第1話 ル・リーデル工房。
「あんの、クッソアマァッ!!」
バァンッ!!と荒々しく開かれた扉。ドスドスと床を踏み抜きそうな勢いの足音。
普段なら聞くこともないような罵声。
そのすべてに、なんとなく状況を察する。
ああ、ダメだったんだな、と。
こういう時、オレがどうしたらいいのか。先人が残してくれた名言がある。
すなわち。
――触らぬ神に祟りなし。
――君子、危うきに近寄らず。
――三十六計逃げるに如しかかず。
ってことで、そぉっと、そぉっと……。
「グリュウ――ッ!!」
ダメだ。逃走失敗。
おそるおそるふり返ると、バスッとカバンを投げ渡された。
「――――片づけといてくれ」
低く怒りを抑えた声。カバンを床に叩きつけなかったのは、ギリギリ保たれた理性のおかげだろう。
「……チックショッ!!」
代わりにガツガツ蹴られる椅子に机。怒りはまだまだ治まらないらしい。
あーあ。このカバンの中身があんな目に遭わなくて、ホントよかった。
渡されたカバンを守るように、ギュッと抱きしめ後ずさる。
「あのクソババア、俺の作品のどこが気に入らねえってんだ、クソッ」
イライライライラ、ノシノシノシノシ、ウロウロウロウロ、カミカミカミカミ。
狭い部屋のなかをグルグル回りながら爪を噛む。
「ちょっと落ち着いてよ、師匠」
怒りの回遊魚をなだめようと、声をかける。
気持ちはわからないでもないけどさ。
このままじゃあ、床は踏み抜かれ、椅子は蹴倒され、オレは弾き飛ばされる。
「……あのババア、な~にが『センスがない、上品さにかける、地味』だ。てめぇこそギンギラギンのケバケバクソババアのくせにっ!!」
あー、ダメだ。聞いちゃいない。
怒りで頭、いっぱいいっぱいなんだな。
「出かけてくる!!」
最後にカッコーンと椅子を蹴とばして、また出ていく。
ありゃ酒でも飲みに行ったか。
バタンッ!!と派手なデカい音とともに閉められた扉に首をすくめる。
仕方ない。
カバンのなかに入っていたのは、これでもかって数の宝石。
指輪にネックレス、ピアスにブレスレット。
ルビーに、サファイアに、パールに、ダイヤモンド。
金や銀に縁取られた宝石は、キラキラと光をはね返して美しい。師匠渾身の作品の数々。
それを一つ一つ傷がないかていねいに確認しながら棚に並べていく。
ここに仕舞われたら、おそらくだけど二度と日の目を見ない宝石たち。
――今日、師匠、帰ってくるのかな。
少しは怒りが治まってくれればいいけど。そんなことを思いながら、宝石たちを鍵付きの扉の向こうへため息とともにしまった。
* * * *
――ル・リーデル宝石工房。
それがオレの暮らす場所。
街の中心からやや外れたところにある、小さな宝石工房。
先代、師匠の祖父祖父ちゃんが建てた工房で、先代亡き後は師匠が継いだ。
まだ二十代半ば。新進気鋭の若手宝石職人。
師匠はもともと先代の後を継ぐ気満々だったらしく、先代が亡くなるまで、一流の職人になるため、南の国で修行を重ねていた。
美の先駆者は南の国だから。あっちのほうがなんだってセンスがいい。南帰りの宝石職人となれば箔もつくし、仕事の依頼はひっきりなしだろう。工房だって大きくできる。
師匠はそんな野望を抱いて帰国したらしい。
最先端の技術とセンス。これさえあればなんとかなる、と。
でも。
現実は違った。
あそこでスゴイと言われても、ここでもスゴイと言われる保証はない。
案の定、この街で師匠のセンスが認められることはなかった。
――別に悪いってわけじゃないんだけどな。師匠のセンス。
師匠のセンスどうこうの話ではなく、美しいものに対する価値観が違うのだ。
南の国はいつの時代も豊かで栄えてる。常に余裕があるから落ち着いた、しっとりした雰囲気のものが好まれる。
一方、この街。
ここ近年、外交貿易で一気に金持ちになったせいか、派手なものが好まれる。落ち着きなんぞ、地味。とにかく派手に、とにかく豪華に。指輪に使う石はとにかく大きくってことで、ウズラの卵みてえにデッカイ石が好まれる。どうかすると投機目的で宝石を購入する者もいる。
師匠の磨いてきたセンスとは真逆なのだ。
そのせいか、工房は地味と判断され、依頼は少ない。工房と銘打ってはいるものの、ここにいるのは、オレと師匠だけ。弟子はオレの他にいないし、この先、希望する者も現れないだろう。
「サロンで気に入られれば、依頼も殺到するはずだ!!」
硬いパンと、薄い塩味豆だけスープに飽きた師匠が、自慢の作品を引っ提げて売り込みにいったのはほんの数時間前のこと。
狙った相手は、この街一番の銀行家の妻。銀行家なら海外とも取り引きがあるし、自分のセンスにも理解があるに違いない。サロンも手がけてるような人だし、顔も広いだろうから、注文客も増えるに違いない。
そう思って出かけてたんだけど。
結果は、あの通り。
おそらくだけど、「地味」とか「センスない」とか言われたんだろうな。
そして、一つも買い手がつかなかったと。
そういうことだろう。
……はあ。
秋の短い夕日が金色の光となって窓から差し込む。工房の棚に並んだ宝石の原石が、金粉をまぶしたような不思議な色合いに染まる。
しばらくまたあの硬いパンと薄い塩味豆だけスープか。
まあ、それがイヤってわけじゃないけど。
どうしようもなく、憂鬱な気分になって、何度目かのため息を吐き出した。