明け星の夢
「シトラ・リーオルマです。宜しくお願いします」
目の前の男に頭を下げる。自分より五つも歳下の男子に教えを請うなど屈辱だが、彼の才能は私より、いや、世界中の誰よりも優れていることは明らかだ。
目の前の彼───ジェウクス・ターネリオンは錬金術という分野において類稀なる才能を持ち、僅か十二という年齢で今まで発見されてきた錬金術の法則と同数の法則を発見したと言われている。流石に誇張だろうが、それほどまでに彼が見つけた法則というのは多い。有名どころでいえば触媒法則だろうか。触媒を加えた状態での錬金に消費した魔力からから本来の消費魔力を計算し、それを補うに必要な温度、圧力を計算することで高価な触媒も無しに少量の魔力で大量に錬金するための錬金炉を作れるようになった。無論、大量の触媒を買ったほうが安上りになる場面もあるが、錬金術という分野に大きな革新をもたらした事には変わりない。
「ジェウクス・ターネリオンだ。さっそくだが俺からお前に教えることはない」
「は?」
「ここはジェウクス錬金学会。ここに来た時点でこれまで明らかになった錬金術については全て知っているものとし、その上でさらなる学問の扉を開く為の場だ。だから俺から教えられることはない。だって俺ですら知らない未知を明らかにするための場だからな。ああ、なにか疑問ができたら言うといい。一緒に考えてやる」
たしかに、この男の言う通り錬金術については一通り理解しているつもりだ。それこそ、ここ数年でこの男が明らかにしたものも含めて全て。
「さっそくだがお前の研究室について案内しよう。今日から錬金術の究明に取り掛かってもらう。ああ、なにか必要なものがあったら俺かウェズディ、もしくはマンジューちゃんに言ってくれ。用意する」
ウェズディ。ジェウクス・ターネリオンと肩を並べる宝石錬金術の天才。ジェウクスと違って爵位を授与されていないので家名は持っていないがいずれ貰う事になるだろう。その名はジェウクス同様に有名だから知っている。
「マンジュー様、というのはどなたでしょうか。お姿が見えませんが」
「そのうち会うだろ。今ここにいるのは俺とお前とマンジューだけだしな。ウェズディは出掛けてていないし他の門下生はまだいないからな」
着いた、と無人の廊下を通り案内されたのは広々とした研究室。
「広いですね」
「ああ、後々人が増えた時に似たような研究をする奴はひと纏まりにしようと思ってな。まあ今はお前しかいないから存分に使ってくれ」
研究室の名の通り部屋の中に置かれた器具はどれも教本で見たことあるものばかり。使用用途に関わらず一通りは用意されてるようだ。
「試薬とかは向かいの部屋にあるから、必要なら瓶ごと持ってってくれて構わない。ただし部屋の中にある台帳にどこに何を何本持ってったのかは書いてくれ」
向かいの部屋、第一試薬庫と書かれた部屋は暗室で、どうやって作られたのかも分からない光を通さないガラス扉で仕切られていた。暗くてよく見えないのかと思いきや、人が入っているときだけ明かりがつくようだ。……本当にどうやっているのだろう。錬金術についてはそこそこに自信があったのだが、それも砕けそうだ。
「最後に、実験を行う時に必ず守ってほしいことが二つ。
一つ、失敗を恐れないこと。自ら立てた予想に基づく実験が失敗した時はショックだろうが、だからといって失敗は恐れるな。仮に失敗しても予想とどうして違うのか考察し、新たな予想を立てる切っ掛けになる。すなわち錬金術の究明の手掛かりを得られるのだ。
そして二つ、記録は残す事。失敗にせよ成功にせよ一切手の加えていない事実を必ず記録しろ。実験に失敗して死んだとしてもその記録を引き継いで誰かが成功まで導く。実験記録は誰でも見れるようにしておくこと。誰にも見れないように秘匿したら記録する意味がないからな。学問は広く開かれ万人に共有することで新たな扉を開くものなのだから」
言っていることは理解できる。だが、その思想とはどうしても相容れない。彼の言う通りであれば彼は錬金術を市井にまで広げようとしているが、しかしそれは我々貴族が受け継いできた魔術の秘匿に反するもので、ともすれば反乱の切っ掛けになりかねない。
「んじゃ、あとは自由で。解散」
そういって今歩いてきた廊下を引き返していく。だだっ広い研究室には私が一人残された。
「自由って……いいわ。なら自由にやらせてもらいましょう」
私には夢がある。自分の手で生物を作り出すことだ。そのためにここに入った。そのための理論はほぼ完成しているからあとは実験するだけ。
ふと、入口に置かれた二冊の白紙の本が目に入った。片方には手順、片方には結果と記されている。そういえば記録を取れって言っていた……まさか書き写せと?
