第16話-真相
「全員散開! 火力集中させろ!!!」
隊長の咆哮が響き渡った。彼は手にした地図を投げ捨て、真っ先に目の前の怪物へ向けて引き金を引いた。
イ・ヒョンプンと残された五人の兵士たちも散り散りになり、遮蔽物を見つけては狂ったように銃弾を撃ち込んだ。
耳を劈く銃声が、通りの静寂を粉砕する。
一匹、二匹、四匹……。濃烈な生臭い臭いと共に、車ほども巨大な狼たちが、次々と通りに姿を現した。
青灰色の毛皮に、顔や四肢に刻まれた奇妙な黒の紋様。
その口は、成人男性を丸呑みにできるほどに巨大だった。
断言できる。これは地球上に存在する生き物ではない。ゲームの中から這い出してきた魔物そのものだ。
何より恐怖だったのは、これほど巨大な巨体がすぐそばにいたというのに、誰一人として気づかなかったことだ。
(まさか、俺たちがここを通るのを知っていて、待ち伏せしていたのか?)
その疑問を深く追求する余裕など、ヒョンプンの脳内には残されていなかった。
計七頭の巨獣たちは、想像を絶する敏捷さで通りを駆け巡った。
軽く跳躍するだけでSUVを飛び越え、ある個体は重力を無視してビルの壁面を疾走する。
四人の兵士が掃射しても、その尻尾さえ捉えられない。
奴らの顔……あれは、楽しんでいるのか?
突然、壁を走っていた巨狼が天を仰いで遠吠えを上げた。
刹那、草緑色の光を放つ刃が虚空に無数に出現し、弾丸に劣らぬ速度で飛来した。
瞬きする間だった。三人の兵士の肉体は、遮蔽物ごと微塵に切り裂かれた。
離れた場所にいた隊長とヒョンプンは、一瞬だけ視線を交わした。
次の瞬間、二人は迷うことなく銃をフルオートに切り替え、ありったけの火力を叩き込んだ。
空薬莢が舞い、血肉が飛び散る。
ここは戦場ではない。地獄だ。
「……ふぅっ!」
ヒョンプンは勢いよく顔を上げた。後頭部が鉄製の棚に強く当たり、スナック菓子の袋が数個落ちてくる。
周囲の光は先ほどより暗く沈んでいた。……寝てしまったのか?
窓の外に目を向けると、通りは夕焼けに染まっていた。間もなく夜が来る。
隊長たちはどうなった……。無事に逃げ延びただろうか。
「こちらビー8。隊長、聞こえますか」
耳元に届くのは、ただの静寂。
ヒョンプンは激しい頭痛に襲われた。
地図を持っているのは隊長だけだ。彼がいなければ、駅の臨時拠点に戻ることなど不可能に近い。
太陽の位置から方角を推測することはできるが、一人での行動はあまりに無謀だ。
(他の部隊の救助を待つか? ……いや、上層部が助けをよこす保証なんてない。そもそも俺の居場所も分かっていないんだ)
やはり、自力でこの街を抜けるしかない。駅か、あるいは他の拠点が設営されている場所まで。
明日の朝に出発すれば……。
いや、ダメだ。昔、動物チャンネルで言っていた。狼は極めて知能が高い生き物だと。
人間と同じく、環境に合わせて活動時間を調整し、狩りの効率を最適化させる。
昼間に遭遇したのなら、夜こそが奴らの休息時間である可能性が高い。
奴らの朝食にされる前に、この夜のうちに逃げるチャンスを逃してはならない。
だが、夜には別の魔物が現れるかもしれないし、照明器具もない中で暗闇を移動するのは現実的ではない。
……なら、今すぐだ。
まだ残光があるうちに、ホテルかどこか、安全な避難所を見つけて一晩を凌ぐ。それが最善だ。
「よし……!」
決意を固めたヒョンプンは、店内の物資を漁り始めた。
無駄に動き回らず、手近な棚からビーフジャーキーやチップスを掴み、ミネラルウォーターで胃に流し込んだ。
腹を満たすと、予備のチョコレートとジャーキーをポケットに詰め込み、レジにあったライターを二つひっ掴んで、店の外へ出た。
柱の陰に隠れ、慎重に通りを窺う。
(……あそこにある建物、オーガスタス・ホテルじゃないか?)
