7 恋情は昇華し母親の愛に
タスクを愛している。
この想いは、かつてのような恋情ではない。
「彼」を父として慕っていた今生の人格と合一した事、何より「彼」を十月十日腹の中で育て産んだ事で私の中の「彼」への恋情は昇華されたのだ。
産んだ直後の赤ん坊の顔を見て一目で分かった。
「彼」だと。
《バーサーカー》、武東祐。
私が唯一恋し、前世で殺した男。
彼にとっての前世、私にとっての今生で私の父親となりアンディに殺された男。
しかも、彼の今生の「父親」は前々世で彼が殺した前世の私の父親だ。
……運命の悪戯というには、あまりにもひどすぎる。
最初は呆然としていたが我に返った時、産婆はいなかった。私が呆けているうちに帰ったようだ。
しばらくしたら、アンディ達が帰って来る。
それまでに、これを何とかしなければ。
これ以上アンディ達に気遣わせたくない。私の身に起こった事で散々心配をかけたのだから。
親子であっても私達の行きつく先は殺し合いでしかない。
実際、私にとって約一年前、彼にとっての前世で、そうだったのだから。
いくら《バーサーカー》といえど赤ん坊の今は無力だ。
今なら簡単に殺せる。
私は赤ん坊の首に手を掛けた。
赤ん坊は、ただ私を見ていた。私が何をしようとしているか分かっているだろうに、命乞いも死への恐怖もそこにはない。何の感情も乗せていない瞳だった。
ぽたぽたと赤ん坊の頬に水が落ちた。
私の涙だ。
――殺せない。
かつても、そうだった。
かつては、彼への恋情故に、女としての弱さ故に、殺せなかった。
けれど、今、彼を殺せないのは恋情故ではない。
母として、この子を愛しているからだ。
十月十日腹の中で育て産んだこの子を愛している。
たとえ、望まぬ行為の結果だろうと、中身が「彼」だろうと、私の息子として生まれてきたこの子を愛している。
分かっている。
いくら私が母として慈しんだとしても、それでほだされる彼ではない。
「殺し合いでしか生きている実感がない」
そんな自分の性を嫌悪しても、それ以外の生き方ができない「彼」。
望みもしないのに、この世に呼び戻した私を絶対に許さないだろう。
私にとっても望まぬ行為の結果だったが、私の事情など彼には関係ない。
成長した彼は私を必ず殺す。
けれど、私に彼は殺せない。
(……私が殺せなくても、アンディ達がこの子を殺すわ)
私が一目で気づいたのだ。
同じ転生者であるアンディ達が気づかないはずがない。
だから、子を産み落としたばかりの体で赤ん坊を連れて邸を出たのだ。
アンディ達がこの子を殺さないように。
成長したこの子とアンディ達が殺し合わないように。
できるだけ遠くに逃げたかったけれど、産後すぐの体で、しかも赤ん坊連れで、それは到底無理だった。
それに、灯台下暗しだ。いくらアンディ達でも隣の領地にいるとは、きっと思いもしないだろう。
タスク。
息子の名前は、それしか思いつかなかった。
祐という漢字は「神の助け」という意味があるが、これほどその名前にそぐわない人間もいない。
けれど、「彼」が唯一恋した女性が名付けた名前だ。
それ以外の名は、きっと受け入れない。
ただし、今生は私の息子だ。
そのまま「祐」ではなく同じ音の「タスク」にした。
いくら中身が「彼」であっても赤ん坊では喋れない。
体が三歳間近になり、うまく喋れるようになった彼の第一声は「リリス」、彼しか呼ばなかった私の呼び名だった。
「ジョゼ」
「リリス?」
怪訝そうな顔で私を見上げるタスクと視線を合わせるために、その場にしゃがんだ。
オザンファン侯爵領に赤ん坊を連れて逃げた私は今の仕事場が所有している集合住宅の一室でタスクと暮らしている。狭いが母子二人なら充分だ。
「お母さんと呼べとは言わないから。せめてジョゼと呼んで」
「分かった」
タスクは意外にも素直に頷くと、ずっと気になっていたのだろう事を尋ねてきた。
「ジョゼ、なぜ俺を殺さなかった?」
「……あなたには理解できないわ」
前々世から男だった、まして、「彼」のような人間には絶対に理解できない。
十月十日腹の中で育て死ぬ思いで産んだ命だ。
自らの血肉を分けて生まれてきた自分の分身だ。
大抵の女は愛さずにいられないのだ。
望まない行為の結果だろうと、前世の宿敵だろうと、関係ない。
いずれ、この子が私を殺すのだとしても――。
かつて、前世の私は祐に対して「なぜ自分を殺そうと思っている子供を育てるのか理解できない」と思っていた。
今の私を見て、他の人間も同じ疑問を持つに違いない。
「なぜ、いくら自分が産んだ息子とはいえ将来自分を殺すと分かっている子供を育てるのか?」と。
前々世の彼は「生きている実感である殺し合いを楽しむため」だった。
私は「息子を愛している」からだ。
この愛が報われないものだとしても構わない。
私が息子を愛しているのは私の勝手な想いだからだ。
恋愛にしろ、肉親の情にしろ、互いに想い合えるとは限らないのだから。
「あなたの名前、タスクにしたけど、いいかしら?」
タスクが喋れるようになったので確認した。
唯一恋した女性が名付けた名前だ。嫌がるとは思えないけれど。
「ジョゼが名付けたんだろう。構わないよ」
タスクの返答に私は首を傾げた。
気のせいか、唯一恋した女性が名付けた名前だからではなく私が名付けたから構わないと言っているように聞こえたのだ。
まあ気のせいだろう。
赤ん坊との生活は大変だった。
これが精神まで本物の赤ん坊との生活なら大変さはこの比ではなかっただろうが。
自分で選んだ生活だから文句は言えないけれど。
それに大変ではあったが幸福でもあったのだ。
かつての子供が嫌いな私からすれば考えられない事だ。
胎児から前世の記憶と人格を持つアンディは赤ん坊時代を「前世でいろんな拷問を体験しましたが、これが精神的に一番きましたね」と遠い目で語っていた。
アンディにとってもタスクにとっても赤ん坊時代は抹消したい記憶だろうが、私には大変だが何物にも代えがたい宝石のような日々だ。
いずれタスクが私を殺すのだとしても――。