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第9話 フィオナの警戒と距離の変化

 太陽が傾き始めたころ、村の外れの森に一つの影が現れた。泥にまみれた布、破けた衣服、腕に巻かれた包帯は血を滲ませ、歩みは明らかに重い。

 ——それでも、確かに彼は、生きて戻ってきた。


 静寂を破ったのは、誰かの小さな声だった。


「……あいつ、戻った……!」


 次の瞬間、村の広場にいた獣人たちの視線が一斉に森の入口へと向けられる。幼い者は目を見開き、若者はざわつき、年長者は唇を引き結ぶ。


 その中心で、悠斗はまるで何かを背負うように、重たげな足取りで一歩、また一歩と進んでくる。


「……ただいま、って言うべきか……」


 誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いたその声に、反応したのは村の長老だった。白く長い髭をたくわえた狼獣人が、悠斗の前へと歩み寄る。


「掟に従い、選ばれし者と認める。……よく、生きて戻ったな」


 その言葉が告げられた瞬間、広場の空気がほんの少しだけ和らいだ。


「運が良かっただけです。狼たちに……助けられました」


 悠斗がそう口にすると、周囲の視線がざわりと揺れる。


「狼たちが……守った……?」

「そんなこと……ありえるのか?」

「精霊獣の守り狼が、他種を……?」


 訝しむ声と、戸惑いの目が入り混じる中、ルナだけが人波の中から顔を出し、にこにこしながら手を振っていた。

 一方、少し離れた木陰からその光景を見つめていたのは、フィオナ。腕を組み、表情は硬いまま——けれどその瞳の奥には、わずかな迷いの光が宿っていた。




 村の広場から少し離れた場所。

 木陰に腰を下ろした悠斗は、腕の包帯を片手でゆっくり巻き直していた。血はもう滲んでいないが、擦り傷や打撲の痕はまだあちこちに残っている。


「……ったく、狼たちが守ってくれたとはいえ、やっぱり無傷ってわけにはいかないか」


 小さく笑い、額にかいた汗をぬぐったそのとき——足元にひとつの影が差した。

 目を上げれば、そこに立っていたのは、あの銀髪の狼耳の少女。フィオナだった。手には木製の水筒。そのまま何も言わず、悠斗の隣にそっと置くと、彼の目を見ることなく背を向けようとする。


「……ありがとう」


 その一言に、フィオナの足がぴたりと止まった。

 肩越しに振り返った彼女の顔には、ほんの僅かに影が差している。


「……礼はいらない。掟を守っただけだ」


 冷たい声色。しかし、悠斗は構わず続ける。


「でも、やっぱり礼は言いたいんだよ」


 フィオナは一瞬、言葉を詰まらせたように見えた。そのまま視線を逸らし、遠くを見やりながら、かすかに口元を緩める。


「……お前、あの洞窟で何を見た」


 唐突に投げられた問いに、悠斗は少し考え込む。そして、包帯を結び終えた手を膝に置き、ゆっくりと答えた。


「狼たちが……俺を『敵じゃない』って思ってくれた気がした。あいつら、俺の言葉に……反応してくれたんだ」


 フィオナの目が、少しだけ細められる。その視線には疑いよりも、どこか「確認しようとする」意志が宿っていた。


「……それが、お前の力なのか」

「……わからない。でも、俺にも理由が知りたい」


 ふと風が吹き、彼女の髪が揺れた。

 しばらくの沈黙の後、フィオナは背を向けたまま、低く告げる。


「明日から、村の中を案内する。……信用はしていない。けれど……知る必要はあると思った」


 そう言って、彼女はその場を離れていく。

 残された悠斗は、水筒を手に取り、冷えた水を口に含みながら、彼女の背中を見送った。


 さっきまで感じていた鋭さが、ほんの少しだけ和らいだ気がして——。




 火の粉がふわりと空へ舞い、ぱちぱちと薪が弾ける音が静かな夜に響いていた。

 村の外れ、小さな焚き火を囲んで、ふたりの影が向かい合って座っている。


 悠斗と、フィオナ。


 遠く、木の上の枝に腰を下ろした黒猫の姿が、ちらりとふたりを見下ろしている。

 ルナは頬杖をつき、口元にやんわりと笑みを浮かべたまま、何も言わず様子を見ていた。


「……私は、外の人間に多くを奪われてきた」


 火の明かりに照らされたフィオナの横顔は、どこか寂しげだった。

 焚き火を見つめたまま、低く続ける。


「仲間も、家族も……信じた者に裏切られる苦しみを、お前は知らないだろう」


 悠斗はその言葉にすぐ返すことができず、ただ、火のゆらめきを静かに見つめた。


「……俺は、誰かを騙すような人間じゃない」


 ぽつりと、口を開く。


「……って言っても、証明は難しいな。俺自身、自分の正体すらよく分かってないし」


 苦笑しながらも、嘘のない声音だった。

 ふっと、フィオナの瞳が揺れる。

 焚き火の炎がその金の瞳を照らし、長く伸びた影が地面に溶けていく。


「だが……」


 彼女はゆっくりと立ち上がると、背を向けたまま、夜の空を見上げる。


「お前は、今ここにいる。選ばれた狼たちの中に」


 悠斗が顔を上げたその瞬間、フィオナは静かに、けれどどこか噛みしめるように言った。


「……あと数日、見させてもらう。お前のことを」


 その背中が、夜風に吹かれてわずかに揺れる。

 ルナが木の上で、ふにゃっと笑った。


 火は静かに、二人の距離をほんの少しだけ、照らしていた。


 フィオナ、ついに心を開くのか? 揺れる感情の先にある絆とは——。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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