61.学校が始まりました
8月の最終週。今日から2学期だ。
学校のある平日の僕の朝は早い。
大体5時半くらいに起き出して準備を整え、母さんが用意してくれた朝食を食べて6時には家を出る。
「じゃあ行ってきます」
「気を付けて行ってらっしゃい」
母さんに見送られて家を出た僕はひとり駅へと向かって歩く。
ちなみに父さんはこの時間まだ寝てる。確か7時半に家を出れば良いからそれに合わせて7時くらいに起きてるらしい。
お陰で父さんと顔を合わせるのは夜か休日だけだ。
なぜ僕がこんなに早く家を出るかというと、通勤ラッシュに巻き込まれないようにする為だ。
「おはようございま~す」
「おはようございます。そうか今日から新学期なんですね」
「はい。またよろしくお願いします」
まだ乗客が少ない時間帯なので駅員さんも挨拶を返す余裕がある。
目が見えない僕が安全に日常生活を送る秘訣。
それは自分の味方を増やすことだ。
その最も効果的な方法として、僕は幼い頃から挨拶を徹底するようにと両親に教え込まれた。
ご近所さんに始まりコンビニ、駅、交番、果ては散歩している犬や野良猫にも挨拶を行う。
そうやって僕のことを知ってもらうことで、何かと気に掛けて貰えるようになる。
今もそう。なじみの駅員さん達は僕が転んだり他の人にぶつかったりしないかと警戒してくれてるのが気配で分かる。
実際には足音とか衣擦れの音とかで察知できるので誰かとぶつかることはまずないんだけど。
電車に乗って学校の最寄り駅に着いた後は徒歩でまっすぐ学校に向かう。
朝の早い時間は通学路も空いているので楽だ。
移動も白杖とスマートデバイスと地面の点字ブロックのお陰でスムーズに行える。
(やっぱりこの点字ブロックを考案した人は天才だよね)
日本では主要道路のほぼ全てに導入されているそうだけど、外国では駅とかの施設だけって所も多いらしい。
スマートデバイスも点字ブロックも無い時代はどうやって生活してたんだろう。
そうして学校に着けば当然のように教室は僕1人。
始業まで1時間以上あるのだから朝練の人以外はまだ寝てるって人も居るはず。
文学少年なら始業の時間まで読書をして過ごすんだろうけど、もちろん僕には当てはまらない。
じゃあ何をするかと言えば。
(瞑想、と言ったら格好付け過ぎかな)
まぁ目を閉じて耳に意識を集中させるだけだ。
別に心を無にするとかではない。
こうすることで色々な音を聞き取ることが出来る。さながら自然のオーケストラだ。
(遠くで集団で走ってる足音は野球部の朝練かな。最近は朝でも30度近いのに凄いスタミナだ。
どこかの教室の扉が開閉する音。僕以外にもこんな時間から来てる生徒が居るのか。いや先生かな?
蝉の声に鳥の鳴き声。繁殖期なのかスズメが多い気がするけど彼らは何を食べてるんだろう)
などなど。
のんびりと座っていたら8時前くらいから他のクラスメイトも教室に入ってくる。
「おっはよ~照元。やっぱ1番乗りはお前だよなぁ」
「おはよう山根君。まぁ理由もなくこんな早く学校に来る人は他に居ないって」
「うちなんて『エアコン代が勿体ないから早く家を出て』って追い出されるんだぜ」
いやになっちゃうよなぁとか言いながら僕の隣の席に座る山根君。
彼の家は両親が共働きなので家に誰も居ない方が電気代が浮くらしい。
それからぱらぱらと他の生徒も登校してきて教室内がにぎやかになっていく。
クラスメイトの雑談に耳を傾けると大体は夏休みに何してたって話なんだけど、その中でも特に多い話題はVRゲームの配信についてだった。
「最近のVRゲーは凄いよなぁ」
「ほんとほんと」
「やっぱ今話題の『究極幻想譚』。あれもうリアルと変わらないよな!」
「俺も派手に魔法ぶっ放してモンスター倒しまくりたいぜ」
「いやいやファンタジーの主役と言ったらやっぱり剣士だろう。
剣1本で果敢にモンスターに挑む姿とか格好良すぎだろ」
「私はあの『疾風』のミッチャーさんみたいに華麗に戦いたいなぁ」
「分かる分かる。ミッチャーさん良いよねぇ」
男女を問わず話題にしている。
そしてミッチャーさんはやっぱり有名人なんだなと再確認。
特に女性人気が高いみたい?
こういうのって大抵異性に人気が出そうなものだけど、上手な人なら性別関係なくファンが出来るのだろう。
あと念のため僕の名前が出てこないか確認したけど大丈夫そう。
まぁ配信に映ったのもコロンと狩人の森に行ったあの1回だけだしね。
「実はこの夏休みに父さんがVRマシン買ってくれたんだ」
「おぉ~いいなぁ」
1クラス30人も居ればそういう人も居る。
噂話を聞いた限り、このクラスで家にVRマシンがあるのは僕を除いて11人。約4割が持っている計算になる。
最近では車を買うよりVRマシンをっていう話もあるようなので近い将来、一家に一台VRマシンって時代が来るのだろう。
ちなみに僕がVRマシンを買ってもらったのは内緒だ。
VRマシンがあると羨望のまなざしで見られるのと同時に嫉妬の対象にもなってしまうから。
今もそのマシンを買ってもらった子を中心に盛り上がってるグループもあれば、離れて舌打ちしてる子も居る。
うーん、耳が良いのも考え物だな。
ぼぉっとしてると全部聞こえてしまう。
そうして賑やかになっているところに先生が入って来てホームルームが始まった。
今日は始業式なので講堂で行事を済ませて提出物を諸々出せば終わりだ。
昼前のこの時間。
クラスメイトは仲良しグループで帰りにどこか遊びに行こうと話し合っている。
僕がそれに誘われることはまずない。
これは別に僕が嫌われてるからって訳じゃなくて、僕が一緒だとどうしても気を遣わせてしまう所があるから事前に断っているんだ。
代わりに学校行事や班行動を求められた時は快く仲間に入れて貰っている。
あ、いや。これも実は気を遣わせてしまってるのかな。
今のところ陰口とかは叩かれてないから甘えてしまってるけど。
せめてそういう時は迷惑にならないように、かつ少しでも役に立てるように頑張ろう。
家に帰ってきた僕は、今までだったらニュースを聞いたり授業の予習をしてたけど今はVRマシンがある。
そして今朝届いた新作ソフト。まぁ障碍者支援用の学習ソフトだ。
これで文字の読み書きや発声の練習も出来る。
(内容が良かったらフォニーにも勧めてみようかな)
などと考えながら早速起動してみた。
ログインしたのは学校の教室くらいの広さの部屋。
机と椅子が1組あって、席に着いたら授業開始って感じらしい。
背景は変えられるみたいだから青空と草原にしておこう。
「えっと『お住まいの国は?』日本です。と」
正面の大型ディスプレイに文字が表示されつつガイド音声が流れるので答えていく。
『それでは日本語、英語、フランス語、ドイツ語、中国語、ロシア語を学んでいきましょう』
「え、いやそんなに色々必要ないんじゃないかな」
『まずは挨拶からです』
僕のツッコミには反応せず淡々と進んでいく。
音声も機械による合成音声ってのが丸わかりだ。感情のかの字もない。
こうして考えると究極幻想譚の世界は自然に受け答えが出来るし言葉も流暢だし凄い技術が詰まってたんだなって思う。
『私の後に繰り返してください』
「あ、はい」
いけない。ぼーっとしてたら置いてかれてしまう。
頑張らないと。