表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/33

第三章第二話 祈りは配置される


 配置は、祈りだ。


 白巫家の教えでは、物は正しい場所に置かれるべきで、人も正しい場所に置かれるべきで、言葉も正しい順で並べられるべきだ。

 順と場所が揃えば、世界は揃う。世界が揃えば、神意は揺らがない。


 ──揺らぐのは、常に人の心だ。


 王都の祈殿は、里の祈殿よりも広い。

 広いのに、息が詰まる。天井が高いほど祈りが抜けるはずなのに、ここでは祈りが下へ溜まる。白い空気が床の上に薄く積もり、歩くたびに裾がそれを撫でる。


 セイラは、祈殿中央の円壇の前に立ち、巫女たちの列を見ていた。

 列は整っている。髪の高さ、視線の角度、足の開き。整いは美しい。美しいから正しい。


 しかし──整いの中に、微細なずれがある。


 ずれは、目で見て分かるほどではない。

 ずれは、鈴の音の終わり際にだけ出る。

 ずれは、影の遅れとしてしか現れない。


 セイラはそれを()()()ことができる。

 見ないことができるから、上位巫女に選ばれてきた。

 見ないことができる者が、白巫家の秩序を守る。


 円壇の脇で神官が書板を広げ、淡々と読み上げる。


「第一環:セイラ様。第二環:ユウナ。第三環:──ナギ」


 名が呼ばれるたび、巫女たちが一歩前へ出て、所定の位置に立つ。

 所定、という言葉が好きだった。所定は救いだ。所定がある限り、迷わずに済む。


 ただ一つ──所定が()()()()()を示すときは別だ。


 セイラは、列の端を見た。

 本来なら、そこにいるはずの影がない。影がないのに、列は揃っている。揃っているからこそ、欠けが際立つ。


 欠け。


 その単語が喉まで上がり、セイラは唇の奥で噛み殺した。

 欠けは禁句ではない。だが口にした瞬間、世界に「欠け」が生まれる。生まれた欠けは、記録に残る。


 記録に残れば、揃わない。


「第四環:──」


 神官が続けようとした瞬間、円壇の脇の灯明が揺れた。

 風はない。窓は閉じてある。

 揺れる理由がないのに揺れる。


 灯明の影が、一拍遅れて壁を撫でた。


 セイラは視線を滑らせ、揺れを()()()()()()()にした。

 見なかったことにすれば、揺れは存在しない。

 存在しなければ、神意は正しい。


「第四環:補助巫女。配置は変更ありません」


 神官が読み上げた。

 変更なし。変更なしは安心だ。変更があると人は不安になる。

 不安が増えると、揺らぎが表へ出る。表へ出れば、秩序が崩れる。


 秩序が崩れると、玉座が空く。


 玉座が空けば、血が流れる。


 ──血を流さないために、誰かの血を流す。


 セイラは円壇を降り、控えの間へ向かった。

 廊下には香が満ちている。香は濃い。濃い香は、里では()()()()()を意味した。

 王都では違う。王都の濃さは調()()の濃さだ。濃くすれば、人は安心する。安心すれば疑問が減る。


 控えの間では、若い巫女ナギが白衣の紐を結び直していた。

 ナギは新しく選ばれた。選ばれた理由は単純だ。器が強い。声が澄んでいる。祈りを受け取る速度が速い。


 速い器は、優秀に見える。

 優秀に見える器は、代替になる。


 ──そう思いたい。


「ナギ」


 セイラが呼ぶと、ナギは背筋を伸ばして振り向いた。


「はい、セイラ様」


 声が澄んでいる。澄みすぎて、薄い。

 薄い声は、折れたときに鋭い音を立てる。


 円壇の縁には、白い粉で細い線が引かれていた。

 足の置き場を示す線だ。線は祈りのためではない。

 人を迷わせないためだ。

 迷わなければ、疑問は生まれない。


 その線が一本だけ、余っている。余っている線は消されず、最初から存在しなかったように扱われている。


 セイラの目はそこを避ける。

 避けられる目こそが、上位に残る。


「配置を確認します。あなたは第三環。ユウナの後。私の外側です」


「はい。承知しております」


 ナギは即答した。即答は良い。迷いがない。迷いがない者は正しい。

 正しい者は、疑問を持たない。


 セイラは、そこで一つだけ確かめた。


「香が濃いと、気分は?」


 ナギがきょとんとした顔をする。

 問いの意図が分からない。分からないのに、答えなければならない。


「……少し、頭が熱くなります」


 熱くなる。

 それは良い兆候ではない。祈りが()()()()()()()証拠だ。体に乗る祈りは、いつか体を壊す。


 セイラは穏やかに頷き、言葉を整えた。


