番外編4 間違っているとしても(ミーヌ視点)
相原莉々だった時には気づかなかった。
けれど、今の私は前世の記憶を持っていても、人格は今生の私、ジャスミーヌ・アヤゴンだ。
前世の記憶は私にとって映画か舞台のようなもの。莉々の主観で見ている訳ではない。
だから、気づいた。
気づいてしまった。
前世では夫であり今生では異母兄となった「彼」が、本当の意味では前世の私を愛していなかった事に。
それでも、前世の私は愛されていたと思っていたのだし、私も彼も生まれ変わったのだ。
しかも、今生は兄妹としてだ。
彼が前世で莉々を愛していなかったとしても、過ぎた事だと割り切れるはずだった。
彼が愛した、いや、今も愛している女性が誰か分からなければ――。
彼が前世から愛したのが「彼女」でなければ、多少苦しみはしても心穏やかでいられた。今生では私達は兄妹だ。結ばれる事など絶対に許されないのだから。
父として彼女を愛しているのだと思っていた。
今生の肉体が他人だろうと前世では親子だ。
そんな相手を今生は他人とはいえ恋愛対象として見られるはずがない。
事実、ジョゼは、そうだった。
今生の肉体が他人でも、彼の息子を産んでも、ジョゼがトオルに向ける想いは前世と同じく敬愛する父親へのものだ。
だのに、トオルは――。
彼は、前世からジョゼを、祥子を愛していたのだ。
父としてではなく男として――。
前世の記憶を思い返して分かったのだ。
《バーサーカー》、祐に殺される寸前、祥子に向ける融さんの目が、どれだけ切なげだったのか。
親子だった前世では、おそらく自覚していなかった。
いや、気づいていたとしても、高潔な彼は、その気持ちを認めず握り潰していたのだろう。
私に気づかれるほどトオルが自分の気持ちを認めたのは今生では彼女と他人になれたからだ。
とはいっても、トオルがジョゼに愛の告白などするはずもない。
受け入れてもらえないどころか、彼女を苦しめるのが分かり切っているからだ。
今生では自分の気持ちを認めても、それを悟らせず、ただ彼女を見守るのだろう。
前世の娘だから、自分の息子を産んだから、放っておけないのではない。
ただ彼女が誰より何より大切だから傍にいて守りたいのだ。
もしかしたら、ヴィクトルがジョゼを襲ったのも、いや黒髪に暗褐色の瞳の女性達を弄んでいたのも、前世の人格の影響だったのかもしれない。
唯一無二の愛する女とその特徴を持つ女性達。
無意識下で求めていたのだとしたら。
――俺の被害者だ。
トオルも、それに気づいたから、そう言ったのかもしれない。
今生の人格ではなく自分のせいだと。
もし、そうなのだとしても、私はトオルを責める気はない。
世界中の人がトオルを責めても、事実、彼のせいなのだとしても。
彼の今生の人格、私の兄でもあるヴィクトルは断罪できてもトオルはできない。
私には誰より何よりトオルが大切だからだ。
トオルが前世で莉々を愛せず、娘に禁忌の想いを抱いていたとしても。
前世でも今生でも祥子しか愛せなかったとしても。
祥子を愛する彼ごと私は愛し大切に想っているからだ。
トオルへの想いをなくせば私が私でないように、トオルも祥子への想いをなくせば彼は彼でなくなるのだから。
世界中の人が、そんな想いは間違っているのだと言っても、構わない。
間違っているのだとしても、この恋が成就しないものなのだとしても、彼を想うだけで幸せなのだ。
私のこの想いは私だけのもの。
誰にも否定させない。
トオルがジョゼの傍にいるだけで幸せであるように、私もトオルの傍にいるだけで幸せなのだから。
次話は最終話でトオル視点です。