18 終わらせるしかない(ミーヌ視点)
トオル達と別れた私とデボラとタスクは、三号棟の二階にあるデボラの部屋に向かった。
憎んでいる男の妹と息子でも礼儀として客人にはお茶を振る舞うべきだと思ったのか「紅茶を淹れるわ」と言ったデボラに「それより話を始めましょう」と椅子に座らせた。どうせ紅茶を注いでもらっても、これから始める話のせいで飲む気にはなれない。
デボラとはテーブルを挟んだ向かいの椅子に私が座り、その隣に幼い体で苦労して大人用の椅子に座ったタスクが座ると、さっそく私は話を切り出した。
「単刀直入に言います。あなた、死にたいんですよね?」
言われたデボラは息を呑んだ。それは思ってもいなかった事を言われて驚いたからではなく常に自分が心の奥底で思っている事を言い当てられたためだ。
「前世の私がそうでした。『私』を『おもちゃ』にした父親をこの手で殺しても、愛する夫との間に娘を儲けて幸せに暮らしても……ふとした瞬間に乗り越えたはずの忌まわしい過去を思い出してしまう」
私はタスクやトオルのように前世の人格が表出している訳ではない。ジャスミーヌ・アヤゴンとしての今生の人格に前世の記憶だけを与えられているのだ。
前世の私は相原莉々、融の妻であり祥子の母親だった女だ。
だから、三年前、父であるベルリオーズ公爵の不正の証拠を探すために彼の執務室で「ヴィクトル」と遭遇した時、気づいた。
姿こそ異母兄だが、彼の人格は、相原融、前世の私の夫だと――。
あの時、思わず前世の私と同じように「融さん」と呼び掛けたのは、私の痛恨のミスだ。
それで、トオルに私が、正確には私の前世が、妻だった女だと気づかれてしまったのだから。
前世の記憶があっても、今の私はジャスミーