に悩んでいたことは知っているよ。それが理由だったら、受け入れないからね」

「ヴォルフ……」


 でも、こんな私を侯爵夫人にしたら、あなたが大変な思いをするのよ、と言えたらどれだけいいか。そしたらあなたはきっと「気にすることはないよ」と優しく微笑んでくれるのでしょうね。だけど私は、そんな答えも顔もほしくないの。


「ごめんなさい。私ね、好きな人ができたの。だから婚約解消を――……」

「そんな見え透いた嘘を言わないでくれ! 俺がどれだけクロレンスを見て来たか……って、クロレンス? ごめん、大きな声を出したから」

「う、ううん……だい、じょうぶ」


 一度頭に響くと、すぐに治まってくれない頭痛。そんな私にヴォルフは寄り添ってくれるけど、今はそれが心苦しかった。

 どうしたら、あなたを解放してあげることができるのだろうか。思わず涙が出た。それが頭痛から来るものなのか、ヴォルフとの別れを決意した悲しさなのか、もう分からなくなっていた。



 温室で倒れてから一カ月後。ヴォルフが訪ねてきても、私は会うことを拒否し続けた。両親にも事情を言い、婚約解消をしてもらうように動いてもらっているものの、どうやらそちらも難航している様子だった。

 話を聞くと、やはりヴォルフが反対しているのだという。私でなければ嫌なのだといっているとか。自分から婚約解消を言ったのにもかかわらず、私はその言葉に内心、喜んでしまった。

 ここまでやっても、ヴォルフは私を諦めてくれないのだということに。

 けれどそのままにしていいとも思っていなかった。


「どうしましょう」


 私は温室に用意された椅子に座りながら、ふぅ~と息を吐く。あまり脳を使うのも、頭痛の原因だと言われ、なるべくゆったりと過ごすようにしていたが、そうもいってはいられなかった。

 このままでは、婚約解消をすることができないような気がしたからだ。とはいえ、妙案が浮かぶわけもない。

 すると突然、一匹の黒猫が現れ、勢いよくジャンプをしたと思ったら、目の前のテーブルの上に上がったのだ。この温室にいるのは、私と専属メイドのアミリだけ。一度、温室で倒れてから、どこに行くにも付いて来るようになった。

 私がいつ、どこでまた、倒れるのか。両親も心配だし、私も心強かった。そのため、アミリはメイドの割にガタイがよく、鉢植えなど重い物を持ってくれるところも好感が持てた。


「温室の扉は、ちゃんと閉めたはずなんですけどね。どこから入って来たんでしょう」

「アミリ。念のため、確認してきてもらってもいい? もしも、どこかに破けた箇所があったら、大変だから」

「……う~ん。お嬢様から離れるのは」

「大丈夫よ。アミリの足なら、すぐに行って帰って来られるでしょう? それに、いざとなったら、この黒猫ちゃんにアミリを呼びに行ってもらうから」


 ねぇ、と黒猫に向かって呼びかけると、私の言葉を理解したのか、にゃ~んと元気よく鳴いてくれた。その姿にアミリも呆れたのか、感心したのか、「分かりました」と様子を見に行ってくれた。


「さて、君はどこからやってきたの?」


 答えてくれるわけではなかったが、それでも歩み寄って来る黒猫に私は手を伸ばした。頭を撫で、体を持ち上げて、膝の上に降ろす。すると、まるでそこが元々自分の席だと謂わんばかりに、黒猫は体を丸くした。


 随分と人に慣れているのね。飼われていた猫なのかしら。ふふふっ、尻尾が長くて可愛い。


 だけどふと、黒い毛を撫でているとヴォルフの顔が浮かんだ。幼い時、まだ頭痛に悩まされていなかった頃だ。

 あの頃もよくハーベント伯爵家を訪れていたヴォルフは、よく庭園で一緒に遊んでいた。ベンチで休憩をしている時なんか、私の膝に頭を乗せて、よく甘えてくるのだ。いつもは頼りになるお兄様みたいな人だけど、この時ばかりは私の方がお姉さんになったような気分で、嬉しくなったのをよく覚えている。

 ヴォルフの髪もまた、この黒猫と同じ黒だからだろう。そんな昔のことを思い出したのは。

 もう一度、ふふふっと笑うと、黒猫が私の方を見上げた。


「あら、あなたも緑色の目をしているのね。私の好きな人もね、同じ色の瞳をしているの。いつかあの人と同じ瞳の色をしたドレスを着て、パーティーに出たかったんだけど……もう叶わないみたい」


 黒猫は立ち上がり、どうして? と謂わんばかりに首を傾げた。


「だって、私の命は長くて十年って言われたんだもの。これまで通りに暮らしていたら、五年。あの人と共に過ごせる道を選んだら、五年なのよ。彼にそんな重荷を背負わせたくないの」


 そっと頭を撫でると、黒猫はまだ私を見上げている。もっと撫でろ、ということなのかと思って、手を頭に乗せるが、逆に首を振られてしまった。どうやら違うらしい。

 もっと話せ、ということなのかしら。

 なぜだかそんな風に思えた。


「好きな人には、幸せになってもらいたいじゃない? 悲しい顔なんてしてほしくないもの。だからあの人と別れようと思ったんだけど、なかなかうまくいかなくて……どうしたらいいのか、分からないの。嘘をついても、すぐにバレるから、こうして逃げることしかできないんだけど……」

