番外編2 本物の恋(デボラ視点)
「どうして、あのお嬢様から私を庇ったの? あなたがヴィクトルではないと分かっていても、私、あなたに、いろいろひどい事言ったのに」
ルイゾン・オザンファン侯爵令息から離れてしばらくすると、私は意を決してトオルに尋ねた。
「ひどいとは思わないけど? 君が俺を非難するのは当然だ」
トオルは人格が自分に変わっても、この体がしてきた事で非難されるのは当然だと思っているようだ。
「引っぱたかれそうになっていた女性があなたでなくても彼は庇うわ。そういう人だもの」
発言したジョゼフィーヌに私は複雑な表情を向けた。
「……『彼』をよく知っているのね」
私が今言った「彼」は、ヴィクトルではなく今現在その体で生きるトオルだ。
「私も転生者で彼とは前世から深い係りがあるからね」
だから、「彼」を殺さなかった。いや、殺せなかったのだろう。
けれど、ジョゼフィーヌは一切、私に言い訳しなかった。
何を言った所で私の心に響かないと分かっているからだ。
(……庇ってくれなくてよかったのに)
ジョゼフィーヌの言うように、引っぱたかれそうになっている女性が私でなくても彼は庇っただろう。
それでも、その優しさは私には残酷だ。
あの男の妹、ジャスミーヌが言っていた事は間違いではない。
たぶん私は心の奥底で、ずっと死を願っていた。
死ぬ度胸がなかったから、しなかっただけだ。
けれど、皮肉な事に、私に死ぬ度胸を授けたのは、あの男の妹であるジャスミーヌと、あの男と同じ魂と肉体で生きるトオルなのだ。
同じ魂と肉体でも「彼」が、あの男と違うのは少しの会話だけでも分かった。
それでも認める訳にはいかない。
この想いを――。
――ミーヌとタスクに何かしたらヴィクトルがした事が生温いと思うほどの屈辱と恐怖を与えてやる。
あの男と違っても、彼が優しいだけの男性でないのも分かった。
おそらく、彼の大切な人間に何かしたら、本当にヴィクトル以上に冷酷非情な事をためらわずにやれる人間だ。
彼を怖いと思う。
その怖さが鮮烈な今、私は死ぬ事にした。
この恐怖を含めて、彼を愛してしまううちに――。
人格が変わっても、彼もまた「ヴィクトル」だのに。
人格が「彼」に変わったというだけで、私は惹かれ始めている。
私の尊厳を踏みにじった男と同じ魂を持ち、その体で生きる男に。
優しくて高潔で、けれど、大切な人が絡めば誰よりも冷酷非情になれるだろう「彼」に。
かつての婚約者、幼馴染みでもあった彼の顔など、もう思い出せない。
仕方ないとはいえ、つらい目に遭い苦しんでいた私に寄り添う事なく、あっさり私を棄てた幼馴染み。
恨む気はない。
私も三年で婚約者でもあった幼馴染みの顔を忘れたのだから。
所詮この程度だったのだ。幼馴染みへの想いは。
恋だと思っていた。
けれど、あんなもの好意に毛が生えたものだ。
今私がトオルに抱いている想いこそが本物の恋だ。
体を奪われても心は屈服しない。
それが私の最後のプライドだった。
だから、認める訳にはいかない。
彼もまた「ヴィクトル」だから。
私の尊厳を踏みにじった男だから。
ジャスミーヌが言うように、彼女が渡してくれた毒薬を飲んでも苦しむ事はなかった。
ただ眠るように意識が遠のくだけだ。
これで、私は死ねる。
この人生を終わらせる事ができる。
ジャスミーヌが私への同情で毒薬を渡したのではないのは分かっている。
私がいれば、トオルが苦しむからだ。
彼女もまたトオルを愛しているのだ。
妹としてではなく女として。
同じ想いを抱えているから分かる。
自分の都合だけで私に死を促したのだとしても彼女を恨む気はない。
毒薬を渡されても使うと決めたのは私だ。
(……あなたが罪悪感を抱く必要などない)
尊厳を踏みにじられても、決して不幸な人生ではなかった。
最終的に私を棄てた家族でも、ちゃんと愛情を注いでくれて、それなりの生活をさせてくれた。
幼馴染み兼婚約者や友人達もいた。私の身に起こった事を知ったら離れていったが。
もう誰も恨む気はない。
私を虐げたヴィクトルの事も。
彼が「トオル」になったからではない。
死を目前にした今、生きている間の事は、もうどうでもよくなったのだ。
だから、今、この想いを素直に認めよう。
――愛しいてるわ。トオル。
その呟きを最後に、私の意識は闇に呑み込まれた。
だから、私は知らない。
私が死んだ翌日、私を棄てた事を後悔した幼馴染み兼元婚約者が私を追ってオザンファン侯爵領に来た事を。
私の死を知った彼が私の遺体を引き取るのを拒絶した家族の代わりに埋葬してくれた事を。
その後、彼が私の冥福を祈るために修道僧になった事を。
私は知らない。
次話はルイゾン視点です。