「神意が近いのです。よいことです」


 言いながら、セイラは自分の喉が乾くのを感じた。

 乾きは不安だ。不安は揺らぎだ。揺らぎは口にしない。


「鈴は新しいものを使います。音の終わり際まで、意識を保って」


 意識を保って。

 それは祈殿では言わない指示だ。

 神託は意識で受けるものではない。受けるのは器だ。器が受け取れないのは器が足りないからだ。


 だが今、足りないのは器ではない。

 足りないのは──()()()()()()だ。


 セイラは、その穴の名を心の中でだけ呼んだ。


 ミサキ。


 呼んだ瞬間、胸の奥がひくりと動いた。

 鈴の音が耳の奥で一拍遅れた気がした。

 影が遅れた気がした。


 ナギが不安そうに言った。


「……セイラ様。大丈夫ですか」


 大丈夫、という言葉を、セイラは嫌った。

 大丈夫かと問われること自体が、揺れの証拠になる。


「大丈夫です」


 セイラは即答した。

 即答は焦りの証拠だ。だが彼女は焦りを見ない。見なければ存在しない。


 廊下の向こうから、神官が呼びに来た。


「セイラ様。リハーサルを」


 リハーサル。

 儀式にリハーサルが必要だという事実が、すでに揺らぎだ。神意は練習を必要としない。必要とするのは人の都合だ。


 セイラは白衣の袖を整え、歩いた。

 袖が床を撫でる。撫でた影が、一拍遅れて付いてくる。


 祈殿に入ると、円壇の中央に鈴が並べられていた。

 新しい鈴。よく鳴る鈴。正しい音の鈴。


 正しい音は、折れた音を隠す。


 神官が祝詞を上げ、巫女たちが配置につく。

 第一環にセイラ。第二環にユウナ。第三環にナギ。

 輪ができる。輪ができれば、世界が閉じる。閉じれば揺らぎは外へ追い出される──はずだ。


「では」


 神官が言う。


「神託を」


 鈴が鳴る。

 よく鳴る。澄んでいる。安心する。

 安心した瞬間、ナギの肩が僅かに跳ねた。


 セイラは見ないふりをした。

 見ない。見ない。見ない。

 見ないことで、秩序を守る。


 だが、鈴の音の終わり際で──音が折れた。


 折れた音は、今までよりもはっきりしていた。

 新しい鈴ほど、折れが鮮明になる。

 隠すために新しくしたのに、逆に露わになる。


 ナギの喉が鳴り、唇の端に白い泡が浮いた。


 セイラの胸の奥が冷える。

 冷えは恐怖だ。恐怖は不安だ。不安は揺らぎだ。揺らぎは口にしない。


 セイラは穏やかな声で言った。


「続けなさい」


 続ければ正しい。

 正しければ、失敗は存在しない。

 存在しない失敗は、記録に残らない。


 ナギの瞳が揺れ、揺れを殺して、口が動く。


「……南。……煙……外……」


 言葉が出た。

 出たのに、整っていない。

 整っていない言葉は、神託ではない。


 セイラは一歩前に出て、その言葉を整える。


「南の外縁に()()があります」


 穢れ。

 便利な言葉。穢れは何にでも使える。穢れと言えば、原因は外に押し出せる。外に押し出せば、内側は正しいままだ。


 神官が頷き、書板に記す。


「穢れ。外縁」


 記録が揃う。

 揃った瞬間、ナギが崩れ落ちた。


 倒れた白衣のまわりへ、神官が二人、音のない歩幅で寄った。布を持ち上げ、顔を隠し、息の音を覆う。

 これは救助ではない。処理の段取りだ。


 誰も大丈夫かと言わない。

 言えば、大丈夫ではない現実が生まれる。

 生まれた現実は、記録に残る。記録に残れば、揃わない。


 白衣が床に広がる。

 白が白の上に倒れる。

 美しい。美しいから、誰も悲鳴を上げない。


 神官が淡々と告げる。


「器が足りなかっただけです。配置を入れ替えます」


 入れ替え。

 人が物のように入れ替えられる。

 入れ替えられることで秩序が守られる。


 セイラは頷いた。頷かなければならない。

 頷けば、崩れたナギは()()ではなく()()()()になる。

 器の不足は個人の問題だ。個人の問題なら、秩序は正しい。


 秩序が正しいなら、ミサキは必要ない。


 ──そう言い聞かせるために。


 セイラは床に倒れたナギを見なかった。

 見れば、泡の白さが現実になる。

 現実になれば、鈴の折れが確定する。


 確定した瞬間、玉座は空く。


 玉座が空けば、血が流れる。


 血を避けるために、今日も白巫家は配置を正す。

 正すたび、何かが確実に折れていく。


 折れる音は、もう隠せない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