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1話 愛のニルヴァーナ

 住川市立第五高等学校敷地の東端に位置する特別教室棟で大爆発が起こったのは、春休み真っただ中の3月某日、相澤司がガラクタの山から『イカ天』全放送を記録したビデオテープを掘り出した時のことだった。


「……な、なにごと?」


 麗らかな小春日和にそぐわない衝撃波が窓ガラスを揺らす沈黙。校舎3階、演劇部を追い出して相澤率いる“重音楽部”──実質的にはブラック・サバスのコピーバンド──が居座っている東向きの多目的室。相澤は両手に抱えた大量のビデオテープを自身のギブソンSGの横に置き、周辺の気配をそっと伺う。


「今の……特別教室棟から聞こえたよね? 吹奏楽部が何かやった?」


 小鳥の囀りすら消えた静寂の中、始めに反応したのは瀬戸芽衣子だった。彼女は柔らかにうねる長い髪の隙間から恐る恐る相澤の顔を伺い、怯えた表情で愛機のレッド・スペシャルを抱き締める。相澤はワックスが塗り込まれた床の冷たさをジャージ越しに感じながら首を横に振った。


「いや、いくらウチの吹部が実質プログレ同好会だからって、流石に爆発はしねえだろ」

「まあ吹部、予餞会のときピンク・フロイド・メドレーやってたからな。春コンに向けて『ザ・ウォール』完全再現セトリ組んでてもおかしくないぜ」


 芽衣子の声で我に返ったドラムの和田が何でもないふうに言うが、反射的にバスドラムの陰に隠れた熊のように毛むくじゃらな彼の声は可笑しいほど震えている。そんなやりとりを横目に、ベースの寺嶋はボーカルの尾津を抱き締めてよしよししていた。


「つーか、ウチの学校に爆発するようなモンあったか?」

「理科室とか……でも誰もいないはずだし、まさか爆弾魔?」

「わからんぞ、花粉の時期だしハナタラシ活動再開ライブかも──」


 相変わらず状況に合わない冗談を言う和田の背後の窓からは、天高く上がる黒煙が見える。相澤たちがそれを認識して、一拍遅れて聞こえだす非常ベルの音、生徒や教員たちのざわめき。反射的に窓辺へ駆け寄った相澤は、特別教室棟の屋根に空いた大穴を視認した。


「これ……ガチの緊急事態じゃね?」


──そう、これは住川市立第五高等学校創設以来の、ガチの緊急事態だったのである。


*****


「──うん、まあ、生きてるだけで良かったよ」


 大爆発から4日後、相澤たちは隣町の総合病院の個室にいた。窓際のベッドには、相澤たちの1学年下で美術部に所属する加藤という青年が全身に包帯を巻かれて寝かされており、その両サイドでは加藤のクラスメイトである阿久津、伊藤が「よかった、よかった」と言ってわんわん泣いている。その何とも感動的な光景に、相澤の隣では貰い泣きの芽衣子が涙を拭っていた。


「……そんなに泣ける?」

「生きてるのって尊いなって思って……」

「ああ、そう……」


 4日前、加藤は美術準備室で爆発事故を起こした。なんということもない、閉め切った部屋でスプレー塗料を使いコンクール用の絵画を制作していたとき、煙草を吸おうとライターを付けて、部屋に充満していたガスに引火。そして大爆発を起こしたのである。存外に火気厳禁のものが多い美術準備室。火元ド真ん中、というか火元そのものの加藤が全治1ヵ月で済んだのは奇跡と言って良い。


「しかしおまえ、何でタバコなんだ? 比較的優等生だろ?」

「……カート・コバーンの……ファンなので……」


 爆発の衝撃で左耳の鼓膜をやられ、首をギプスで固められた加藤は、しかし思ったよりしっかりと受け答える。ぼさぼさの金髪はカート・コバーンというより汚いブチャラティだったが、入院生活のせいで伸びた髭はちょっとグランジ感あった。


