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第12話 精霊獣の王とは

 霧が立ち込める早朝の森。村の奥深く、湿った空気に沈むように、ひっそりと佇む古い祠があった。屋根は苔に覆われ、木の根が壁を這っている。

 その場所だけ、時間が止まっているかのような静けさに包まれていた。


 悠斗はその前に立ち、無意識に息を飲む。中から感じる何か——気配とも呼べぬ重さが、足を一歩踏み出すたびに全身へと沁みてくる。


 扉をそっと開けると、かすかな光が差し込む空間の奥。そこに座していたのは、白髪を編み込んだ老獣人だった。あの評議のときとは違い、今日は装飾もなく、ただ深い灰色のローブをまとっている。

 その背後の壁には、古代文字と共に描かれた壁画があった。

 そこには、人の姿をした者と、獣の群れが、肩を並べて立つ姿。戦っているわけでもなく、跪いているわけでもない。ただ、共に在る姿だった。


「……来たか」


 長老は目を開けず、静かに声だけを発した。

 悠斗は黙って一歩、また一歩と近づく。


「そなたに、見せたいものがある。これは記憶だ。我ら精霊獣の、最も古く、そして忘れられた王の記録」


 悠斗はその言葉に思わず、視線を壁画に向けた。

 人物の輪郭はあまりに抽象的で、男とも女ともつかない。ただその者を中心に、獣たちが円を描くように配置されていた。


「王……?」


 問い返す声は、自然と低くなる。

 長老はようやく目を開け、わずかにうなずいた。


「人の言葉を持ち、獣の心に君臨し、血を流さずして森を治めた存在……それを、我らは『王』と呼んだ」


 火の灯りが、壁画の表面を揺らす。悠斗はじっとその中心に立つ王の影を見つめていた。その姿が、どこか自分に似ている——そんな、ありえない錯覚が胸に芽生えたまま、言葉を失っていた。




 長老の低い声が、静かな祠の空間に溶けていく。壁に描かれた絵の中心に立つ人の姿が、揺れる灯火に照らされ、まるで今にも動き出しそうな錯覚を与えた。


 悠斗は自然と歩を進め、その壁画を間近で見つめた。獣と人とが、境界なく共にある姿。どこかで、見た光景。


「……これ……」


 記憶の底から、あの洞窟の情景が甦る。

 白銀の狼たちが、自分の周囲に集まり、背を向けて立ち塞がってくれたあの瞬間——まるで、自分を守るように。


「それって……まるで俺のこと、みたいじゃねぇか……」


 言葉が漏れる。自分でも信じきれないまま、だが心のどこかで否定しきれない。

 長老はゆっくりと立ち上がり、悠斗の隣に並ぶ。彼の目はまっすぐ壁画を見据えたまま、静かに語りはじめた。


「……そなたが『その力』を持つゆえに、狼たちが牙を引いたのならば……それは、選ばれたのではない」


 言葉が一拍、そこで止まる。


「……『呼び起こした』のだ。そなた自身の中に眠っていたものを、あの場所が引き出した」

「……俺が、『精霊獣の王』の……?」


 口に出してみると、あまりに浮いた響きに思わず自嘲気味に眉をしかめる。

 だが、長老は答えず、ただ首を横に振った。明確な否定ではなく、慎重に選んだような所作だった。


「まだ早い。だが、その可能性は……否定できぬ」


 言葉は静かだが、悠斗の胸の奥には、何か熱を帯びたものが残された。希望か、不安か、あるいはその両方か——自分という存在の意味が、少しずつ輪郭を持ち始めていた。




 夕暮れの光が村を斜めに照らしていた。

 広場の隅、ひときわ大きな木の根元に、フィオナは腕を組んで立っていた。

 視線の先には、壁画の祠から出てくる悠斗の姿。歩みは遅く、肩には疲労の色が浮かんでいたが、その背中は、試練を越えた者だけが持つ静かな自信を帯びていた。


「……本当に王だというのか。あいつが」


 ぽつりとつぶやいたその声には、否定とも肯定ともつかない感情が滲んでいた。信じたくない——けれど、完全に否定できるだけの根拠もない。

 フィオナの胸の奥で、言葉にならない揺らぎが生まれていた。


「んー、あたしは好きだけどなー。なんか、ワクワクするじゃん?」


 上からひらりと返ってきた声。

 木の枝に猫のように腰掛けていたルナが、尾をくるくると巻きながら覗き込んでくる。その表情はいつもの無邪気な笑み——けれど、どこか寂しげでもあった。


「……遊びで語る話ではない」


 フィオナは目を細めた。その隣に、ルナがふわりと着地する。


「そうだね、あたしも……本当はちょっと、怖いんだ」

「……怖い?」


 フィオナが振り返ると、ルナは珍しく真面目な表情で空を見上げていた。


「うん。だってね、もしあの人がほんとに王の器だとしたら……」


 ぽつり、と呟くルナの声は小さい。けれど、確かに震えていた。


「……そばにいられる時間が、そんなに長くない気がするの。全部、遠くに行っちゃいそうで」


 その言葉に、フィオナはふと目を伏せる。彼女の中にも、似たような感覚が芽生えていた。

 このまま放っておけば、あの背中はどこまでも遠くへ行ってしまう。——手の届かない場所へ。


 でも、それでも。


「……だからこそ、見逃すな、か」


 フィオナが呟いた言葉に、ルナがふっと笑って頷いた。


「うん。ねぇフィオナ。もし悠斗が“王”になっても、あたし、きっと変わらないよ」

「……変わらない、とは?」

「好きなものは好き。それだけ。……君は?」


 唐突な問いに、フィオナは答えなかった。ただ、まっすぐ悠斗の背を見つめながら、ほんの少しだけ、腕を組んでいた手をほどいた。


 悠斗の姿が、夕日の中にゆっくりと遠ざかっていく。


(私も……まだ、知らないことだらけだ)


 風が一度、村を吹き抜けた。木の葉が揺れ、ルナの耳がピクリと動く。そしてふたりは、それ以上何も言わず、ただ夕焼けの中に佇んでいた。


 それぞれの想いが交差する中、悠斗の未来が少しずつ形を成していく——。悠斗は王となるのか、それとも……?

ご一読くださり、ありがとうございました。

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