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第4話 真・神隠し現象

「喜んでくれたかしら? 私からのささやかなプレゼントよ。遠慮せず受け取ってちょうだい!」


 タノシは事務椅子に座ってクルリと一回転すると、上機嫌で湯評タンピンに言った。

 一方、そのプレゼントを受け取った当の本人は、未だに信じられないといった様子で固まっている。


「お、お前……これ、お前がやったのか!?」

「メリー・クリスマス!」


 タノシは椅子から飛び起きると、両手を高く掲げ、片足を可愛らしく後ろに跳ね上げた。まるで何か重大な祝祭でも祝っているかのようだ。


「…………」

 湯評の口角が引きつる。

 季節外れも甚だしいボスの言動に突っ込みを入れたかったが、やめておいた。

 厳密に言えば、これは確かにクリスマスにしか起きないような「奇跡」だ。

 ……それが犯罪行為に関わっていなければ、の話だが。


「ふぅ……」

 湯評は深く息を吐き、乱れた思考を整理した。そして、意を決したように片膝を突き、彼女の真っ白で傷一つない右手を取って、その手の甲に唇を寄せた。


「これからは……あなた様の仰せのままに。我がマスターよ」


 タノシは艶然と微笑んだ。

 誇り高き白鳥のように、その白く細い首筋を反らせる。

 彼女は湯評の手を握り返した。そこには契約の証である、深い藍色の刺青が刻まれている。

 青は彼女の故郷である大海を。クトゥルフを模した文様は、彼女自身の具象だ。

 この印は世界に対し、「この男は私の所有物だ」と宣言しているに等しかった。


---


「最高のアイデアを思いついたって言うから来てあげたのに。ほら、早く聞かせなさいよ!」


 ビギナーズ・シティの中心部。五つ星ホテル「アウグストゥス・ホテル」の屋上に、二人の男女の姿があった。

 長身の美女が促すと、話しかけられた男は嘔吐でそれに応えた。


「オエェェェェ!!……」


 コンクリートの床に倒れ込んだ湯評は、胃の中のものをすべてぶちまけていた。周囲には酸っぱい臭いが漂っている。

 スタッフが飛んできて抗議したり、追い出されたりする心配はない。

 なぜなら、この巨大な建造物の中に、もはや「生きた人間」は一人もいないからだ。


 彼女がそれをどうやって成し遂げたのか。その光景を目の当たりにした湯評は、心の準備が間に合わず、今の無様な姿になっていた。

 ああ、さっきのシーンを思い出しただけで、また……。


「オゴォォォォ!!」

「……母様ははさまが『男は皆頼りにならない』と言っていたけれど、本当ね」

 タノシは心底嫌そうな顔で吐き捨てた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

(誰のせいだと思ってんだ……)

 湯評は荒い息をつきながら、彼女を睨み返した。


 元々は宿泊先を探していたのだ。タノシが湯評の部屋を「狭すぎるしボロすぎる」と拒絶したからだ。

 短時間ならともかく、一晩過ごすなんて「No, thank you」とのことだ。

 そこで、この街で最も豪華なアウグストゥス・ホテルへ連れてきた。

 湯評としては、億万長者になったのだから、正規の料金を払ってスイートルームに一年くらい住むつもりだった。


 だが、フロントに着くやいなや、彼が財布を取り出す暇もなく、新ボスは「驍勇ぎょうゆうさ」を発揮してしまった。

 そのまま無双モードで突き進み、このホテルというダンジョンを完全に「攻略」してしまったのだ。

 湯評はせめて空室を見つけて休もうとしたが、閉所恐怖症のような感覚に襲われた。近くの部屋で「何が起きたか」を想像すると呼吸が困難になる。

 結局、外気を感じるために屋上へと逃げてきたのだ。


 幸い、満天の星空を眺めていると気分が落ち着いてきた。

 ――次の瞬間に、血まみれのタノシが飛び込んでこなければの話だが。


---


 二十分後。

「情けないわね、それでも男かしら! ほら、これでも飲みなさい」

 タノシがどこかの部屋からくすねてきたミネラルウォーターを投げた。

 湯評は遠慮なくキャップを開け、一気に煽った。


「ゴクゴク……ぷはぁっ!」

 生き返る心地だ。湯評は袖で口元を拭い、ようやく人心地ついた。


「それで、話してちょうだい。あなたの言う『いい方法』ってやつを」


 湯評は呼吸を整え、脳内で計画を精査した。

 実現可能性を今一度検討し、ようやく口を開く。


「……『国』を作りましょう」

「国を作る?」


 タノシは困惑した。自分が欲しいのは信者であって、なぜわざわざ国を作るという難易度の高いことをしなければならないのか。

 湯評は頷き、言葉を継いだ。


「ええ。あなた様は『邪神』です。この星のどの国家も、あなた様が宗教を立ち上げることを許さないでしょう。むしろ、その恐怖の存在を消し去るために、あらゆる手段を講じてくるはずです」


