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灰の神託 ―神の席を奪う者たち―  作者: 宮生さん太


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第五章第三話 連れて行かれる理由


 理由は、あとから配られる。


 それが、この戦争のやり方だった。


 朝、名簿が貼り出された。

 白い布に、墨で書かれた名前。整った字。揃った行間。

 美しい名簿は、安心を装う。


 人は集まった。

 集まらずにはいられなかった。


 名を探す指先が、震える。

 自分の名。夫の名。息子の名。

 見つからなければ安堵し、見つかれば世界が狭くなる。


 狭くなった世界の中で、人は理由を探す。


「……なぜ、あの子が」


 母は声を落とした。

 落とした声は、名簿に吸い込まれて消える。


 答えは、すぐに与えられた。


「神意です」


 白い外套の神官が、淡々と言う。

 淡々としているから、疑いにくい。


「適性が確認されました」


 適性。

 どんな適性かは、説明されない。


「守るためです」


 守る。

 誰を、から始まる言葉ではない。


 息子は名簿を見つめていた。

 自分の名が、そこにある。

 あるというだけで、体が軽くなる。選ばれた気がする。


「……行ってくる」


 言葉は、思ったより簡単に出た。


 母は頷いた。

 頷いてしまった。

 否定する言葉を探す前に、頷きが出た。


 否定すれば、正しさに逆らうことになる。

 正しさに逆らうのは、怖い。


 白い布の内側で、若者たちが集められる。

 数は、ちょうどいい。

 多すぎず、少なすぎず。


 兵が、列を整える。

 整えられた列は、もう家族ではない。


 誰かが泣き、誰かが笑った。

 笑いは、緊張を誤魔化す。


「すぐ戻るよ」


 息子は言う。

 戻る、という言葉に、根拠はない。

 だが言葉は、言った者を落ち着かせる。


 母は、息子の背を見送った。

 背は、昨日より大きく見えた。

 それが誇らしくもあり、恐ろしくもあった。


 列が動く。

 動き出した列は、止まらない。


 昼過ぎ、理由が追加された。


「敵が、近くにいます」


 神官は言う。

 その言葉で、村は納得した。


 敵がいるなら、連れて行かれるのも仕方ない。

 敵がいるなら、家が壊れるのも仕方ない。

 敵がいるなら、誰かが死ぬのも──仕方ない。


 理由は、いつも後出しで十分だった。


 夕方、白い布の内側が縮められた。

 安全区域は、都合で変わる。


 柵の外に残された家族は、外へ押し出される。

 押し出す手は、乱暴ではない。

 乱暴でなければ、正しい。


「戻ってください」


 兵は言う。

 戻る場所が、どこかは教えない。


 夜、母は一人で座っていた。

 焚き火は、少し離れた場所にある。

 火に近づきすぎると、咎められる。


 数を数える癖が、また出た。

 一人、二人──。


 合わない。


 合わない数は、不安になる。

 不安は、理由を欲しがる。


「……きっと、守られてる」


 自分に言い聞かせる。

 誰に聞かせるでもなく。


 そのとき、遠くで太鼓が鳴った。

 出立の合図だ。


 音は低く、腹に響く。

 響きは、体を前に動かす。


 母は立ち上がり、柵へ近づいた。

 近づきすぎると、兵が視線を向ける。


 ()()()の視線。


 母は止まった。

 止まることを、選んだ。


 選んだ瞬間、理解した。


 連れて行かれる理由は、強さでも、罪でもない。


 ただ、そこにいたからだ。


 そこにいて、若くて、動けて、数としてちょうどよかった。


 それだけだった。


 母は、空を見上げた。

 星は、昨日と同じ場所にある。


 世界は、まだ壊れていないように見える。

 見えるだけだ。


 理由は、すべて配られ終わった。

 配られなかったのは。

 ──帰ってくる理由だった。


 それを、誰も口にしない。


 口にしなければ、正しいままでいられるからだ。


 夜が深まるにつれ、村は静かになった。

 静かになるほど、音は目立つ。


 遠くで、馬のいななきがした。

 荷車の軋む音が、一定の間隔で続く。

 数を数えるような音だった。


 母は、耳を塞がなかった。

 塞げば、聞こえなくなる。

 聞こえなくなれば、いなかったことになる。


 それだけは、できなかった。


 焚き火のそばで、別の母親が座り込んでいた。

 彼女は、泣いていない。

 泣く前に、乾いてしまった顔だ。


「……うちは、名前、なかった」


 ぽつりと言う。

 誇らしげでも、安堵でもない。


「それでも……」


 言葉が続かない。

 なかったからといって、安全だとは限らない。


 安全は、次の日に更新される。


 母は、自分の手のひらを見つめた。

 土が爪の間に残っている。

 朝まで畑に出るつもりだった証拠だ。


 それが、急に遠い。


 息子の寝床に、まだ温もりが残っている。

 藁の匂い。

 汗の匂い。


 匂いは、理由にならない。

 だが、確かにそこにいた証だった。


 母は、寝床を整えなかった。

 整えれば、戻らないことを認めることになる。


 戸口の外で、兵の足音が止まる。

 一瞬、心臓が跳ねる。


 だが、足音は去っていった。

 それだけで、膝から力が抜ける。


 ──今日は、まだだ。


 そう思った自分に、母は気づく。

 ()()という言葉が、いつの間にか口をついて出る。


 戻る日を数える代わりに、奪われる日を待つようになっている。


 母は、暗闇の中で目を閉じた。


 夜明け前、母は目を覚ました。

 眠ったのかどうかは分からない。

 ただ、目を閉じて、開いた。


 外はまだ暗い。

 それでも、体は朝の準備をしようとする。

 長年の癖が、思考より先に動く。


 竈に火を入れかけて、手が止まった。

 火を使う理由が、思い出せない。


 息子は、もういない。

 朝餉を作る相手がいない。


 それでも火を入れなければ、()()()()が完全に消えてしまう。


 母は、ゆっくりと火を起こした。

 火は静かに燃え、何も答えない。


 外で足音がする。

 誰かが走っている。

 走る音は、急ぎすぎている。


 戸口の隙間から覗くと、隣家の男がいた。

 顔色が悪い。

 夜の間に、何かを聞いた顔だ。


「……戻ってこないって」


 誰のことか、聞かなくても分かる。


()()()()()()()って言われた」


 配置。

 またその言葉だ。


 配置が変われば、場所が変わる。

 場所が変われば、距離ができる。

 距離ができれば、戻れない。


「でも……生きてはいるって」


 ()()()()()という言葉が、なぜか慰めにならなかった。


 生きているだけでいいのは、自分で生き方を選べる場合だけだ。


 母は、頷いた。

 頷くしか、できなかった。


 男が去ったあと、母は座り込んだ。

 膝が笑う。

 笑う膝は、もう立てない合図だ。


 ふと、気づく。

 怒っていない。


 白巫家に。

 神官に。

 兵に。


 怒りは、どこにも向いていない。


 代わりに、何も感じない場所が、胸にできている。


 その空白は、いつか噂で埋まる。

 いつか恐怖で満たされる。

 いつか刃になる。


 母は、まだ知らない。


 だが確かに、この朝から、村は()()()()になった。


 帰りを待つのではない。

 次に奪われる理由を、待つ場所だ。


 祈りは、浮かばなかった。

 神に向ける言葉は、もう使われている。


 代わりに、何度も同じ考えが巡る。


 ──あの子は、悪くなかった。

 ──間違っていなかった。

 ──ただ、そこにいただけだ。


 その事実が、この戦争で一番残酷な理由だと、母はまだ知らない。


 知るのは、もう少し後になる。


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