巫臣帰らず
そして前五九一年――荘王が薨じた。
――ついにこの日が来てしまったか。
というのが、熊審の素直な思いである。
父の死に悲嘆するよりも、これから先の自分に待ち受ける波乱を予感して、まだ若い熊審の目の前はいっそう昏くなった。
父の葬儀を終え、遺体が陵墓に納められても、荘王という名の大鳥がずっと天空を舞っていて、自分の治世を覆っているような心地である。過去に聖王名君は数あれど、その次代の名は埋没して日が当たらないことが多い。自分もまたそんな日陰の君主の一人となるのではないかと、否が応にも思わずにはいられなかった。
――私は死ぬまで、父から逃げられぬ。
そう思いながら、しかし君主として立ったからにはそんな泣き言をいつまでも言ってはいられない。
熊審は、いかに胸中にそういった苦しみを深く抱えていようとも、それを誰にも悟らせまいと覚悟を決めた。
早速、衰兆が顕れた。
当時、魯国は楚の盟下にあり、楚を恃んで斉を討とうとしていた。しかし荘王の死のせいで楚が出撃できなかったため、晋の力を借りて魯を討ったのである。
服喪の最中にこのことを聞いた熊審は、朝廷に出ることを決めた。
――元より我らは蛮夷よ。我が父も服喪の間に享楽に耽っていた。ならば、私も服喪を破ることとしよう。
動乱の時代にあって、三年の空白を生むことを熊審は善しとしなかった。
そして、魯の標的となった斉を助けるべく行動を起こした。援助の軍を出すことを決めたのである。
この時、斉との連携のために巫臣という者を斉へ派遣することを決めた。
しかし命令するにあたって巫臣を一目みて熊審が感じ取ったのは、
――この者も、私と同様に、大きなものに囚われている。
ということであった。
巫臣は荘王の頃からの名臣であり、血筋を遡れば楚の王室に辿り着く。勲功、血筋ともに優れた揺るぎのない楚の元老の一人だ。荘王の覇業の補翼の一端を担った人物であり、その賢明さは十分に知っている。
しかし今、熊審の前に拝している巫臣を見ると、その言動に冴えがない。
それどころか、自分に似たものを感じるのである。それはつまり、何か大いなるものに囚われて執心しているようなのだ。それが何なのかまでは熊審にはわからない。しかし粛々と出立の言葉を語る巫臣を見て、
――この者は、二度と戻らぬであろう。
という予感がした。
果たしてその通りになった。
巫臣は、鄭にいた夏姫という寡婦を連れて晋へ走ったのである。
それを知った楚の公子、子反は、賄賂を晋に送って巫臣を重用させないための工作をすべきだと熊審に説いた。
一つには巫臣が楚の内情に通暁しており、その智慧が楚の脅威になると感じたからであり、もう一つの理由として、子反と巫臣の折り合いが悪かったということがある。
しかし熊審は、
「巫臣の才が認められれば、晋は賂を受け取っても彼を重用するだろう。無能ならば、財貨を送らずとも擢登されまい」
として子反の提言を退けた。
この頃の巫臣は夏姫という女に囚われていた。
夏姫は春秋時代における屈指の美女であり、その妖艶さは多くの男を虜にし、その人生を狂わせてきた。その仔細を熊審は知らないが、しかし巫臣が何か、社稷や血縁よりも大きなものにその生を傾けているということだけは悟っており、故に巫臣の去就について半ば諦観していたのである。
一たび大きなものに囚われてしまった者が、そこから逃れることは実に難しい。そして、逃れようとあがくほどに破滅という名の孔底へと引きずり込まれていくのである。そういう感覚を熊審が理解していたのは、樊姫による教導の賜物であった。
――人はみな、何かしら逃れえぬ天命を与えられている。しかし、それに超克する力を同時に与えられる者は一握りしかいない。父や祖父にはそれがあった。いや、楚の覇業が曽祖父から興ったとすると、父で三代となる。余徳は尽き、天与の力はもはや楚に与えられておらぬかもしれない。
その感覚は熊審を悲観的にした。
しかし、
――だが、私は楚の君として立つことになった。それ以外のものを与えられなかったからといって、投げ出すことなど許されようはずはない。父のかげが一生つきまとい、その威光に私という存在が埋もれてしまうとしても、かげの届かぬほどの異境まで逃げてしまうようなことをしてはならない。
とも思うのは、熊審がただ荘王のかげに囚われているだけでなく、やはりその血と勇気をも継いでいる証である。
熊審には己が、運命を砕くための力を持っているとは思っていない。
だからこそ、自分なりの施策で、天命に向き合わなければならないと考えているのである。