今夜の宿はあそこに決めた。
周囲に危険がないことを確認し、ヒョンプンは全速力で駆け出した。
驚くほど幸運なことに、道中で魔物に出会うことはなかった。
ホテルの向かいにある路地まで、スムーズに辿り着いた。
あの通りを横切れば、安らかな夜が手に入る。
「ハニカムへ。ビー8、支援を要請する。応答せよ」
ホテルに入る前、最後にもう一度だけ救助を求めた。どうせ繋がらないだろうと思っていたが、今度は応答があった。
『こちらハニカム! 現在の状況を報告せよ。全部隊と通信が途絶している! ビー8、貴様の現在地は? 生存者は何名だ!? どのような支援が必要か!?』
「俺は……!」
狂喜したヒョンプンが答えようとした、その時。
目の前の光景に、彼は氷ついた。全身に鳥肌が立つ。
ホテルの開け放たれた入り口から、一頭の巨狼が悠然と歩み出てきたのだ。
毛並みも、紋様も、今朝遭遇したあの魔物と同じ群れのものだ。
狼の前に黒い渦が現れ、中から淡緑色の水晶が一つ、転がり落ちた。
狼が前足でそれを踏み砕くと、瞬く間にその巨体は透明になり、大気へと溶け込んで消えた。
ヒョンプンは両手で必死に口を塞いだ。眼球がこぼれ落ちそうなほど見開かれる。
今朝の出来事が、脳内で急速に再生される。
突如として現れた魔物。陥落した拠点。
これは災害などではない。仕組まれた「陰謀」だ。
奴らはただ巨大化した獣ではない。思考する「悪魔」だ。
そして、目の前にそびえ立つホテルは、避難所などではなく、決して足を踏み入れてはならない「魔窟」だった。
**――シュッ!!**
突然、頭上から空を切り裂く音が響いた。
ヒョンプンが顔を上げる。
――そこには、**「羽の生えた太陽」**があった。
それは鋼鉄をも溶かす熱量を孕み、隕石のような速度で、彼めがけて突き進んでくる。
(……俺は、死ぬのか?)
『ビー8! ビー8! 応答しろ! 位置を報告するんだ! ビー8!!』
ヒョンプンは答えなかった。
彼はただ静かにその光景を見つめ、耳の無線機をそっと外した。
次の瞬間、太陽が着弾した。
炭素で構成された肉体は抗う術もなく、文字通り「炭」へと変わった。
街は、再び沈黙に包まれた。
同じ時刻。新手市から約二百キロ離れた場所。
エリンデ共和国の首都、天龍市。
市中心部のあるビルは、今や災害対策センターへと作り変えられていた。
スーツ姿の役人、迷彩服の軍人、警察制服の警官。
服装はバラバラだが、彼らには一つの共通点があった。
誰もが、一刻の猶予もないほどに忙殺されているということだ。
「新手市の臨時司令部から連絡です。本日派遣した部隊は、すべて音信不通となりました……」
「第四救助部隊は隣町で待機中。明朝、一番で出発可能です……」
「江博士との連絡はまだか? 放射能汚染の検査報告書はどうなっている!」
「先ほど電話しました。データの整理中だそうで、二十分後にはファックスで届くとのことです」
「大統領閣下からの至上命令だ。今夜中に信頼できる報告書をまとめろ。明朝、記者会見を開いて真相を公表する……」
上層部の面子を守るため、そして国民の圧力に応えるため、対策センターの全員が死に物狂いで働いていた。
理由は他でもない。各国のニュースのトップを飾った重大事件――新手市の大規模「神隠し」事件である。
事件発生の翌日、新手市へ通勤しようとした人々は驚愕した。街から「生きた人間」が一人残らず消えていたのだ。
280万人の市民が、跡形もなく消え失せた。
電灯やエアコンは正常に作動しており、食卓には料理が並べられたまま。テレビからはバラエティ番組の笑い声が虚しく響いている。
すべてがいつも通り。ただ、それを享受する「主人」だけがいないのだ。
何が起きたのか、消えた人々がどこへ行ったのか、誰も知らなかった。
警察当局は必死に手がかりを追った。監視カメラの映像、ドアの破損、交通事故の痕跡、放射能、ウイルス。ありとあらゆる調査を行ったが、何も出なかった。
銀行の金庫は一つも破られておらず、不法侵入の形跡もない。
自然災害でも、人為的な破壊でも、放射能でも毒素でもない。
まるで、一秒前までテレビを見ながらビールを飲んでいた人々が、次の瞬間、そのまま空間から蒸発してしまったかのように。
事件の二日目、軍は街へ通じるすべての道路を封鎖し、専門の科学調査チームを送り込んだ。
市街地では電波障害が起きていたが、駅周辺では辛うじて通信が可能だったため、軍はそこを気に留めず臨時司令部を設営した。
当初は順調だった。何の問題も起きていなかった。