「……やってやろうじゃない」
二時間かかった。
*
「塩酸を 16 滴加えた、と」
第一の実験、“未完生命原本”の生成には成功した。あとはこれを練り上げていけば生命が生み出されるはずだ。まあ普通にやったら私の一生をかけても生まれ得ないから、用意されていた触媒を用いる。
「“臭水晶”の欠片を加えて“臭水晶”が淡く光り続けるように魔力をゆっくりと流しながら表面に波紋が広がる程度に軽く揺らす……波立たないようにゆっくりと………」
ここで慌てるともう一度はじめからだ。自分に言い聞かせるように言葉にして手順を確認する。“未完生命原本”自体は一時間程度で作れるがぶっちゃけ面倒臭い。作り置き出来れば良かったのだが作ってから十分程度で消えてしまう。
「そろそろ良いでしょうか」
胸元から下げた円盤状の水晶を目に当て、魔力を流して魔術を使う。使う魔術は“拡大”。水晶を通して見る世界が何倍にも大きくなる。それこそ、足元すらまともに見れないほどに。
「出来てますね」
小さな泡のようなものが纏まり、大きな膜に包まれることで一つになったもの。すなわち“生命原本”。まだ何者でもない生物未満の屑。
錬金術の基本は魔力を用いて下位のものを上位へと変化させることにある。今はまだ生物未満のこの“生命原本”を生物に引き上げることもまた、錬金術であろう。ここまではかつての高名な錬金術師であったドボトリが行った実験の通りだが、私はここからアレンジを行う。生み出される生物に指向性を与えて好みのデザインにするのだ。
「犬の毛 10 本、幼い男児の血 1 滴、触媒に塩燃黄石を加えて魔力を流す」
聖都にある聖樹は教皇が一定以上の魔力を注ぐと光るらしい。光らせるのに必要な最低の魔力量を 1000 とし、それを千分割したものを魔力単位、 1 Wc として扱っている。
とはいえ自分が今どれくらいの魔力を流しているのか、正確な数値は体感だけでは分からないのだから、計器を用いて測定しなければならない。
この計器がほんっとうにク……使いづらいのだ。
「置いてあったこの計器の魔力伝導率は…… 0.86 ですって!?」
あり得ない。 0.6 あれば最高級品質とかなのに、そこからさらに二割以上も上回っているなんて。
「ちょっと重いですね」
まあ、それくらいは許容しよう。この素晴らしい計器を使えることに比べれば気にすべくもない。
計器の片側の針を生命原本の入った液の中へ。もう片方の握りをしっかりと握りしめ魔力を流し込む。
盤には大きなメモリが十個、それらの間を十に仕切る小さなメモリが計九十個。1000 Wc まで測れるようになっている。
「 7.9 … 6 ? 7 ?……… 6 ですね。 7.96×10² Wc ですから実際に液に流れている魔力は 6.8×10² Wc ……凄い」
今まではどんなに頑張っても 600 Wc 以上を注ぐことはできなかった。それがどうだ。今注いでいるのは 680 Wc だ。最早凄い、の一言しか出てきはしない。
「まだ流せる…… 8.81 …… 9.17 …… 9.53 ……ここくらいが限界でしょうか」
8.2×10² Wc か。これだけ注いだ実験結果は見たことがない。今までの計器だと注いだかどうか分からないから当然といえば当然だが。
まあどれだけ魔力を注ぎ込もうとただ垂れ流すだけでは意味がない。私はこれから錬金術を行うのだ。最早金を錬るという次元ではないが。
そうして、錬金術を行うべく無意味な魔力の流出を意味あるものへと変えた瞬間、小さな爆発が起き黒煙が立ち昇った。
「きゃあ!!」
我ながら可愛らしい悲鳴が出たものだと思う。悲鳴を上げるなんて随分と余裕があるじゃないか愚か者め。