「気持ちはわかるけど、未成年でタバコ吸って爆発事故とか冗談にならねえぞ? 最悪退学、良くて停学だろ」

「いや……ホントはタバコ吸いたかったんスけど……」

「けど?」

「やっぱ勇気無くて……ココアシガレットで……」

「えっ、おまえココアシガレットに火点けて爆発したの?」


 火傷だらけの顔でエヘヘと笑う加藤に、阿久津と伊藤が「だからおめえ、わたパチ鼻から吸引するのはヤバいって言ったじゃねえか!」「駄菓子でキめてんじゃねえ!」と泣き縋る。擁護のしようがない馬鹿3人にため息をつけば、見舞い品の果物籠からバナナを貪り食っていた和田が腹を揺らして笑った。


「ま、特別教室棟は半壊したけど、何だかんだ怪我人は加藤ちゃんひとりだし、生きてたから結果オーライってことで」


──そう、今回の事故、怪我人は加藤ひとりだったのである。


 爆発事故が起こった当時、美術室・音楽室・理科室がある特別教室棟には加藤ひとりしかいなかった。加藤以外の美術部部員は写生のため近所の神社に出かけており不在。吹奏楽部は特別教室棟から離れた体育館で入学式のリハーサルをしていた。


 普段は特別教室棟の付近にいる陸上部も、その日はたまたま合同記録会のために不在。野球部は練習試合、サッカー部は走り込みのため校外にいた。ゆえに今回の爆発事故では美術準備室が大破したものの、当事者である加藤以外、巻き込まれた怪我人は誰もいなかった。


「加藤ォ、おまえのこと『イかれたジャンキー』ってバカにしたことあったけど、こんな馬鹿なことして、おまえ……!」


 壊れた校舎のことを想いながら陽射しを浴びる相澤をよそに、ガバッと顔を上げた阿久津が頭に巻いたバンダナで涙を拭いつつそう叫ぶ。この阿久津という後輩は、「ゴールパフォーマンスがアクセル・ローズ」という理由でサッカー部を追い出された逸材だ。相澤も試合を見た事があるのだが、芝に転がる姿はアクセル・ローズというよりアンガス・ヤングだった。


「そうだぞ! 27歳になる前に死んだら『カートは27で死んだのに俺は28の誕生日を迎えてしまった』って言えねえんだぞ!」


 阿久津に続いて声を上げたぽっちゃり系男子の伊藤は、周囲を無視して己の速弾きを披露することに固執するため軽音楽部を追い出されたイングヴェイ・マルムスティーン信者である。軽音楽部の遊佐部長には「相澤の所で引き取ってくれ」と言われたが、泥臭さを売りとする重音楽部は創立以来、基本的に貴族お断りを掲げている。


「阿久津……伊藤……そんなに泣くなって……」

「絵がダメになってもおれたちには次があるからさ、な?」

「そうだそうだ! な、バンド組もうぜ! おれたち3人でさ!」

「お、おまえら……ッ!」


 ベッドの上でひしと抱き合う3人に、相澤は冷たい視線を送る。なんだか90年代音楽シーンのグランジ対HR/HM抗争が大団円を迎えたような雰囲気だが、冷静に考えればカートとイングヴェイとアクセルがバンド組んだところで3ヵ月くらいで解散するだろう。しかし、いつもツッコミ役に回る加藤は脳震盪で弱っているらしく、ただただ感動に瞳を潤ませていた。


──それにしても。


 友情を温め合う後輩たちから視線を逸らし、相澤は大きな瞳を背後の窓のほうへ向ける。そこから見えるのは病院の正門前、群がるマスコミたちの姿だ。ざっと20~30人くらいはいるだろうか。ふわふわが付いた長いマイクを掲げ、カメラを担いだテレビ局の人間もいる。レポーターと思われるスーツ姿の女性が真剣な面持ちで病棟のほうを手で示す様は、遠巻きに見ると滑稽だ。


