第一章第四話 情けとしての追放
判定の場は、祈殿の隣にある裁殿だった。
祈殿より天井が低い。低いのに、圧がある。神意を待つ場所ではなく、神意を使う場所だからだ。ここでは沈黙が許されない。沈黙は、誰かの都合で埋められる。
私は白衣を着せられていた。
巫女の白だ。けれど糊は薄く、布は軽い。着慣れた白のはずなのに、今日は借り物みたいに浮いている。借り物の白は、剥がされやすい。
左右に並ぶのは神官たち。
その中央、少し高い座に、判定者がいた。
白巫アキラ。
名を聞いたことはあった。
口にしたことはなかった。白巫家の名を軽々しく口にするのは、不敬に近い。けれど今、彼女は判定者としてここにいて、私は対象としてここにいる。立場がすべてを正当化する。
アキラは若かった。私と同じくらいか、少し上。
顔立ちは端正で、目が冷たいというより、感情の輪郭が薄い。人の顔を見ているのに、人を見ていない目。祈殿の神像に目がないのは、こういう目を人に与えないためだと思っていた。だが今、神像の代わりに座っているのがこの人なら、目がない神像のほうがまだ優しい。
「白巫ミサキ」
アキラが名を呼ぶ。
名が宙に浮き、落ちる。落ちた先で、私はそれを拾えない。
「神意、未受信。器判定、不適」
淡々とした読み上げ。紙の上の言葉。
私は頷く。頷くことで、手続きが進む。
進むことが正しい。
止めるのは傲慢だ。止める者は裁かれる。
──そう教わった。
「異議は?」
形式として問われる。
異議など出せるはずがない。異議は祈りではない。異議は神意の否定だ。
「……ございません」
声は揺れなかった。
揺れない声は、巫女の才能だ。才能があるから、こうしてきれいに処理できる。
神官が一人、立ち上がる。
「以上の理由により、白巫ミサキを巫女籍より除外することを提案いたします」
提案。
提案という言葉は、決定の前置きにすぎない。提案が出る前に決定している。決定していることを、決定するために集まっている。
別の神官が続く。
「追放。所持品没収。居住権剥奪。名簿抹消」
言葉が並ぶたび、私の体が少しずつ軽くなる。
軽くなるのは救われるからではない。削られているからだ。
名簿抹消。
名を消される。
名が消えると、人は器になる。器は所有物になる。所有物は捨てられる。
私は、そこで初めて、息を吸い損ねた。
ほんの一瞬。
誰にも気づかれない程度。
気づかれないように育った。
アキラが私を見た。
目が細まる。哀れみでも怒りでもない。観測の目。
「……白巫ミサキ」
もう一度、名が呼ばれる。
名が呼ばれる回数が増えるほど、私は処理対象として確定していく。
「追放は慈悲です」
アキラは言った。
慈悲、と。
慈悲は、傷の上から貼る白布みたいなものだ。血を止めるためではない。見えないようにするためだ。見えなければ、なかったことにできる。
「器として不適である以上、祈殿に置けば歪みが生じます。歪みは神意を汚す。汚れは民に広がる」
言葉が正しい形で並ぶ。
正しい形で並ぶほど、反論はできない。
でも、胸の奥で小さな針が動く。
歪み。汚れ。広がる。
それらは全部、神の言葉ではない。
白巫家の言葉だ。
私は、口の中でその思考を潰した。
潰す癖がある。潰すのがうまいから、私は巫女になれた。
アキラは続ける。
「あなたを処刑しない。これは白巫家の情けです」
情け。
その言葉が出た瞬間、裁殿の空気がわずかに緩む。神官たちが慈悲深い決定を演じやすくなる。処刑しないというだけで、すべてが優しく見える。
──けれど。
処刑されないということは、
外に放り出されるということだ。
守られない。
名もない。
帰る場所もない。
それを情けと呼ぶのは、あまりにも上手い。
「……神は、間違えません」
アキラが言った。
以前、聞いたのと同じ言葉。
同じなのに、今日は意味が違う。
あの言葉は祈殿では安心だった。
ここでは封鎖だ。
神が間違えないなら、間違えるのは人だ。
人が間違えるなら、切り捨てるべきは人だ。
──私だ。
「よって」
アキラは声を落とさず、上げもせず、一定の温度で告げる。
「白巫ミサキ。巫女籍より除外。王都外縁へ追放。今日限りで白衣を剥奪」
剥奪。
白が奪われる。
私は、頭を下げた。
下げるしかない。下げることで、顔を見せなくて済む。顔を見せなければ、揺らがないふりができる。
神官が二人、近づいてくる。
「所持品を」
私の腰紐、御守り、手帳。
それらは全部、奪われるためにあるように外された。抵抗しないから手早い。抵抗しないから正しい追放になる。
最後に、胸元の小さな巾着を取られた。
巾着の中には、子供の頃から持っている糸があった。
白巫家の儀式で使う糸の切れ端。誰かにもらったわけではない。落ちていたのを拾っただけ。拾うのも本当は不敬だ。けれど私は拾って、ずっと隠してきた。
「これは……」
神官が眉をひそめる。
私は口を開きかけて、やめた。
説明は言い訳になる。言い訳は反抗に似る。反抗は罪だ。
アキラが、巾着を見た。
「……捨てなさい」
捨てる。
それは処分の言葉で、同時に予言だった。
私は頷いた。
頷きながら、胸の奥の冷えが、少しだけ熱に変わった気がした。怒りの熱だ。怒りは禁忌だ。禁忌の熱が、私を生かすのかもしれないという考えが、遅れて浮かぶ。
儀式は終わった。
裁殿の扉が開き、外の光が差し込む。
祈殿の白い光とは違う、ただの昼の光。
神官が私の背に手を添えた。
押すでも、支えるでもない。位置をずらすための手。家具を動かす時の手に似ていた。
私は歩いた。
歩きながら、ふと気づく。
祈殿の鈴が、遠くで鳴っている。
その音が、今日は刺さらない。
刺さらないどころか、薄い。
紙の上の文字みたいに薄い。
息が、深くなる。
胸が広がる。
追放されるのに、呼吸がしやすい。
その事実が、私を一番怖がらせた。
怖いのに、同時に、どこかで笑っている自分がいる。
白巫家の情けとは、
私を殺さないことではない。
私が、ここで息をし始めることを許すことだ。
──そして、その息がいつか白巫家の白を汚すかもしれないことを、彼らは恐れている。
恐れているなら、なぜ追放する?
簡単だ。
内側で壊れるより、外側で死ぬほうが都合がいい。
私は門へ向かう回廊を歩く。
白い壁が続く。白い床が続く。白い天井が続く。
その白の中で、私の白だけが薄い。
薄い白で歩きながら、私は一つだけ確信した。
神意は、降りなかった。
私は、選ばれなかった。
──けれど。
この追放が情けなら、
情けを与えた側は、きっといつか後悔する。
後悔という概念を、彼らはまだ知らない。
知らないまま、正しさの顔で人を捨てる。
私は門の前で立ち止まった。
外の風が、髪を揺らす。
白巫王国の外は、灰色だ。
灰色の空気を吸い込んだ瞬間、
胸の奥の針が、ようやく静かになった。
代わりに、別のものが立ち上がる。
──生きたい。
祈りではなく。
資格でもなく。
ただ、私の意思として。
その意思を持った瞬間から、私はもう巫女ではなかった。