目の前に立つのは私が思い描いていたものからかけ離れた異形の怪物。人間の赤子の上半身に犬の下半身、首は赤子のもので上顎から上が犬。上下で全く噛み合わない口を持つ言葉なき怪物。
「ヒッ、いや、来ないで……」
短い赤子の前足に脅威となる爪はない。その鋭い牙も、噛み合わせる顎がないから脅威になり得ない。
それでも、不気味で醜悪なその姿に気圧された私は腰を抜かして立ち上がれない。闇雲に腕も振ることすらもできず、顎を鳴らして目の前の怪物をじっと見つめることしか出来ない。
犬と赤子が混じった醜悪な怪物の本能は犬のそれのようで、創造主だというのにも関わらず無遠慮に獲物に飛び掛かってきた。
「スーパー美少女メイド推参!!!」
俯いて衝撃に備えど一向に来る気配がない。
恐る恐る顔を上げてみれば、メイド服を来た少女が箒一本で怪物を押し止めていた。
その懸命な横顔に、今はそういう場面ではなかろうについ見とれてしまう。漠然としていた作り出したい生物の姿が今、はっきりと定まった気がした。
「いや失敗しろとは言ったけどよ?まさかいきなり“ドボトリの不完全生命”に手を出すとは思わなかったわ」
そんな声と共に背後からこちらを覗き込むのは先程去って行った少年。ジェウクス・ターネリオンその人だった。
「さーてシトラ、錬金術と天文術。これらと他の魔術の違いがわかるか?」
錬金術と他の魔術との違いなら分かる。だが天文術まで入ってくるとなると別だ。天文術との共通点を見出しつつ、他にない視点を見つけなければならない。
「えっと、それは………」
「勉強不足だな」
フッ、と鼻で笑われた。しかし私にはそれを咎める資格はない。彼の質問に答えられなかったのだから。
「概念的な意義で言えば天文術は宇宙というマクロな視点から世界を、錬金術は原子というミクロな視点から世界を見る。つまりどちらも等身大の視点からは世界を見てないんだよ」
それが、何だというのだろう。
「ま、そっちはどうでもいい。大事なのは学術的な理論だ。他の魔術はアリストテレスの四元素説に基づいた理論だ。だが天文術と錬金術は違う。この二つはデモクリトスの原子論(※世界の最小単位は単一の粒子である原子とする説。現在の陽子、中性子、電子からなる原子とは異なる)に基づいた魔術だ。ルールが違うんだな」
「御主人!!こいつ意外と力が強い!!カッコつけてないで早くしてええ!!!」
メイドの子が悲鳴を上げる。あの美しい顔が歪む様は見たくないのに、何故か目が離せない。背筋がゾクゾクする。
私の錬金術に対する理解が深まりそうな話だというのに、全く頭に入ってこない。
「天文術は星と原子の照応によって占ったりする。一方錬金術は対象の原子を組み替えて望むものを作り出す。だから極めた錬金術はこういう事もできるのさ」
パチン、と小気味良い音を立てて指を鳴らす。それだけで怪物の体はほどけ、空気に溶けていった。
「生物を一瞬で空気に変える術……出来そうだったからやってみたけどこりゃ禁術指定されるな。バレる前に理論纏めて論文は金庫に封印しとこ」
あの土壇場で使ったことない術使ったのかこの男。私の命の危機ですら実験に使ったと。
「大丈夫ですか?」
あ、天使。思わずそう思ってしまったのも仕方ないことだろう。だってその顔は今まで描かれてきたどんな宗教画に現れる天使よりも可憐なのだから。
「お名前!なんと言うのですか!!」
「あ、えーっと……」
「そいつはマンジュー。俺の作った“泥人形”だ」
「その名前は嫌なのでスーパー美少女メイドとお呼びください」
ネーミングセンスが終わっている。でもそういうところも可愛いと思ってしまうのは何故だろうか。