 もしタノシが「自称」神なら問題はなかった。だが、彼女は「本物」だ。それが厄介なのだ。

 神代の終焉から二千年余り。宗教の影響力は衰え、代わりに巨大財閥や政治家が権力を握っている。

 ピラミッドの頂点に君臨する彼らは、自分たちこそが地球の主だと信じて疑わない。

 そこへ「本物」が現れて「王権神授、下等生物は私に従え」などと言い出せば、彼らがどんな顔をするか想像に難くない。


 神は聖書の中にいればいい。祭壇の上にいればいい。

 決して現代社会をのし歩いていい存在ではないのだ。

 タノシの存在そのものが、各国の主権に対する挑戦状になってしまう。


「ですが、自分たちで新しい国を作ってしまえば、宗教も法律も思いのままです。黒を白と言い張ることさえできる。他国の顔色を伺う必要も、現行法に縛られることもありません。なぜなら、それは『我が国内の純粋な内政問題』だからです」


 これが湯評の導き出した最適解だった。

 インスピレーションの源は、あのアイスクリーム・ギフトの箱だ。そこに描かれた牧場、家畜、柵、そして麦を抱えた農夫。そして「ワンダー牧場」の文字。

 これらを組み合わせたものが、彼の言う「建国」の核心だった。


 湯評は知っている。ゲームにおいて最も利益を得るのはプレイヤーではなく、運営会社だということを。

 プレイヤーは運営が作ったルールに従うしかなく、誰を罰し、誰に報酬を与えるかはすべて主催者の匙加減ひとつだ。

 途中で脱落する者がいても構わない。新しい「プレイヤー」を補充し続ければいいだけだ。


 つまり、やるべきことはルールの策定とフレームワークの設計。

 信者……いや、「プレイヤー」たちが自ら進んで留まりたくなるような遊園地を作ることだ。

 彼らが喜んで羊毛と牛乳を生産し続ける仕組みさえ作れば、それはWin-Winの関係になる。


 タノシはしばらく考え込み、問いかけた。

「……自信はあるの?」

「ありません!」

「…………」

「ですが……」

「?」

「……試してみたいと思いませんか? 成功すれば莫大な富と力が手に入ります。失敗したところで……」

「……失うものなんて何もない、ってわけね? あははは!」


 タノシは愉快そうに笑い声を上げた。これほど面白い人間は初めてだ。

 信者集めはおろか、神国の作り方さえ彼女は知らなかった。

 彼女は正統な神の系譜ではなく、戦うこと以外の知識には疎い。

 「信者を集める」という発想自体、氷の大陸で喰らったあの乾いた死体の記憶によるものだった。


「いいわ、決まりよ! 『忠僕ちゅうぼく』!」

「忠僕?」

「私がつけてあげた愛称よ。どう、気に入ったかしら?」

「……どうもありがとうございます(白目)」


 湯評は呆れたように目を逸らした。

 てっきり下僕階級を脱出できるかと思ったが、結局は「社畜」のままではないか。


 湯評の不満げな様子を気にする風もなく、タノシはニヤリと笑った。

 彼女は遠くの空に輝く一番星を見つめ、思考を巡らせる。

 あの死体の記憶が真実ならば、かつてのあるじもこうして強大な神国を築き、信者から絶え間ない信仰の力を得て、さらなる高みへと至ったはずだ。


 湯評の方法とは多少の違いはあれど、本質的には同じだ。

(私に……できるかしら?)

 それは恐怖や不安からくる問いではない。

 「私ならできる」と、自分自身に言い聞かせるための確信だった。



「タノシ様、明日には出発しましょう。2012年の大激變ビッグ・チェンジ以降、太平洋には無数の無人島が現れました。他国に気づかれずに国を興すには十分すぎる数です。そこで新しい国を作り、あなた様を頂点とした宗教を創設するんです」


「ええ、明日の早朝に出発しましょう。……でも、その前に。ふふふっ」


 タノシはまず湯評タンピンの腹部をなめるように見つめ、視線を太ももへ、そして最後には脳(頭)へと移した。

 そして……ぺろりと唇を舐めた。


「え、ええ……。なんだよ、その目は?」

 湯評は思わず後ずさりしたが、背後には無情なコンクリートの壁が立ちはだかっていた。逃げ場などどこにもない。

(くそっ! このデジャヴ、最悪だ!)


「お腹が空いたわ! 先に何か食べさせてくれないかしら?」

 タノシは自分のお腹をさすりながら、妖しく微笑んだ。


「…………」

 その言葉は問いかけの形をとっていたが、実質的には拒絶を許さない絶対的な意志が込められていた。もしここで機嫌を損ねれば、自分が「前菜」にされるのは火を見るよりも明らかだ。


