第10話-1 お光の頭痛は
明冶の御代となって「東京」という名に変わった江戸の町はどこもかしこも激変中だ。
古今東西、世の変化は上と下から起きるものと決まっている。
お城(江戸城)を囲んでいた武家屋敷は次々と持ち主を変え、下町を中心とした長屋の群れはつぎつぎと更地となった。
そこには工場や官吏の住宅が建てられていったのだ。
その分、長屋の住人達は長年住み慣れた家を追い出されていたのである。
お光の住まいも、そんな長屋の一つだった。
井戸と雪隠を20所帯ほどが共同で使う貧乏暮らし。だが、働き盛りの職人達にとっては案外と悪くない。朝からカマドで飯を炊くのは重労働だが、飯もオカズも天秤棒をかついだ辻売りがちゃんと「巡回販売」をしてくれる。
病を得て独り者が寝込めば、どこからともなく面倒見の良いおかみさん達が飯だの汁ものだのを届けてくれる。身体が治ったら、隣近所の雨漏りを直すのも当たり前。
持ちつ持たれつ、楽しい長屋暮らしなのである。
ところが、御維新の後には国力増強が合い言葉となった。近代的な工場をボコボコと建てる必要があった。太平洋戦争の時とは比ぶべくもないが、多少の無理をしても「お国のため」と言う言葉には、道理が引っ込む時代であったのだ。
後の世で言う「地上げ」のようなことが当たり前のように行われていても官吏は目をつぶっていたのが現実であった。
だから、この長屋でも爺さんが足蹴にされる現実があったのだ。
「いいかげん、言うことを聞けって言ってるだろ、ジジイ!」
《《いかにも》》な荒っぽい姿の男達は老人を足蹴にすると、痩せこけた年寄りは簡単に吹っ飛ばされる。
「ほら~ おめえが持っていけばそれですむんだろ。早くしろって」
立ち退きを迫っている長屋の最大の問題は、小さな小さなお社だった。
子どもでも抱えられるほどに小さな赤いお社には、御霊が入っていらっしゃる証拠だと言わんばかりに、しめ縄が新しい。
貧乏長屋のご鎮守様のはずが、妙に綺麗すぎる。それだけ長屋の人々の信仰を集めていいるということ。
まだ近代文明の明けたばかりだ。世間には濃密に素朴な信仰心が残っている。信仰心というほどのことばではなくて「罰が当たる」という感覚だ。
どれほどの荒くれ男でも、いや荒くれ者であるからこそ「寺社仏閣」への手出しは御法度なのだ。まして、人々の信仰の対象となっているお社に直接手を出すなどまっぴらご免だ。
しかし、親分から命令されていた立ち退きは来週に迫っている。
男達は最後の手段として「長屋の人間が自らで移動させればいい」と考えた。そうなれば「祟り」は長屋の人間に降りかかるはずだ。
男達にとって名案だと思われたのだが、意外なほどに抵抗が強かった。
実に間抜けなことだが、考えてみれば当たり前なのだ。
縁も縁もない粗暴な男達ですら嫌がったのだ。朝な夕なに拝み、お供えをし、毎朝掃除までしている住民達が、信仰の対象にめったなことができるわけがない。
勢い、男達は暴力での威嚇をエスカレートさせるしかなかった。
ここで難しいことがある。
いかに官吏を味方に付けても、大会社のカネを背景にしたとしても「職人をその気で怒らせるとヤバい」ということ。
江戸っ子気質は濃厚で、異様にケンカっ早いのである。
だから、狙うとしたら年寄りと女だけの家だ。
そこに該当するのは何軒もない。そのひとつがお光の家だった。ジイちゃんは毎晩のように殴られ、蹴られアザを増やしていった。しかし頑なにジイちゃんはいっこうに動かそうとしない。
そうなるとお子達が狙うのは、可愛がっている孫娘のお光だ。連日連夜、ガラの悪い男に絡まれすごまれてしまった。貞操の危機を感じたことも毎晩だった。
お光のことを心から可愛がり大事にしているだけに逆に、ジイジには泣きつけないという人の良さがお光の気質だ。
だから、このところ、どれほど疲れていても眠れない。常に肩がゴリゴリで、何を食べても味を感じなくなっていた。
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