第7話 フィオナの疑いと村の掟
木で編まれた半円形の会議場は、朝の冷たい空気の中でも張り詰めた緊張感に包まれていた。
中央に一歩進み出た悠斗は、丸太で組まれた床の上に立たされている。
その周囲を囲むように、年老いた精霊獣たち——白髪混じりの狼、角を持つ鹿、柔らかな羽毛を持つ鳥の獣人たちが、重々しく腰掛けていた。
彼らの目はどれも、剣のように鋭く、冷ややかだった。まるで裁きを下す者たちが、罪人を見据えるように。
やがて、中央の席に座る白髪の狼獣人が、ゆっくりと口を開いた。
「……外から来た者には『証』が要る。我らは、信じぬ者に安息を与えぬ」
その言葉に、評議会の周囲に詰めかけていた若い獣人たちがざわつき始める。
「スパイだ!」
「人間だぞ、何を信じろって言うんだ!」
「排除すべきだ、村を守るためにも!」
怒声と罵声が飛び交い、場が一瞬荒れそうになる。だが、その空気を静かに切り裂いたのは、落ち着いた一人の声だった。
「……私はあの日、こいつの中に違和感を感じた」
壇上に立つフィオナが、腕を組んだまま悠斗を見据えていた。金色の瞳が、揺らぎもなく真っ直ぐに悠斗の瞳を貫く。
「その正体が敵意によるものか、そうでないのか——それを、試練を通して見極めたい」
「……違和感って、ずっと言ってるけどさ」
悠斗は肩をすくめ、吐き捨てるように言った。
「何がそんなにおかしいんだよ。俺、魔術も使えないし、ただ巻き込まれただけだ。……違和感って言うなら、はっきり説明してくれよ」
フィオナはほんの一瞬だけ目を細めた。だがその問いに答える代わりに、静かに告げた。
「説明する価値があるのは、選別を生き残った者だけだ」
その言葉は、悠斗の胸に氷のように突き刺さった。
村の空気が冷え込む。誰一人、彼に味方する者はいないようだった。
そのときだった。
評議会の木組みの静寂を、ひょいと軽やかに破る音がした。
――ぽすん。
悠斗の肩の後ろに何かが降ってきたかと思えば、次の瞬間にはふわふわの黒い尻尾が、彼の首筋に絡んでいた。
「え~? 試練? 楽しそうじゃん!」
頭の後ろから聞こえてきたのは、やけに明るく無邪気な声だった。
「ねぇねぇ、どんなの? 迷宮? 鬼ごっこ? それとも狩りごっこ? ふふ、どれも楽しそう~」
肩越しに振り返ると、そこには相変わらず悪びれもなく笑うルナの姿。
会場の空気にまったく頓着せず、彼女は悠斗の横にするりと立っていた。
だが、村人たちの反応は真逆だった。
「ルナ、ふざけるな!」
「これは評議の場だぞ!」
「軽口を叩く場ではない!」
怒号が飛ぶ中、ルナは悪びれず、尻尾をふりふりと揺らす。それどころか、悠斗の肩に手を乗せて、くすりと笑った。
「ふざけてないよ~? ただ……なんか、面白くなってきたなぁって」
彼女は言いながら、ちらりと評議会を見渡す。そして、また悠斗の耳元へと顔を近づけ、声をひそめた。
「ねぇ、もし怖くなったら……逃げてもいいんだよ?」
その囁きは、冗談のようでいて、どこか本気にも聞こえた。
「あたしはどっちでも楽しめるし。君が選んだ道の先に、何があるのか……見るの、けっこう好きなの」
悠斗は言葉を失いながら、ルナの顔を見つめ返す。
金色の瞳は、あいかわらず何を考えているのかわからない。だがその奥に、一瞬だけ確かな熱を感じた。
「……なんなんだ、お前はほんと……」
「猫ってのは、気まぐれで自由なもんなの。知らなかった?」
にゃっと笑ったルナの笑顔だけが、冷たい評議の場にほんの少しだけ、色を灯していた。そしてただひとり、この村で変わらず自分に触れてくる存在。それが彼女だった。
だが、それでも——。
ここは敵の中に一人で立っているような場所だった。
試練を受ける。それはつまり、「受け入れられるか」「排除されるか」の二択。
その場で長老が再び言葉を重ねた。
「選別の場は、北の森に眠る『狼の洞窟』……そこで、お前自身の『証』を示してみせよ」
村の空気がざわりと揺れた。
悠斗の視線は、壇上のフィオナへと向けられる。
だが彼女は、やはり何も言わない。信じていない。だが、見ようとしている。
(だったら——見せてやるよ)
静かに、悠斗は拳を握りしめる。
静まり返った評議の場で、ひとつの石板が悠然と運ばれてきた。
表面には古びた文字が刻まれており、その文言は、誰もが暗記しているように繰り返される掟だった。
長老――白髪の狼獣人は、その石板の前に立ち、低く、だが確かに届く声で告げた。
「……外より来たりし者は、闇と牙に試されねばならぬ。狼の洞窟を越え、生を持ち帰る者のみが、村の友と認められる」
言葉の終わりと同時に、周囲にざわりと空気が揺れる。
悠斗は一歩、前に出て問うた。
「洞窟……? 獣の巣か何かか……?」
それに応じたのは、彼のすぐ横に立つフィオナだった。その金色の瞳には、曇りも迷いもない。
「狼の洞窟は、古の精霊獣たちが眠る場所……その牙と記憶が、今もなお残る墓所だ」
そして――。
「……本物の狼が、お前を選ぶか否か。そこで試される」
悠斗は、しばし黙って空を見上げた。夕日が差し込む中、木々の葉が風に揺れていた。
「選べる選択肢……他にねぇのか」
「ない」
フィオナの答えは、あくまで即答だった。だが、すぐに、ほんのわずかだけ声色を緩めて言葉を継ぐ。
「……だが、生きて戻れば、少しだけ信じてやる」
それが、彼女なりの情けだったのかは分からない。けれど、それを遮るように、ふわりと黒い影が悠斗の隣に現れる。
「うん、生きて帰ったら……あたしがいい匂いのおやつ、あげる♡」
ルナ。猫耳をぴょこっと揺らしながら、彼女はくすくすと楽しそうに笑う。
「……今それ言うか」
「うん、今だから言うの。だって、今がいちばん……ドキドキしてるでしょ?」
その無邪気な声に、悠斗は肩の力を抜いた。
周囲の空気はまだ冷たいままだったが、それでもひとつ、熱が灯ったような気がした。
やがて、出発の合図が鳴る。
沈みゆく陽を背に、悠斗は狼の洞窟へと向かって歩き出した。背に感じる無数の視線を振り払うように。
牙と記憶が眠る場所で、悠斗の運命が牙を剥く——はたして生き残れるのか!?
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