2 最悪な今生の邂逅②
殺すのだろうと覚悟していたのだが、私から離れた男の様子が変だった。
ベッドの傍で呆然と立ち尽くしているのだ。
「ヴィクトル?」
上半身を起こすのも億劫なので声だけを投げると男の体がビクリと震えた。
今までの自信満々な優位に立った男と同一人物とは思えない、恐る恐るという態で、彼は私を振り返った。
――目が合った。
青紫の瞳は同じだ。
けれど、瞳に浮かぶ光が、まるで違う。
傲慢なほど自信に満ちていたものではなく理性と怜悧さに満ちたその瞳は――。
「――お父さん?」
まさか、そんなはずない。
そう思うのに……思いたいのに。
「――祥子」
「彼」が言う「祥子」は、《エンプレス》、武東祥子ではなく前世の私、相原祥子だ。
姿や声は違っても瞳に浮かぶ光や「祥子」と呼ぶイントネーションは、まぎれもなく「あの人」だ。
相原融、前世の私の父親――。
どういう訳か、何がきっかけだったのか、たった今私を犯した男の人格は、前世の私の父親、相原融に変わったのだ。
しばし見つめ合った。
ふらりと彼の視線が私から叩き落した部屋の隅に放ってある短剣を捉えた。
今までの硬直が嘘のように素早い動きで短剣を手に取った彼の体に、次の行動を予想した私は飛びついた。ドレスを破かれたほぼ全裸に近い恰好である事や体の苦痛に構ってはいられない。
「駄目!」
「放せ! 死なせてくれ!」
「駄目! 死ぬのは許さない! お父さん!」
びくりと再び彼の体が震えた。
その隙に私は短剣を取り上げた。
「……俺は何て事を」
彼は、がくりと絨毯が敷かれた床に手と膝をついた。
「今生は親子じゃないし、私にとって、こんな事は大した事じゃないから私にした事は気にしなくていい」
人格が今生から前世に変わっても今まで彼がその体がしてきた事を全てなかった事にはできない。
それでも、私にした事だけは本当に気にしなくていいのだ。
今生は親子ではないし、私にとって、こんな事は本当に大した事ではないからだ。
「それより、よく私が前世の娘だと気づいたね」
アンディと違って前世とは似ても似つかない姿だのに。
そういえば、アンディもレオンも今生で初めて会った時に一目で「私」だと気づいた。
「……分かるよ、お前なら。俺の娘なのだから」
確かに。私も人格が交代して、すぐに「お父さん」だと気づいたのだ。
「私、今ね、前世と同じく《アネシドラ》で実行部隊員をしているの」
事務的に話しだした私に彼は顔を上げた。
「貴方となる前の、その体で本来生きるヴィクトル・ベルリオーズが何をしていたか、分かっているよね?」
「……今生の記憶もあるよ」
でなければ、「お父さん」となった直後に自殺しようとする訳がないのだ。
私の知る相原融は理性的で怜悧で優しい人だった。
いくら「自分」ではなかったとはいえ、同じ魂、同じ肉体で生きる男がしてきた事を知って打ちのめされているだろう。「自分」がした事ではないからと開き直れる人でもない。
「《アネシドラ》への依頼はヴィクトルに弄ばれた女性からで散々痛めつけた上、殺してほしいだったわ」
「なら、なぜ止めた? 俺を殺すためにきたのだろう?」
「『貴方』じゃない。《アネシドラ》が請け負ったのは、ヴィクトル・ベルリオーズの殺害よ。ヴィクトルは消え『貴方』になったのだから依頼は完了したのよ」
「それは詭弁だよ。祥子。人格が『俺』になっても、ヴィクトル・ベルリオーズであるこの体が生きている限り、依頼完了とはいえないだろう?」
彼が言っている事は尤もではあるが。
「依頼の半分は完了したわ」
何より、私には殺せない。
ヴィクトルだった彼と戦っても勝てなかった。
それを抜きにしても、人格がお父さんになった彼を殺す事は私にはできない。
「今生の自分がしてきた事で打ちのめされているでしょう。貴方にとっては死が唯一の救いかもしれない。それでも、私は貴方に生きてほしい。お父さん」
私の言っている事は、清廉な父にはつらい事だろう。
「貴方が表出した事には、きっと何か意味があるわ。今生の自分がしてきた事の償いのためでも何でもいい。どうか生きて」
死ぬのはいつだってできる。
どうか今度こそ天寿を全うしてほしい。