第2話-1 針之信
「針之信の兄者、やっと見つけました」
入って来たのはいまだに侍姿の一人の青年だった。
なにしろ二本差しが押しかけてきた以上、待っていた人は後難を恐れて逃げ出したに違いない。おそらくは待合室には護衛と従者達が控えているのだろう。
営業妨害だぞ! とむくれたオレは横を向いて言葉を投げ捨てた。
「帰れ」
「邪険にしないでくださいよ。八方手を尽くしてやっと探し当てたんです。改めて言いますけどお家は針之信の兄者が継ぐべきです」
「会う早々にそれか? 出奔するとき手紙に書いておいたぞ。長男は死んだ。今ここにいるオレは針治療師のハリだ。我がお家は針之介…… 弟である、お前が継ぐべきだ」
置き手紙に必要なことは全部書いた。父上は、とっくにオレを亡き者として考えているはずだ。当然、士族籍からも抜かれているはずだ。
「針之信の兄者は嫡男のままですよ」
「何でだ? そんなの良いことなんて一つもないだろ」
「勘弁してくださいよ。いくら異能が弱いからって嫡男の立場を放り出すのは無責任過ぎます。兄さんらしくない」
「オレは異能が弱いから飛び出したわけじゃないぞ。お前が我がお家を継ぐにふさわしいと思っただけだ」
「でも、異能が理由だって書いてましたよね? 少年時代、天才の名をほしいままにした針之信の兄者の代わりなんて私には荷が重すぎます。父上も、武者修行のために諸国を留学中ってことにしています」
「あ~ それはだな「ハリちゃん! 助けてくれ!」」
んん?
おそらく待合室の従者が侵入者を押しとどめようとしているんだろう。しかし、お貴族様のお供だと分かっている人を押しのけてまで、オレを呼ぶのだからただごとではない。
針之介を手で制してから待合室に行くと、おマサさんの夫だった。
「お珠が馬車に跳ねられたんだ!」
「なんだって! 具合は?」
「意識はあるけど、足がヘンな方向に。おそらく折れてる」
「う~ わかった。意識があるなら命は何とかなるな。ここに連れきて!」
その時横から針之介が口を出してきた。
「兄さん、ここの担架を借りるよ。ウチの連中に担いでこさせるから」
「わかった。手を借りる。お前の家臣に任せるのが一番速そうだからな」
「ありがとう。任せて。おい! そなたは父親だな? 現場に案内せよ!」
え? え? え? いきなり「お侍様」に迫られて狼狽えてる。そりゃ、庶民はそうなるよ。でも、娘を救うことを優先したらしい。
「こっちです。お願いします!」
そう言ってドタバタと出て行ったと思ったら、5分と経たないうちに担架に載せたお珠を連れて戻ってきた。
現場はホントに近所だったらしい。
おマサさんも蒼い顔をして付き添ってきた。
「ご苦労様。でも、男達はさっさと出てもらうよ。年頃の娘を治療するんだからね」
お珠を運び入れると、おマサさんがすぐに男達を追い出した。
「ハリちゃん、何とかなるかい?」
「わからん。左脚の骨折は固定すれば大丈夫だと思うけど」
そう言いながら異能発動。
『足の痛覚を一時的に遮断! あれ?』
ツボが反応しないことに気が付いた。
治療に最適なツボが、意識することなく分かるのがオレの異能だ。ということは「痛みを取る必要がない」ということ。
オレは内心青ざめたけど、顔はのんびりさせたまま、聞いてみた。
「お珠ちゃん、ひょっとして足の痛みって、あんお珠感じない?」
「うん、痛みっていうか、感覚が無いみたい」
おマサさんが慌てた。
「そ、そんなはずないよ! ハリちゃん、ちゃんと確かめてやって! あ、いや、その前に着物が邪魔だね」
「え? え? 母さん、やめて、あぁ、だめぇ!」
診療室に小さな絶叫が響いた。
おマサさんが、よもやの行動に出たんだ。