第十話 上の回想
「で、お前さんも謹慎かい」
「一週間、丸々」
「短いな。一ヶ月は喰らうと思っていたぜ」
「査問会に提出したデータが、何処からか横槍を呼び寄せたみたい」
「もう提出したのってのか?相変わらず仕事が早ぇな。どう送ったかは……聞かない方がいいんだろ」
「私の部下は、優秀な人材が豊富なのよ、お祖父さん」
「おお。そうですかい。そりゃまた心強いこって」
千恵は正彦の運転する捜査用車の後部座席の真ん中に腰掛け、香草煙草のスイッチを入れた。合法大麻と市販の香水を混ぜて作る独特の水蒸気を肺に吸い込んだ彼女は、後部ミラーに映る先達の睨みを無視して、淡い青色の水蒸気を吐き出す。
「昔から売られた喧嘩には乗っかるなぁ。もう独り身じゃねえんだぜ?」
「反省はするわよ。だがあそこまで露骨に売られちゃ、買わないと私が腰抜けになる」
「仕方ねぇやな。で、何言った?」
「ん?別れ際にね、大坂育ちの御武家様に少し」
「まーたお前は……。ラーマが送ってきたデータあんだがよ、どうする?」
「気になるなら開いたら?」
正彦がハンドルの裏のボタンを操作すると、途切れ途切れの会話が再生された。
『……失礼ながら、大坂という西を代表なされるご立派で御大層な集いが、たかが琵琶の湖などといった広大なだけの湖水に、脚を掬われるとは夢にも思いませんでした……』
「あーあー。ったく困ったもんだぜお前さんには。すっかり東京の方が長えのによ」
「売られた喧嘩は買うと言ったでしょう?」
初対面の頃から変わらない、己の立場をあらゆる次元から切り離す、千恵の立ち振る舞いに正彦は深々と溜息をついた。
彼女がここまで横暴とも言える言動ができるのは、単に保持するカードが強力だからである。
「おう、そっちは見とけよ」
とは言っても、カード無しの頃から己の主張を曲げた事例は、数えるほどしか知らないが。
正彦がハンドルのグリップを一撫ですると、予めプログラミングされたファイルが、車体を伝って千恵に転送される。座席のシートに埋め込まれたマイクロチップから腕の情報端末に送信されたファイルを閲覧した千恵は、少しだけ眉を顰めた。
「八代さんに問題は無いのよね」
「数字上はな。流石に最後の方で向精神薬や
増強剤の投与があったが、これは避けられねぇ。それを踏まえても抑制薬も最小限で大丈夫だ」
「それもそれで、不安になるわ。本当に大丈夫なの?」
「いつも通り。帰りはラーマの横に座らせている。何かあっても対応は早いぜ」
千恵が精魂疲れ果てた部下の、助手席でうたた寝をする絵を頭に描いていた時だった。ふと真剣な面持ちになった正彦がハンドルを切る。
「どう思う?」
「どっちの話?」
「GDM」
「分かってはいる事だけど、規格外ではあるし有用よね。まさか水面上での擬似的ジャンプを、連続で成功させるなんて。目の当たりにしなきゃ疑った」
「ありゃ色んな場所で、また騒がれるぜ。サイバー班に念を押しとくよ」
「部長にも伝えておくわ。前に噂になった二機目の話は?」
「コストの面がどうにもならんと。柔軟性と強靭性の両立に必要なレアメタルは、主要算出地域の中央アジアを、中国が締めているんだろ」
「それと今度のウォータージェットパック。私としては使いたくないわね。水草や廃棄物の除去を前提にしないと使えないなんて、移動手段としては候補にしたくないから」
「愚痴は聞くがよ。そこら辺の話しは、母ちゃんとやれや。俺はあくまでも整備士上がりの内科医なだけだぜ」
正彦のぶっきらぼうな一言に、千恵は舌打ちで返した。
「年寄りの癖に、若輩者に手厳しいよ」
「んな事はないだろう」
「こういう時は、嘘でも私の側に立ってくれるものじゃなくて?」
「立ってるじゃねぇか」
「まぁ、そうなんだけどね」
「何だい全く」
長年の付き合いである二人は、目的地に到着するまで、ずっとこの調子だった。
「しかし何だってまた、滋賀なんかでテロが起こるのかね」
「事前資料読んでないの?湖北の限界集落跡地が利用されたそうよ。そこにGDMと武器弾薬を隠し、廃墟化したキャンプ場で試運転していたと」
「港北?……ああ、湖北か。キャンプ場?んなものあんのか?」
「ブームになったのよ、20年ほど前にね。地域活性化の為に勇んで整備したら、ブームが終わって無用の長物」
「あーあ。んで気が付かねぇのか、誰も。あ、誰もいねぇのな」
「地域の警察には解体用GDMと申請されていた。となれば、わざわざ念入りに調べるほどの余裕は悲しいけど」
「地方部の限界集落問題かい。聞き飽きたぜ」
「対策は私達の範疇を超えた話よ。精々地方自治体に努力してもらうよう、意見書を出す程度が関の山」
捜査用車が東京湾岸に伸びる幅広い舗装道路を駆け抜ける頃、千恵が後部座席の窓を開く。半分ほど開かれた空間に夜風が吹き荒ぶと、彼女のポニーテールが空に舞った。
「早い帰りなのに、皆元気そうだ事」
「ん?母ちゃんが寝てないんだろう。なら皆付き合っている」
「ボーナスも部長と話し合うわ。今回は整備が特に大変だから。補助ロボットは増やしたんだけど」
「どうにもならねぇよ。幾ら自立型補助ロボットが実装されたとしても、人間の関与を完全に排除できる訳ねぇのは、昔から分かってら」
「これでも十数年前と比べれば、大分マシになったからね」
「その点はお前さんも頑張ったぜ。手段は褒めれたもんじゃねぇが、俺達より酷い場所を探す方が簡単なのは、今もかわりゃしねぇもの」
「補うとしたら精神面なのよね。頼りにしてるよ、お祖父さん」
「ま、そうだな。ここからはワシの本領なんだなぁ」
正彦の顔に、緊張感が漂い始めた。彼の受け持つ基地職員のメンタルヘルスは、事件が一段楽ついた今こそ、重要性を増すのだから。
眠らぬ都市東京、その大海原は第二品川特区の一画に帰還する千恵は、眼前に広がる光景に目を移した。
(もう、一年近く経つのよね……)
彼女が束ねる警視庁次世代機械対策本部・機動一課所属「臨時行動班」が本格稼働を始めて、からだ。
(あの日も)
こうして埋立地を見た。あの時は、隣に八代秀を乗せていたが。
第十話の閲覧ありがとうございました。
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