「……尾津くんと寺嶋くん、大丈夫かな?」


 相澤に倣って窓の外を眺める芽衣子が心配しているのは、病室へ来る前、病院前にたむろする報道陣に取り囲まれた際、トカゲの尻尾切りとして置いて行った尾津と寺嶋のことだ。マスコミは相澤たちの歳の頃を見て、加藤の見舞いに来た学友だと直感したのだろう。わらわらと群がってきて質問攻めにしてきたから、尾津と寺嶋を押し付けて逃げて来た。それが約30分前のことだ。


 まあ、寺嶋と尾津を心配することはない。寺嶋は黙秘のプロ──というかクラスメイトでも喋っている所を見たことがないくらいの無口野郎だし、尾津は人見知りするタイプで、慌てると話が宇宙の果てまでぶっ飛んでいく。今頃火星の衛星ジギーにいるボウイ星人の話でもしていることだろう。


「あいつらは心配ねえよ。どうせ地上波で流せるような語彙なんて知らねえから、お蔵入りか放送事故になるだけだろ」


 適当に嘯けば、芽衣子は「それもそうか」と微笑む。クイーン大好きな父親に「メイ子」なんて名前を付けられた彼女は、その名に劣らぬ天才美少女ギタリスト。相澤の視線の中で、芽衣子は消毒液の匂いがしない新鮮な春の風を髪に絡ませ、窓枠に頬杖ついた。


「まあ、良かったんじゃない? 加藤くん思ったより元気そうだし。退学処分にはしないって、校長先生言ってたよ」

「おっ。それは嬉しいな」

「ウチの高校って基本は退学させない方針なんだって。退学した人の数もね、創立以来40年で5人だけみたい」

「逆にその5人何したし」


 芽衣子の柔らかな頬が、彼女の細い指の形に歪んでいる。その肩越しに見える和田は、果物籠に入っているバナナやブドウ、イチゴといった食べやすい果実を食いつくして、次はリンゴに丸のままかぶりついていた。どこまで食う気だ。冬眠明けの熊か。


「怪我人出てたら退学になってたらしいけど、そこはロックの神様に護られたねえ。加藤くんが生きてるのも、カート・コバーンに『まだ来るな』って追い返されたのかもね」

「まあ自分のファンがココアシガレットに着火して死んだら、カートも情けなくて泣くわな」

「そのへんのこと含めて、あしたの記者会見で校長先生が話すみたいだよ。こんなにマスコミ来てたら新学期始められないしね」

「ネットも炎上しまくってるしな。20年前に校内暴力事件があった記事なんて持ち出して叩いてるヤツもいるけど、20年前なんて今いる生徒も先生も誰もいないっつーの」

「え、校内暴力事件なんてあったの? この平和な学校で?」

「平和な学校は爆発しない」


 言いながら、相澤は薄曇りの空を見上げる。生徒が起因となった学校での爆発事故なんて大珍事だから、ネットやテレビは「荒れる10代」「若者のモラルの低下」などと大騒ぎだ。加藤に個室が宛がわれているのも、ここに来るまでに身分証と学生証の提示を求められたのも、実を言うと出入り口の扉の前には警備員が立っているのも全て、野次馬避けのためである。


 しかし蓋を開けてみれば、事故の原因はめちゃくちゃ下らないもの。未成年喫煙ですら無いし、うっぷん晴らしでも何でもない、純粋な危険物取扱ミスだった。追求の仕様がないし、真相を聞けば誰もが呆れることだろう。


 だから、きちんと説明すれば「なんだ、そんなことか」で済むはずだ。それなのに、胸騒ぎがするのは何故だろう。本当に校長の説明だけでこの事態が収まるのだろうか。加藤の家の門は、嫌がらせで生玉子まで投げつけられたという。会見を開けば、その嫌がらせや群がるマスコミは消えてくれるのか。


「明日の会見で、騒ぎが収まればいいけどな……」


 モヤモヤした気持ちを抱えたままぼやいた相澤は、手に持っていた剥き出しのバナナを一口齧る。その嫌な予感は、後に最悪の形で的中することとなった。

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