だが、三日前。突如として一個小隊が消息を絶った。
二日前、サンプル採取のために市中心部へ潜入した五人の科学者と、七つの捜索チームが定刻を過ぎても戻らなかった。
そして今日――。
駅の臨時司令部を除き、市街へ入ったすべての人間が消え去った。
「どうしてこんなことになる……。280万人が消えて、手がかり一つないだと? エイリアンの誘拐じゃあるまいし、ふざけるな! 明日の記者会見、上層部に何て説明すればいい。ネットの連中に何て言えばいいんだ!」
ようやく完全な報告書を手にした臨時調査指揮官、警政署長の陳家慶は、安堵するどころか、その顔に深い皺を刻んだ。
人生で最も緊張した一日は、妻が子供を産んだ日だったが、今日はそれを軽く超えている。
この「ゴミの山」で、どうやって国民を納得させろというのか。
陳は報告書を床に投げ捨て、窓の外を睨んだ。
気候、建物被害、人為的破壊、放射能、ウイルス、通信記録、出入国記録……計十二項目にわたる報告。
中身は実質、白紙も同然だった。結論はすべて「異常なし」の一言に集約されるからだ。
「異常なしだと? これこそが最大の異常だろうが! 畜生め、どいつもこいつもどこへ消えやがった!」
陳は着任してまだ三ヶ月。私腹を肥やす間もなく、責任を取って辞任しろというのか。
その時、オフィスにもう一人残っていた人物が、散らばった紙を拾い上げ、丁寧にデスクに戻した。
「陳署長、一つ奇妙な点があります……」
仕立ての良いブルーのスーツを着たその男は、胸に精緻なアカデミーのバッジを付けていた。一見すれば大学生のようだ。
普段なら陳も親切に茶を出し、世間話でもしただろう。だが今の彼に、そんな余裕はない。
「奇妙な点だと? 奇妙じゃない点があるなら教えてくれよ! エイリアンが攻めてきたって言われた方がまだ信じられるわ!」
陳は八つ当たり気味に青年の言葉を遮った。
青年の名は佐藤新二。欧林共和国でその名を知らぬ者はいない「学生探偵」だ。
彼の家系は古くから推理に長け、特に父親はテレビでもお馴染みの世界的名探偵である。
新二もまた、その才能を色濃く受け継いでいた。幼少期から頭角を現し、数々の難事件を解決してきた彼は、警察界のスーパースターだ。
彼の最も有名な手口(?)は、遊園地で怪しげな取引を行う黒ずくめの男を目撃した際のことだ。注意を逸らすためにシェリー酒の瓶を投げつけ、相手が振り向いた隙にサッカーボールを「股間」に叩き込んで制圧したという。
後にニュースで「爆弾(玉)事件」と報じられた伝説である。
政府はこの未曾有の事態を重く見て、新二に支援を要請した。陳自身も彼の能力に頼り切り、最大限の調査権限を与えていたのだ。
「いいえ、陳署長。監視カメラのない一般住宅はともかく、銀行や重要施設には24時間体制で警備員がいたはずです。ですが、夜の10時前後を境に、モニターに映っていた人々が不自然に消失している。分かりますか? 次の瞬間、突如として、瞬時に、完全に……消えているんです」
佐藤新二は真剣な面持ちで、事件の核心を突いた。
「……つまり、超自然的な現象だと言いたいのか?」
280万人を跡形もなく消すなど、人間や組織、国家にできる芸当ではない。
だとすれば残る可能性は一つだ。
科学の時代。ロケットが月に届き、メタバースが実現したこの時代に「オカルト」か。陳は内心で鼻で笑ったが、それ以外に説明がつかないのも事実だった。
「陳署長、これが超自然現象かどうかは別として、もはや我々警察の手に負える規模ではありません。大統領府へ報告し、彼らに伝えてもらうべきです」
「……GCPのことか?」
陳は言い淀んだ。
エリンデ共和国はかつてGCPの植民地だったが、戦後は良好な関係を築いてきた。経済、文化、犯罪データベースまで共有している。
そしてそこには、公にされない秘密条約があった。
「超自然現象が発生した場合、必ずGCPに通報しなければならない」という強制規定だ。
当時のGCPの態度はあまりに強硬で、国家間の対等な交流というより、上司から部下への命令に近いものだった。
エリンデ政府はそれを飲み込むしかなかった。国際社会は正義や善意ではなく、力(拳)の大きさで動いているからだ。
「いいだろう……。どのみち我々にはどうすることもできん。事件が解決するなら、それでいい……」
数秒の葛藤の末、陳家慶は折れた。
受話器を取り、大統領府へ直通の電話をかける。
「大統領閣下。陳家慶です。今回の調査結果ですが……」




