森の中で――実験
早朝。
モルガンとユーリを宿に残し、二人はフル装備で森に入った。どちらも武器は片手険だ。小型の盾を腕にはめ、力で押すのではなく、機動力で手数を稼ぐタイプ。特に、ファンテの速度は驚異的だと言われる。
彼らは周囲を警戒しつつまだ薄暗い森の中を進む。足元の土の感覚が柔らかい。木々の吐き出す冷気が心地良かった。
――今のところ、何の気配も。
マーゴほどの猛獣であれば放つ殺気は捉えられる。未知の魔獣であったとしても、感知は出来るはずだ。
二人の視界の先、木陰から黒いローブを纏い、フードを被った男が現れた。ファンテとグランザは立ち止まり剣を構える。
「おや、二人か」声は老いていた。年寄りだとすれば敵ではないが、ファンテは何故か嫌な予感を払えなかった。
「四人と聞いていたが……まあ良かろう」
男はローブの中から何かを取り出した。先端が渦を巻いた木製の節くれた杖だ。魔法具か、二人に緊張が走る。
「さて、そんなに緊張することはないぞ若者達よ。一つの実験に付き合ってくれれば良い。生き残れば、報酬をやろう」
――何だと?
こちらの意図は無視されるようだ。男は杖をまっすぐ振り上げ、何かを唱え始めた。呪文。一体、何の魔法を。
「まずはお前から」男が杖を振った。杖の先端から赤い光が迸りグランザを捉えた。反撃する暇はなかった。雷に打たれたようにグランザは一瞬強くのけぞり、悲鳴も上げず、ただ、崩れ落ちた。
「おい、グランザ! どうしたっ」
ファンテの声は森に反響するものの、肝心のグランザには届かない。
「おや――死んだか」男は残念そうに呟いた。玩具が壊れてしまったとでも言いたげだ。
「何を――!」
男は意に介さない。先程と全く同じ動作、杖から赤い光がファンテに向かって飛ぶ。自慢の機動力も役には立たない。投げナイフを修得していないことを後悔した。ファンテは呆気なく光を喰らう。目の前が黄色くなるほどの激痛。耐え切れずその場に倒れ込んだ。
「これも――駄目か。いま少しの調整が必要であるな」
男の言葉が遠くから聞こえた。
自分は死んだ。
朧気な実感だった。
「うぅっ……」
だが、そうではなかった。ぱちりと目を見開く。息を大きく吸い込む。激しく咳き込んだ。
「ほほう! 耐えたか若いの」頭上から男の声が降ってくる。
ファンテは己の身体が小刻みに震え、立ち上がれないほどのダメージを受けていることを自覚する。
「俺達に何を……したんだ」仰向けになり荒く息をした。グランザはどうなったのか、気掛かりだった。
「儂はファーンワース。見ての通り偉大なる魔法使いじゃ」
首を僅かに動かして、ファンテは男を足元から見上げた。フードを下ろしており、覗いている顔は皺だらけ。長く生きているからか、よく見れば手もぶるぶると震えている。
「何を……言って……」
「喜べ! 貴様がいま受けたのは拒絶の魔法。あらゆる魔法を受け付けぬようになる大魔法じゃ!」
高く笑うファーンワース。
「儂はこの魔法の完成に長い間取り組んでおった。今! それが完成したのじゃ」
――どういうことだ。
ファンテは首を巡らせる。目を見開き、動かなくなったグランザがそこにいた。頭が真っ白になる。魔法がどうしたとかそんなのは知ったことか。要するにお前は、グランザを。
後悔が鋭く胸を刺した。痛みに弾かれるように少年は立ち上がる。
「――うして、殺した」
剣を拾い上げ、構えた。老人はきょとんとした顔でファンテを見た。やがて倒れているグランザを見て「おお」と言った。
「致し方もなし。尊い犠牲じゃな」
かっ。
ファンテは地面を蹴った。
老人が最後に見たものは。
獣のようにぎらぎらと光る双眸と、信じられない速さで自身に振り下ろされる白刃の煌めきだった。
血だらけで仰向けに倒れた老人を見下ろした。心底驚いている顔だった。報酬を渡せばそれで良いと本気で考えていた目だ。或いは、この老いた魔法使いはもう正気を失くしていたのかも知れぬ。
グランザの側で屈み込み、顔を撫でて彼の目を閉じた。ファンテはその身体に両腕を差し入れ、横倒しに抱え上げた。
――何で。
一歩、また一歩と踏みしめるたび僅かにめり込むブーツ。幾度かバランスを崩し、ファンテは倒れた。
――こんなことに……。
既に陽は昇り、日差しがじりじりファンテを灼いた。汗が噴き出す。グランザの顔に汗が落ちた。そうでもしなければ、もうグランザは泣くことも出来なかった。
森を出る。一面の草原。町が遠くに見える。フル装備のモルガン、ユーリがそこにいた。血相を変える二人。駆け寄り、すぐに自分達のパーティリーダーに息の無いことを悟る。
「何で? どうして? グランザ……?」
両手で口を押さえ、ユーリはファンテを見た。見れば、ファンテの身体もあちこち焼け焦げ、ぼろぼろだ。
「たいへん!」
ユーリはモルガンから薬鞄を受け取る。中から傷薬を取り出す。ファンテの傷口に手を伸ばす。
「いい、大丈夫だ」ファンテが目で拒んだ。
「そんな訳ないよ! 何でこんな事に」
「ファンテさん、何があったのですか」
ユーリとモルガンの顔を見た。二人が随分と遠いところに居るようだった。
「俺の所為だ」ぽつりと呟く。町に向けて歩き出す。涙が出た。流れ落ちる汗と涙。
ファンテはただ、歩き続けた。