4 それ以上最悪②
前世の父親と今生で最悪な邂逅を果たした九ヶ月後――。
「……どうして」
私は腕の中にいる産んだばかりの子を見て愕然とした。
信じられない。
信じたくない。
だって、今、私の腕の中にいるのは――。
ヴィクトルが失踪し、彼との縁は、これで切れたはずだった。
けれど、彼が去った一ヶ月後、私の妊娠が判明した。
今生で「そういう事」をしたのは、あの時だけだ。
私にとって「あんな事」は大した事じゃない。
けれど、その「結果」には動揺した。
合意でも無理矢理でも「アレ」をすれば子が出来る可能性はある。
頭では理解していたのに、だからこそ避妊には気をつけていたのに。
お父さんを責める気はない。
お父さんが表出する前の今生の人格がした事に苦しみ自殺しようとまでしたのだ。
生きていたくない。むしろ、死にたがっていた彼に生きるよう強要したのは私だ。
お父さんは悪くない。
そして、お腹の子にも何の罪もない。
子は親を選べない。
私にとってもお父さんにとっても望まぬ行為の結果だとしても、この子には何の罪もない。
出生を知って将来苦しむかもしれない。
それでも、今お腹にいるこの命を絶つ事が、どうしてもできなかった。
前世でも今生でも《アネシドラ》の実行部隊員として人を殺しているくせに。
……今生の父親を殺そうとしたくせに。
我が子を殺せない。
母としては当然の思いだろう。
けれど、今生の家族ともいうべき一緒に暮らしている皆、アンディ、ウジェーヌ、レオン、リリは、私の妊娠を知った後、全員一致で産む事に反対した。
全員日本からの転生者とはいえ性格や価値観が違いすぎる彼らの意見が一致したのは、これが初めてだ。
妊娠は打ち明けたが、さすがに、お腹の子の父親、彼の今表出している人格が誰かまでは言えなかった。
私のその気持ちを酌んでくれたのか、あの日、洗いざらい吐かされたため全てを知っているアンディだが黙っていてくれた。
ウジェーヌは、ただ単に妊娠出産育児によって私の仕事に支障が出る事を懸念しただけで私の心や体を慮ってくれた訳ではない。
全員がウジェーヌと同じ理由で反対してくれるのならよかった。
純粋に私の体と心を心配してくれているのが分かるから彼らの提案を呑めない事がつらいのだ。
一人の人間を産み育てるのは生半可な覚悟ではできない。
まして、望まない行為の結果だ。
その子のために自分の人生を犠牲にするのかとウジェーヌ以外の皆は心配してくれたのだ。
「それでも、今、この子を切り捨てたら、私は、きっと一生後悔する」
だから、どれだけ反対されても私は産むのだ。
二度目の人生だろうと出産は初めてだ。
初めての妊娠は、それなりに大変だったが……出産は予想以上だった。比喩ではなく本当に死ぬかと思った。
今生でも医者の資格を持つウジェーヌとアンディだが、最後まで私の出産に反対していたため子を取り上げる事を拒否した。代わりに産婆を寄こしてくれたので一応私の体と意思を尊重してくれたのだろう。
ウジェーヌとアンディではなく産婆だったのは私には幸運だったが、自分達が立ち会わなかった事を二人は後悔する事になる。
産んだ子が産声を上げなかったので最初は死産かと焦ったが、産婆が驚いた顔で「……自発呼吸しています」と呟いた。産声を上げずに自発呼吸した赤ん坊を怪訝に思ったが死産でなかったので胸をなで下ろした。
「多くの赤ちゃんを見てきましたが、これだけ綺麗な子は初めて。男の子ですよ」
産婆はそう言いながら赤ん坊の体を洗いお包みに包んだ。
赤ん坊を受け取った私は愕然とした。
「……どうして」
一目で分かってしまった。
生まれたばかりの赤ん坊だのに、顔は恐ろしいほど整っている。
……お父さん、いや、ヴィクトル・ベルリオーズにそっくりだ。
誰もが一目で彼の子だと分かるだろう。
私が愕然としたのは、その事ではない。
生まれたばかりの赤ん坊で、よく見えていないはずだのに、うっすらと開いた私と同じ赤紫の瞳は私を射貫くように見つめていた。
とても赤ん坊の眼光ではない。
「――祐」
私は呟いた。
今、私が産んだばかりの赤ん坊の中にいる者の名を――。
赤ん坊は確かにニッと笑った。
前世の父親と今生で最悪な邂逅を果たしたと思っていた。
けれど、それ以上の最悪が起こったのだ。
私が唯一恋し、前世で私が殺した男。
今生では私の父親となりアンディに殺された男。
その男は今、前々世で彼が殺した前世の私の父親と私の息子として生まれてきたのだ。