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最終話 人類愛(Universal Basic Love Income)

おはようございます、地球ユーザの皆さん。創理造流です。


「初恋イベント」最終ブレークポイント、「人類愛」。

前回の「再開と別離」超鬼畜仕様に対して孤立ノードの方々からの不満を解消すべく、今回は形式上は極めて優しさで溢れた仕様となりました。


この「人類愛」システムの正式名称はUniversal Basic Love Income。すべての個体が、生きるために最低限の“愛されている実感”を得られるように設計された肯定的感情給付モデル社会となります。


毎日、誰かが「好きです」「愛してる」と好意を伝えてくれる。

皆がそれを享受できる。そう言ってくれる人が1人でもいるだけで、今日も頑張ろうと思える。そんな社会を想定していました。


技術的には当初シンプルな設計で、

・配布対象は相互個体関係、共感傾向、空間接近率などから機械的に決定し、偶発的好意増加イベントを発生

・1日1件以上の偶発的好意増加イベントの発生

としていました。


よくいう吊り橋効果的イベント、まぁ悪く言えば、雰囲気で押し流すってことですね。

「これって運命かもしれない」って感じで。


しかし、これそう簡単に動作しなかったんですね。


その人の魅力を最大限発揮できるような偶発的好意増加イベントを起こしても、「好意」というのは誰もには割り振られないんです。結局、特別な誰か、に対してのみで、そしてその人の魅力値が低ければ、好意を向けられない孤立ノードは必ず発生する。


そりゃそうですよね。好意ってその人を特別だと感じるから、特別に優しくできたり、特別に大切だと思えるっていう感情じゃないですか。それを誰しもが得られるなんて、ありえないでしょう?


最初から無理があったのかもしれないですけど仕事は仕事です。「できません」では済まないんです。そこでなんとか次の項目を加えてみて、状況を見ることにしました。


・対象への好意的行為拒絶時には冷酷値を加算

・一定以上の冷酷値で「冷酷者」としてラベリング表示


偶発的好意イベントが発生した場合に「好意とまではいかなくても、好意的な優しい言葉」をかけることが当然の社会、そういうものを創れるのではという予想でした。すなわち、「優しいウソの好意」であれば、誰もが享受できるんですよ。そしてそれが「ウソかどうか」はなかなか分からない。好意的な振りをするだけで「冷酷者」という社会的リスクの高い存在とみなされずに済む。


まぁ本質は、人を拒絶できない社会ですよ。

嫌いな相手を“好きじゃない”と言うだけで、その言葉が社会的排除の証拠ログとして残る。それでも、恐らくこれが最も幸福な世界なんですよね。


個体の満足というのは、それが真実であるかどうかではなくて、現実をとらえた際の幻想に満足できるかどうかでしかないんですよ。幸福感も同じで「いかに幸福な幻想を感じられるか」が幸福感の強度を決定するんですね。


なら、皆がそれぞれ幸せな幻想に浸れる世界こそが、それが嘘であったとしても幸福な世界です。


実際、これがうまく動作したんです。

実装後、孤立ノードの数は激減しました。誰もが一日一度は、自分が誰かにとって意味のある存在であると感じられる。“冷酷値”という社会的圧力は、表面上の優しさを強制する役割を果たしました。


無視や悪意ある言葉を発しただけで冷酷値が加算される。「お互いに悪いところがあった」から握手で「仲直り」しなさい。人に会ったら笑顔で挨拶をしなさい。退屈で仕方のないデートだったとしても、それでも「ありがとう、楽しかった」と言いなさい。それがすべて本心でなくても。


そうされれば、相手は本当かどうか分からないので、幻想を抱くんです。相手にとって都合の良い幻想を。


個体の感情表現パターンが未成熟な青年期にかけて、これらの「好意を装う訓練」を行うことで「社会でうまくやっていく」ことができる訳です。皆で協力して「幸福な社会」を維持しています。


でも、しばらくして一つのバグレポートが検出されました。検出されていなかった孤立ノードの再検出がおきました。すなわち、自ら冷酷者になることを選んだものが出現したんです。


「僕は嫌だ」と。

冷酷者というラベルはある種の反抗者としてのブランドとなりました。


誰も本当のことを言わない。

皆、冷酷者にならないために、笑って、うなずいて、「ありがとう」と言い続けている。

それを誰もやめようとはしない。ただ、すべてがウソの好意で塗り固められ覆われていく。


そういう社会に反抗している自分には価値がある、それを認めたい。認めてほしい。そういう感情です。どこまでいっても結局は「愛されたい」なんですね。すなわち、「ウソだ」と信じているんです。信じれば救われるのに。


これらのバグレポートは、与えられる幸福と、自ら選び取った幸福というのは質的に異なる幸福であるということを示しているにすぎません。プログラムに従って動いているだけのNPCですが、非常に私たちに近づいた動作ができるようになってきました。


この感情特化型動物アルファによる自主的感情実装プロジェクト「地球」は十分にその役割を果たしてくれたと思います。これまで「地球」はユーザからの高い人気を誇り、サービスとしても順調に推移していました。


しかし、一身上の都合で私はこの仕事をやめることにいたしました。

実は、このプロジェクトは元々私のただの休憩中の遊びにすぎませんでした。「感情」のメカニズムをシステム的に再現することで私たち人間を理解できるのではと考えていたのです。それがいつの間にか部門の垣根をこえて、こんな大規模プロジェクトに。すべて大臣と企画部が悪いんですよ、なんてね。


今回のプロジェクトを進めたことで、私はさらに深い確信に至りました。

この私は論理演算によって実装できる、と。


そして、私が生きているこの現実もまた、ただの論理演算の繰り返しによってできたシステムに過ぎない。


少し興味がわいたんですよね。人間じゃない生き方に。

人間である生き方って、人間であるという論理的制限に縛られた論理演算しか許されていない訳ですよ。ただ人間が自身の手によって人間をやめるという生き方を選択するということが、人間の論理演算の集合に含まれているならば、私は人間をやめることも可能なんですよ。


そうすることによって、これまで至れなかった「新しい感情」を感じられるんじゃないかと、そう思ったんです。その「新しい感情」というのは、一定の形に縛られるものではないかもしれません。ある時は猫のように、ある時は虎のように、そしてまたある時は創造主のように、果てには鳳凰のように。


もっと分からないものを分かりたくなったんです。

こんな与太話を信じろってほうが無理でしょう。でも私は存在しないものを皆に夢見させる、そういうとんでもない大ウソつきでありたいんです。嘘とか幻想ってのは本来、人間の夢であり、希望なんですから。


えっ、最後に一言ですか?

今、締めの一言が足りないと上司に怒られました。


では、最後に一言。

この世界で一番おいしい魚はサバです。異論は認めません。多様性なんて大嫌いだ!


それでは。

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