しかしいくつか疑問がある。
「ゴーレムは土魔術の領域では?」
「錬金術でやってみようと思ったら出来た」
「造形は趣味ですか?」
「俺の趣味じゃないが作る上では全力を出そうと思ってな。酒場でアンケート取って誰もが可愛いと思える造形にした。そのせいか性格がこんなんだが」
「美しい者が自らを美しいと言うのは当然です。だって事実ですから」
そうだね。当然だね。
*
「っ、はぁ」
嫌な夢を見た。まだ自分が未熟で、あの男の下につかなければならなかったころ。遠い昔の屈辱の記憶。
「ふふっ」
隣で眠る少女型ゴーレムの頬をそっと撫でる。あの男から支配権を失わせてフリーの状態にしたものの、そういった場合を想定してか再度支配権を得るにはかなり複雑な工程が必要だった。今は誰にも支配されていない為に眠っているが、いずれ私が支配権を得て目覚めさせる。今は少し時間が足りないが、もう少しで全てが終わる。あと少しであの目障りな男を消せるのだ。
「報告があります」
「何でしょう」
彼女をモデルとして作り出した“偽錬造泥人形”、クリマンジュー。今はまだ彼女のような存在を作れないとし少年型にしたが、性能だけならあの男が作った彼女にも優る。
「ジェウクス・ターネリオンの使役する悪魔アルシエールと接触しました。やはりこちらの読みどおり彼女も不満を持っており彼に叛意があると」
なるほど、これが私があの夢を見た原因か。もうじき計画が成るからと、遠い過去を思い出していたのか。
「では動きましょうか。全ては、錬金術の独占のために」
そのために邪魔なジェウクス・ターネリオンとウェズディを殺す。その布石はすでに打ち終えた。あとはそう、狐の如く追い立てればいいだけだ。
この後臭水晶を光らせるための魔力量が記載されていないとたっぷり叱られた。
未完生命原本・・・生命となる資格すら持ち得ないただの泡。比較的簡単に作れるが短時間で消えてしまうため保存が難しい。
臭水晶・・・割るとかなり臭い水晶。中に臭いのある気体を含んでいるのではなく水晶そのものが臭う。表面は酸化して臭いを出さないので割らない限りは臭くない。
生命原本・・・生命となる資格を得た泡。まだ生命ではないがここからいかなる形にも変様し生命として進化する。
塩燃黄石・・・文字通り塩に触れると燃える黄色の石。汗とかでは燃えない。採掘で結構簡単に手に入る石だが触媒としてはそこそこの性能であるので金欠錬金術師は重宝する。生命錬金のときはかなり相性のいい触媒であることもわかっている。
ドボトリの不完全生命・・・錬金術師ドボトリによって提唱された生命錬金術。一切の誤差無く錬金することができたら自由自在に生命を作り出せるとしたが後の世に錬金術師ジェウクスによって否定された。しかし生命錬金としての理論の一部は限りなく正解に近いとされ、これを基に新たな生命錬金の論文が毎年いくつも発表されている。生命錬金術の道を進む上で必ずやっておくべき失敗と言われている。
泥人形・・・本来は土魔術の領域。泥でできた人の形に命令を書き込み、行動させる。自律学習は出来ないが極めた魔術師は膨大な量の命令パターンを書き込むことで人と寸分違わぬ泥人形を作り出すという。
偽錬造泥人形・・・錬金術によって作られた泥人形。泥から人間の体を脳まで練り上げ、そこに知性を発生させることで使役する。最初は泥人形を模倣するだけの錬金術だったが、研究が進めばドボトリの不完全生命に取って代わる新たな生命錬金理論となる。
この分野は錬金術師ジェウクスの一番弟子であった錬金術師シトラが切り拓いたもので錬金術師ジェウクスはこの分野が出来る前に自らが作り出した偽錬造泥人形のことを泥人形だと誤認していたという。