第16話 ヘモ
どこにも悪いところがない?
少なくとも肉体に悪いところは見つからない。
じゃあ、一体何なんだ?
勝先生は、いつだって自分なりの考えてバッサバッサと一刀両断していく人だ。本当は気が小さいのに、天性の才能が黙っていることを許さないのだろう。
『いつだって自分の損得を抜きにして、快刀乱麻を断つがごとき鮮やかさで自体を切り分けてみせるのに。様子を見るだなんて、およそ勝先生が一番言わないことだ』
「ん? どうしたんだい? そんな変えるが蛇を飲み込んだような顔をして」
「すみません。そのたとえはよく分からないのですが。先生は何か、お悩みなんじゃないかと思いまして」
「わかっちまうか。さすがハリ坊だな。もう、悩みすぎて『ヘモでねぇ』ぜ」
幼いときの呼び方が思わず出てしまったと言うことは、相当に深いな。っていうか、なぜ、そんな下ネタをぶち込んでくる?
「おめぇさんは昔から口が硬いな。あ、行っておくけど無理に解決方法なんて探さなくていいんだぜ? おいらの愚痴みてぇなもんだからな」
やけに、もったいをつける。いったい、何がこんなことを?
「オカミの問題だ」
「え? どこのお内儀で?」
「ハリ坊、さすがにオイラも女の問題でなんて悩まねぇよ。オカミってのは、《《そっち》》じゃない」
上を仰ぎ見る動作でやっと気が付いた。政府関係者が「オカミ」と言えば至上の存在で「上なき身」であるお方だ。
「なるほど。西郷さんをお好きでしたものね」
「まあ、それもあるんだがな」
そこから重い口から聞き出したのは「手術に困る」という話だった。
非常に尾篭な話となる部分の病が悪化した。ドイツから呼び寄せたお抱え医師によれば、手術をすれば治るという。
しかし「麻酔」が問題だった。この当時は、全身麻酔が「意識を無くす処置だ」ということで生母様を始めとして、周囲が大反対をしているという話だった。
「本来であれば、もっと早く『お気持ち伺い』ひとつ出せばすんだんだよ。大久保の態度もあれほど頑なになるはずがないんだよ」
「お気持ち伺い、ですか。それすら出せないほどに弱っていらっしゃる」
「あぁ。食って出すって基本がダメだと本当に弱くなってしまうものだなぁ」
お気持ち伺いというのは、宮中の独特のやり方である。
日本では天皇が自分の意志を示すというのは非常に珍しい。勅語にでもなってしまえば、この国の歴史に残ることを熟知しているがゆえだ。
それゆえに「非公式な意志」を示すための方法がいくつか用意されている。その一つが、侍従が「お上はこのようなことをご心配なさっておいでの よ う で す」という言葉を人を介して伝える。それが、お気持ち伺いというやり方だった。
「つまり、先生は周辺を説得して回られていらっしゃると」
しかも上手く行かないと言うことなのだろう。なにしろ、増上寺の坊さんまでも動員して説得を試みようとしているのだ。
「あぁ。薬でご意志を奪うようなことは、臣下として僭越であるってことでね。あぁ、どうにもなんねぇよ」
「じゃあ、麻酔で意識を失わなければ良いんですか?」
「あのなぁ。簡単な手術だと思っているのかもしんないが、生きたまま肉を切られるんだぜ? あんなに痛いのを我慢できるヤツなんて…… 痛いのを、取る? まさかハリ坊、できるのか!」
「正確に言えば、痛みを取るのではなくて、感じさせなくなるってことですけど。それに一晩も経てば切ったところの痛みは出てきますよ? ずっと感じないわけじゃないので」
「いや、いい、いい! それで良い! とにかく切って縫っちまえば治るんだそうだ。麻酔さえ何とかなるなら、手術には自信があるって話だしな」
「とはいえ、いきなりだと信用してもらえないと思います。誰が実際に手術してもらいませんか? それで試せば「終いまで話すのは要らねぇよ、任しときな。ハリ坊、明日だ。明日までに用意する。頼むぜ! こうしちゃいられねぇや」
バタバタと出て行った時の顔は、いつもの勝先生だった。
さすが江戸っ子。
一度決まると、気が短いな。
まあ、虫垂炎と痔は、腰椎麻酔でできる代表的な手術だしな。なんとかなるだろ。
ん? あ~ 勝先生、気が短いのは良いんだけど、明日、オレはどこに行ゃ良いんですかねぇ?
その後、オレの自宅に官吏がやってきて、朝九時に「東京医学校へと出頭せよ」という命令が届いた。
南下、犯罪者っぽい呼出状だけど、この時代の官吏が庶民を呼び出すなんて、こんな感じだったんだよ。
だから、ぜんぜん、平気だ…… だよね?
「アペ」とはappendicitisを省略して「アッペ」と呼んでいるのを、医師はさらに呼びやすくアペと通称しています。「ヘモ」とはヘモロイドが正式名称です。




