表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の神託 ―神の席を奪う者たち―  作者: 宮生さん太


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/50

第四章第十話 引き返せない火


 王都の朝は、静かだった。

 静かすぎる朝は、いつも何かを隠している。


 城下の通りでは、いつもより早く店が戸を閉めていた。魚の匂いも、焼き菓子の甘さもない。代わりに、荷車の軋む音と、革袋の擦れる音が増えた。音が増えるのは、物が動いている証拠だ。物が動くのは、人が動かされている証拠でもある。


 「非常時」


 その言葉が、王都に落ちた。

 非常時は便利だ。理由を問わず、命令を通すことができる。非常時なら、普段は許されないことが許される。非常時なら、後で説明すればいいことになる。


 説明は、いつも後だ。


 祈殿の奥で、白巫家の上層が集まっていた。

 香はいつもより濃い。濃い香は、血の匂いを遠ざける。遠ざけられた匂いは、現実感を薄める。


 円卓の中央には、地図が広げられている。

 赤い印。黒い線。白い余白。

 余白が少なくなっている。余白が少ない地図は、選択肢が少ない。


「……ここまで広がるとは」


 誰かが呟いた。

 ()()()という言葉は使われなかった。使えば、間違いを認めることになる。


 アキラは地図を見下ろし、指先で印の縁をなぞった。

 触れているのは紙だ。紙は冷たい。冷たいから、感情が入りにくい。


「現場は混乱しています」


 神官の一人が言う。

 混乱。軽い言葉だ。軽い言葉ほど、重いものを包める。


「神託が間に合わない局面が増えている」


 別の神官が続けた。

 『神託が間に合わない』

 それは、誰もが感じていて、誰も口にしたくなかったことだ。


 アキラは頷かなかった。

 頷けば、認めたことになる。


「神意は、間に合っています」


 そのとき、祈殿奥で鳴るはずの鈴が、わずかに遅れた。

 一拍。

 香の煙が、逆らうように天井へ渦を巻く。

 風は、ないはずだった。

 若い巫女が、ほんの一瞬だけ喉を押さえる。

 それを見た者は、誰もいないことにした。

 誰も顔を上げない。

 だが、全員が聞いた。


 アキラは即座に言葉を重ねる。


「……受け取りの精度を上げなさい」


 見なかったことにする、という判断が、最初の誤算だった。

 神意は正常という前提が、全てを押し切る。


 彼女は静かに言った。

 声は揺れない。揺れない声は、秩序を保つ。


「問題は、受け取る側の解釈です」


 解釈。

 この言葉が出た瞬間、会議の空気が少し軽くなる。解釈は、人のせいにできるからだ。


「前線の理解が追いついていない。

 だから、我々が()()()()を示す必要があります」


 ()()