「はぁ……。全くだ、わがままなボスだよ。……せめて、苦しませずに終わらせてやってくれ。現代社会なんだから、人道的にな」

「簡単よ~」

「そうだ、この街を封鎖して、中の人間を出さないように。電子信号も遮断してくれ。後で面倒なことになるからな。それくらいなら……」

「余裕よ~」


 タノシは自信たっぷりに言葉を遮った。

「じゃあ、この場所と、ここ、それからここに行ってくれ。大抵の奴らはまだ会社で残業してるはずだ。……ああ、こいつらは例外だ。残酷にやってもらって構わない!」


 湯評はスマホの地図を開き、いくつかの地点をマークして見せた。

 それは彼がかつて働いていた場所であり、一生消えないトラウマを植え付けられた場所だった。

 だが、その因縁も今日で終わる。



 深夜十二時。

 湯評はアウグストゥス・ホテル近くのスーパーの軒先で、バーベキューの準備をしていた。

 手際よくコンロの上に食材を並べていく。サイコロステーキ、豚バラ、牛バラ、トウモロコシ、ソーセージ、椎茸、秋刀魚、イカ団子、さつま揚げ……。ありとあらゆる新鮮な食材がそこにはあった。

 中身を空けたパックが、足元に無造作に散らばっている。

 もし誰かが見ていれば「ポイ捨てはやめろ」と叱るだろうが、ここには湯評しかいない。ルールを破ることすら不可能な場所なのだ。


 炭火の熱が上がるにつれ、肉はこんがりと黄金色に焼け、食欲をそそる香りが漂い始めた。パチパチという脂の弾ける音が、静寂の夜に賑やかな交響曲のように響く。

 湯評は刷毛をタレに浸し、豪快に食材に塗りたくった。まるで画家がキャンバスに色を乗せるように。

 そして、彼の口からは軽快な歌が漏れた。


「白い天使、白い天使、華麗に踊る~♪ 今日の彼女はご機嫌さん、迷い犬を見つけたよ~♪」

「お食べなさい、お食べなさい、食べ終わったら一緒に帰ろう~♪」

「ボロボロの人形、ボロボロの人形、天使を囲んで不器用なダンス。今夜は大宴会だね~♪」

「食べきれないラムチョップ、飲みきれない赤ワイン。ここはきっと天国さ~♪」

「悲しい人形、悲しい人形、皆同じ歩調で、皆同じ笑顔で。血色の天使へ進め~、安らかな夢の世界が待っている~♪」


 静かな夜。歌声と焼肉の香りが混じり合い、周囲の民家へと漂っていく。この孤独な街に、わずかな人の温もりを添えるかのように。


「ん~、いい匂いだ。さて、次は……」

 湯評は焼き上がった串を一つずつ皿に取った。すぐに皿の上には肉の山ができ、テーブルいっぱいに広がった。

 湯評は牛串を手に取り、大きく一口かじった。

(……柔らかいな)


 次にトウモロコシをかじる。

(……甘いな)


 コーラを一本開け、無理やり喉に流し込む。

 炭酸が喉を突き刺して痛いが、なぜか今はそうせずにはいられなかった。


「はぁぁ……っ!」

 コーラを置き、次の串に手を伸ばそうとした時。

 彼は躊躇した。


(俺は、これを食べるべきなのか? 食べてもいいのか?)

(こんな酷いことをしておきながら?)


 湯評は迷っていた。だが、自分自身が何に対して迷っているのかさえ定かではない。

 これは罪悪感だろうか? 誰も救わなかったことへの?

 結局、彼は手を伸ばし、さつま揚げを掴もうとした。だが、触れる直前で指が止まる。

「…………」

 今度は鶏串に狙いを変えるが、持ち上げては、また戻す。


(クソッ! どうしちまったんだ、俺は!)

(目の前には憧れだった高級食材が山ほどある。選択肢はいくらでもあるんだ。迷う必要なんてないだろう!)

(早く食えよ! ずっと夢に見ていた満腹感が目の前にあるんだ。詰め込めよ!)

(今さらわがままを言ってるのか? 犠牲になった連中に申し訳ないと思わないのか!?)


「いや……」

 俺は、ただ……。


 湯評はテーブルを見つめた。真っ赤に燃えるコンロ。空っぽの街。そして、自分一人。

 話しかけてくる者もいなければ、杯を交わす相手もいない。

 十人分の食材は、一人分しか減っていない。

 なぜなら、ここにいるのは俺だけだからだ。


(コミュニケーションってのは、贅沢品だったんだな)

 ふと、そんな考えが頭をよぎった。


「はぁ……。安らかに眠れ、皆。お前らの死を無駄にはしない」

(今の残虐さは、未来の慈悲のためだ。……もし来世があるなら、次はアイツから遠く離れるんだぞ)


 湯評はタノシがいる方向を見つめた。そこにある「影」が、少しずつ減っていくのを。

 彼は再びコーラを手に取り、一気に飲み干した。



 西暦2040年3月21日。

 その夜、誰に気づかれることもなく、街全体を照らし出すほどの巨大な緑色の光球が空へと放たれた。

 数秒後、それは街を丸ごと包み込んだ。

 爆発もなく、悲鳴もなく、流血もなかった。ただ、音もなく穏やかな一夜が過ぎ去っただけだ。


 後世の人々がここを「幽霊都市ゴーストタウン」と呼ぶ由来は、ここにある。

 同時に、世界中のメディアが注目し、全人類を震撼させたこの「神隠し事件」こそが、アイリンド共和国という国家が辿る悲劇の幕開けとなった。


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