「本当に別れたいの?」

「……分からない」

「好きなのに?」

「一緒にいたいよ……」


 声に出したからか、気持ちが一気に溢れた。それが涙となって外へと出ていく。下を向いていたから、止めることができなかった。

 涙で黒猫を濡らしてはいけない、と顔を背けた瞬間だった。黒猫も察したのか、私の膝から降りていく。こんな私を置いて、去っていたのだろう、と思っていた。


「っ!」


 突然、後ろから抱きしめられた。咄嗟に顔を上げると、さきほどまで私を見上げていた黒猫と同じ、緑色の瞳に息を呑む。


「ヴォルフ……」

「ごめん。勝手に入って」

「えっと……どういうこと? 勝手にって」


 そういえば、あの黒猫はどこに行ったのだろう。あんな短時間で、私の視界からいなくなるなんて、思えない。


「っ! まさか、あの黒猫ちゃんが?」

「うん。クロレンスは猫が好きだから、拒否されないと思って……本当にごめん」

「ということは、全部聞いていたのよね」


 私のヴォルフに対する想いや、別れたくない気持ちを。


「婚約解消の理由を、ハーベント伯爵に聞いても答えてくれないし、クロレンスに会いたくてやって来ても門前払いをくらうしで、俺もどうしていいのか分からなかったんだ」

「だ、だからといって、猫になるなんて……一体、どうやって? 魔法なんて使えたの?」


 幼い頃から共にいたのだ。ヴォルフも私と同じで魔法は使えないはず。


「これは、クロレンスのことで悩んでいた俺に、魔術師の友人が手を貸してくれたんだ。勿論、魔法は使えない。だからもう一度、猫になれって言われてもできないんだ」

「……そこまでして、婚約解消の理由が知りたかったの?」

「当たり前だろ? 俺はクロレンスのことを諦めない。五年前、一度は諦めかけたよ。だけどそんなことはしなくて良かったと思ったんだ。ずっと好きだったんだ。俺の隣にはクロレンスしかいないし、クロレンスの横も誰にも譲るつもりはないから」


 私だって、と言えたら、どれだけ嬉しいか。そう思ったら、また涙が出そうだった。


「緑色のドレス。俺だって着てほしいよ。クロレンスの金色の髪に、よく似合うと思うから。俺はそうだな。同じ色で合わせてもいいし、水色の瞳と同じ色のブローチを付けるのもいいね」

「でも私、いつ頭痛が来るか分からないのよ。そんな大事なドレスを台無しにしたくない」


 悪い思い出のドレスにしたくなくて、ずっと拒んでいた色だった。


「大丈夫。この間は取り乱したけど、クロレンスがなるべく頭痛で苦しまないようにする」

「そ、そんなこと、できないわ。できっこない。だって私はずっと、悩んできたのよ。いくらヴォルフが気にかけてくれたからといっても、これはどうしようもないのよ。私の意思でどうにか……っ!」


 痛い。こんな大事な時に、また痛みが……。


「クロレンス。痛いところ悪いけど、少しだけ顔を後ろに傾けて」


 この痛みから解放してほしくて、私は言われるがまま、顔を上げ、後ろにいるヴォルフへと預けた。するとヴォルフの手が前へと伸び、私のブラウスの首元に、何かを取り付ける。途端、水色の光に包まれ、痛みが引いていくのを感じた。

 あれだけ痛かったのに。


「ヴォルフ、このブローチは何?」

「さっき、魔術師の友人がいるって言っただろう? ずっとクロレンスが頭痛に悩んでいたから、俺もどうにかしてあげたくて、その友人に頼んでいたんだ。本当は、もっといい形で渡したかったんだけど、その頭痛が原因で婚約解消しようとしていたんなら、放っておけなくて。いや、勿論、クロレンスの苦しんでいる姿を見ていたくないからで」


 そのあとも何やらごちゃごちゃと、言い訳を並べていたが、重要なのはそこではない。私のために、ずっと前から考えていてくれていたことが嬉しかったのだ。


「魔法で頭痛が治るのね。凄いわ」

「治ったわけじゃないよ。一時的に痛みを抑えてくれているだけ。それに、こんなに光が強かったら、外出やパーティーにも支障が出るからね。改良してもらわないと」

「えっ、でも作るの大変なんじゃないの? これだけでも凄いのに」


 あれだけ悩んでいた頭痛が、一気に解消されたのだ。ヴォルフの言う通り、不便なところがあるかもしれないが、そんなの関係ない。


「これがあれば、長生きできるんじゃないかしら。頭痛を抑えられれば、脳への負担が減るわけだし。あっ、でも、魔法だから、どうなのかしら」


 魔術師は医者ではないのだ。分野が違うから、判別がつかなかった。

 後日、お医者様に来てもらい、尋ねたところ、私の見解と同じ判断をしてくれた。その席には、勿論、ヴォルフの姿もあり、それはもう私以上に喜んでくれた。

 なにせこれで、婚約を解消する理由がなくなったのだ。とはいえ、ブローチの改良など、まだまだ問題はあるけれど、ヴォルフの傍にいられる。共に生きられると思うと、どれもさほど大きな問題には感じなかった。

 私が緑色のドレスを着られる日も、そう遠くないような気がした。

お読みいただき、ありがとうございます。

優しい物語が書きたくて、猫とか一途なヒーローとか、好きな要素を入れてみました。

頭痛で余命?と思われるかもしれませんが、そこはゆるふわ設定なので、ご了承ください。


良かった、面白かった、と思っていただけましたら、ブックマーク・評価・いいねをよろしくお願いします。


コラージュシールで表紙を作ってみました。

持ち合わせのシールで作成したため、黒猫のサイズとか、少女の髪や服装に違和感があるかもしれません。

あくまでもイメージとして見ていただけると嬉しいです。

挿絵(By みてみん)

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【コミカライズ作品】


ヒロインの弟に迫られています
ヒロインの弟に迫られています~モブでいたいので、溺愛は遠慮します!~
漫画:水月ミキネ先生
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ひたすら優しく穏やかな物語で素敵でした! ほっこりと温かな気持ちになれました!
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