 示す正しい形ために何をするかは、誰もが分かっていた。


 敵を定義する。

 敵を定義すれば、混乱は()()になる。

 抵抗になれば、鎮圧できる。


「黒鴉家は、観測を理由に神意を相対化している」


 アキラの言葉は、淡々としていた。

 淡々としているほど、断定に聞こえる。


「相対化は否定です。

 否定は、秩序への攻撃です」


「黒鴉家の観測は、神意を人間の尺度に落とし込もうとしている」


 これを言った瞬間、白巫内部の若手が一瞬目を伏せる。


 なぜなら彼らも最近「尺度」で調整しているから。


 つまりアキラは、すでに内部矛盾を抱えている。


 誤算とは、自分たちも同じことをしていると気づいていないこと。


 誰も反論しない。

 反論すれば、自分も()()()()()()になる。


「異端は、外に置く」


 アキラは言った。

 外に置く。

 それは、内側を正しいままにするための決断だ。


 長老が、ゆっくりと息を吐いた。


「……戦争になるぞ」


「すでに、なっています」


 アキラは即答した。

 即答は、覚悟の証だ。


「ただし、これは戦争ではありません。

 神意による是正です」


 是正。

 その言葉が、会議の結論になった。


 王城では、別の論理が動いていた。


 玉座の間は広い。広い空間は、人を小さく見せる。小さく見える人間ほど、決断を急ぐ。


 王は玉座に深く腰掛け、白巫家の代表を見下ろしていた。


 玉座の間は広い。

 広すぎる空間は、声を吸い込む。

 かつて先代が、この椅子で崩れ落ちた日のことを、王は思い出していた。

 神意が揺れた夜だった。


 見下ろす視線は、支配の形だ。だがその視線の奥に、焦りがある。


 王権は揺れている。

 神意が揺れれば、王権も揺れる。

 だから、神意を切ることはできない。


「……つまり、黒鴉家を敵とする、と」


 王は確認するように言った。


「はい」


 神官が答える。

 即答。ためらいのない即答。


「彼らは、神意を乱しました」


 王は一瞬だけ目を閉じた。

 信仰を信じているわけではない。

 だが、信仰が必要なのは分かっている。


「民は、納得するのか」


「神意の名があれば」


 その答えに、王は苦く笑った。


「……便利な言葉だ」


 便利だから、使う。

 使えるものを使わない王は、王ではない。


「動員を許可する」


 王は言った。

 それは宣言ではない。承認だ。


「ただし、我が名は前に出すな。あくまで、神意による是正だ」


 その直後に、王は玉座の肘掛を強く握った。

 爪が白くなるほどに。

 そして。


「……鎮まるのだな?」


 それは確認ではない。

 祈りだった。


 神官が即答する。


「必ず」


 この()()が一番不安。


 王は任せる。

 だが内心では信じていない。


 責任は、神に置く。

 神は、処刑されない。


 王城の高台で、烽火台の準備が進められていた。

 木が積まれ、油が注がれる。


 油が一滴、下へ落ち、火付け役の足元を舐めた。


 火が予定より大きく上がる。


 想定より早く、赤が空を裂いた。


 翠弧がそれを見る。


「……早いな」


 火の立ち上がりが、彼の計算より一刻早い。

 誤差の範囲だ。

 だが誤差が積もれば、賭場は壊れる。


 ここで彼は初めて制御外を感じる。

 誰も完全には操っていない。

 火を上げる準備は、いつも静かだ。


 一方、黒鴉家では、別の沈黙があった。

 観測の間。


 記録板の一枚が、湿気で剥がれ落ちていた。

 誰も拾わない。

 拾えば、それを読まなければならないからだ。


 壁一面に貼られた記録。時刻。角度。音の遅れ。巫女の身体反応。

 どれも、言葉にすれば神意の破綻を示すものだ。


「……出せば、戦争になる」


 若い観測者の声は、わずかに裏返っていた。

 戦争を望まない者ほど、その言葉を恐れる。


「出さなければ、もっと死ぬ」


 年長の観測者が答える。


 沈黙。

 黒鴉家は、戦争を望まない。

 だが、見てしまった者は、知らなかったふりができない。


「白巫家は、すでに決めている」


 当主が言う。


「我々が黙れば、歴史は彼らの言葉で書かれる」


 書かれた歴史は、戻らない。

 戻らないから、誰かが「悪」になる。


「……なら、記録は残す」


 当主は机を叩かなかった。

 叩けば怒りになる。

 怒りは、判断を鈍らせる。


 当主は言った。


 声は低く、硬い。


「戦争を止めるためではない。いつか、終わらせるためだ」


 それが、黒鴉家の覚悟だった。


 その夜、翠弧は城下の高台に立っていた。

 風が強い。強い風は、火をよく育てる。


 彼の懐には、いくつもの情報がある。

 売れば金になる。

 売らなければ、価値は消える。


「……ここか」


 彼は小さく呟いた。

 ここが、賭け時だ。


 どちらに渡すか。

 あるいは、両方に渡すか。

 どちらも正解で、どちらも地獄だ。


 指の関節が白くなる。

 彼はそれを見てから、笑った。

 笑いは、震えを止める道具だ。


 翠弧は笑った。

 笑わなければ、震えが出る。


「一番悪いのは……」


 言葉の続きを、風が攫った。


 そして、火が上がった。


 王都の烽火台で、炎が空を裂いた。

 赤い光が、夜を照らす。


 白巫家はそれを見て思う。

 ──正しい選択だ。


 王族はそれを見て思う。

 ──これで、秩序は保たれる。


 黒鴉家はそれを見て思う。

 ──もう、引き返せない。


 翠弧はそれを見て思う。

 ──値段が、跳ね上がった。


 誰も、間違ったと思っていない。

 だから、火は消えない。


 火は、誰のために焚かれたのか。

 答えを知る者はいない。


 烽火は夜を裂いた。

 だが最初に燃えたのは空ではない。

 互いの「引き返せるはずだった部分」だった。


火は、命令よりも早かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