第5話-2 腐った警官
お花が、やってこなかった「原因」は、お珠と別れた直後まで遡る。
分かれてすぐのことだった。
角を曲がると、そこに男がいた。待ち構えていたとしか思えない様子だ。
「これはこれは。いつもながらに美しい」
中年紳士と言うべきカイゼル髭をピンと引っ張る、《《人品卑しい男》》が待ち構えていた。
警視庁武装警察官の副指令である寝鳥数寄弥である。
「いつもお世話になっております」
何しろ許嫁の上司に当たる人だ。どれほど…… 心の底から嫌い、なんだったら裏山で燃やしてやりたいと思うほど嫌っていても、笑顔を見せざるを得ない。
商家の娘としては、気持ちとは裏腹な愛想笑いは必修得の技術なのである。
愛想笑い一つで、そそくさと通り過ぎようとした刹那、寝鳥が聞こえるような声で呟いた。
「いや~ 今日の訓練は少しばかり厳しすぎたか。でも、有望なヤツほど鍛えるのがオレの使命だからなぁ。ケガの一つや二つは仕方がないのが現実であるな」
ギョッとした。
許嫁の喜一は武装警察官の若手で一番有望と言われる男なのである。
ピタッと足を止めてしまった。
瞬間、寝鳥は「まあ、武装警察官としての訓練は厳しいのは当然のこと。女性はさぞかし心配でしょうな。そういう人の心配ごとには相談に乗るのも我が務めというものでしょう」と、これもそっぽを向きつつ、うそぶいた。
「そうでしょう? お嬢さん」
クルンとお花の方を向いた。
剣呑なつぶやきに顔を向けていたお花は、ちょうど正対してしまった。この状態で知らん顔もできない。どれほど嫌おうと許嫁の上司なのである。
寝鳥は下卑た笑いに心配そうな表情を載せると言う器用な顔芸を見せた。
「喜一のヤツ、このところ張り切っておりましてな。訓練も頑張りすぎてしまうようで。本日は少々ケガをしたようですが、なぁに今日のケガは大したことがありませんのでご安心ください」
ニタリと笑いつつ「今日のケガは」と言うセリフを強めたのは明らかに脅しだと伝わってくる。
「彼はケガをしたのですか!」
「我々は武装警察ですからね。日々の訓練は厳しいだけにケガは付きものです。誰にでもあることですので 本日は ご心配に及びません。まあ、チョット腕を使うのに不自由があるかも知れませんが」
またしても「本日は」にアクセント。
お花は心底ゾッとした。
腕を使うのに不自由なほどのケガをした? しかも、本日は、と言うことは、これからもっと大きなケガをするとでも言うつもりなのだろうか。
「ただし」
寝鳥は、下卑た視線でお花の胸を露骨に見ながら言葉を続けた。
「ケガをしたところに無理な訓練を続けると回復不能な怪我をすることがよくあるのですよ。副指令として有望な若手の怪我は実に心配ですなぁ。お嬢さんもさぞかしご心配でしょう? とは言え、立場上、若手に訓練をやめろというのは中々に難しい」
大仰な動作で肩を一度すくめて見せた後、寝鳥は言った。
「そうだ。お嬢さんには以前から、ご相談したいことがあればお話もできますよとお伝えしてましたっけ」
お花は蒼白になった。
まだ、喜一との恋人関係が公になっていなかった頃、この男に「妾になれ」と持ちかけられたことがあったのだ。そうすれば、いろいろと相談に乗れることもあるぞ、と言うのが男の決めゼリフだ。
それ以来、陰に日向に秋波を送られ続け、お花は無視し続けてきた。
こんなスケベ親父の顔を見るのもイヤだが、許嫁の上司であるからということで、ひたすら押し殺すしかなかった。しかも、喜一に知られると、絶対に何かやらかすに決まっている。
許嫁のことを思えば、隠し通すしかないのがお花の立場だった。




