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第36話 バイオチップ

 その日は、事件から一週間ほどが経過した後だった。相変わらず工場にも行かない秀だが、理由は前回とは違う。

 明らかな緊張感からの解放で、思考が全く定まらなかった。何をするにしても無気力だった彼だが、二日三日経つと、自然と部屋を出ていたのだ。

 これには両親が驚いた。口喧嘩は相変わらずだったが、秀の部屋からの出立は想定できなかったのだろう。二人して口をあんぐりと開ける横で、秀はぼんやりとココアを飲んでいた。



 チャイムが鳴る。土曜という事で家族全員が揃っていたが、玄関に立ったのは母親だった。


「あら、これはまた……」

「どうも。また会う事になりましたな」

「川上さん、でしたか」

「覚えてくれて嬉しいですな。忘れる事も難しいでしょうがな」


 公安部総務課川上課長は、髪の乏しい頭部を撫でながら会釈をした。両親からしたら予期せぬ来訪者ではあったが、秀は違う。


「お元気そうで何よりです」


 千恵は玄関に出向いた秀に対し、軽い返事をした。屋内にも関わらず香草煙草を手に持つ彼女は、両親からの睨みも無視して、川上と共に脚を踏み入れた。


「ま、早速お話に入りたいんですがな。息子さんはお元気そうですな」

「はい」

「ま、お分かりかと思いますがな。息子さん、秀君の身の振り方について、ご両親とお話ししたいんですな」


 リビングに静寂が走る。時間にして僅かではあったが、屋外で聞こえる車の走行音や工事用GDMの騒音が、オーケストラのように聞こえた。


「結論から言いますとな。息子さんは警視庁で直々に保護する形を取りたいのですな」

「え?」

「公安部の監視下において、彼の身柄を御守りしたいと、申しますのですな」

「ちょ、ちょっと待って下さい。話が、話が急に」

「以前お伝えした通り、お子さんの存在は特異性が高いのですな」

「でも、でも保護観察とあの時は」

「そこに関しては、調査研究が進んだ結果と言えるでしょうな」


 両親の顔に不安が広がる。


「説明するのは、構わんですがな。いかんせんこれは、デリケートな問題にもなっていましてな」

「秀の、この子の脳内に埋め込まれたという、あのチップの事ですか」

「まぁ、そうですな。そのチップについて、どうしても我々の監視下が強い環境を用意せねばならんとなりましてな」

「教えてください」


 唇を真っ青にする母親の横で、秀は川上と千恵を真っ直ぐに見抜いた。


「教えて下さい。俺のバイオチップについて」

「うーん、それは中々難しいお願いですな。機密保護法の問題もあるしな」

「聞いてから決断します。聞かなくては、納得できません」

「まぁ、理屈は君の通りなのだがな。これは本当にデリケートな」

「教えて頂きたい」


 父親の真一文字に結ばれた口が開くと、警官達を揺り動かす。


「これはかなり機密性が高い問題でしてな。何より情報そのものが、皆さんを傷つける話ですのでな」

「私は、この子の父親です」


 それ以上言葉は無かった。だが川上と千恵は互いに目を合わせてから、片方は天を仰ぎ片方はそっぽを向く。


「……お子さんの脳内に埋め込まれたバイオチップ。今回の調査で、主な使用目的が判明しました」

「「「……」」」

「目的は、GDM操作の再現性向上。大脳基底核を始めとしま電気信号の生成による、思考伝達の再現度を極めて高くしているようです。そして問題なのが、副作用」

「……バイオチップは、GDM、特にプロメテオ本体に内蔵されたコンピュータが発信する、特殊な電波によって、その活動を抑制してあるんですな。つまり、プロメテオに乗り続ける限り、バイオチップは限定された機能しか作動しない」

「逆を言えば、プロメテオに一定期間搭乗しない場合、バイオチップは脳幹部への過干渉を行います。脳幹は生命機能の維持を司る重要な器官」

「お子さんは、GDMプロメテオに乗り続けなければならんのです。そうでなくては、いずれ死ぬ」


 想像は、していなかった。予想を遥かに超える現実に、秀の眼前が暗くなりかける。父親が額を抑え、母親が握りしめた湯呑みを傾けても、その場は何も変わらなかった。


「摘出の実現性も、今は高くないと専門家の指摘がありました。ICチップは普及してはいますが、脳と完全に癒着するバイオチップに関しては、臨床データが乏しいそうです」

「酷な事に、追加条件として一定量のアドレナリンを代表する、興奮物質も必要だそうですな。興奮した状態でプロメテオに乗り続ける、こんな生活は警視庁でも保証できかねるのですな」

「私が班長を務める臨時行動班は、現在所有するGDMが存在しない状況です。川上課長指揮の下、私の班でプロメテオを保管し、定期的な搭乗をしてもらいます」


 千恵の説明を聞いた秀は、思わず立ち上がった。


「あの、搭乗って?」

「予定では模擬戦を行う算段です。私の管轄になる次世代機械対策本部・機動一課の面々がバックアップし、機動二課などの協力の下、実戦に近い状況を再現します」


 千恵は表情を変えない。秀は己が言葉が自然と語られる様を、俯瞰した形で観察した。


「分かりました。俺、行きます」

「ほう」

「その代わり、条件があります」


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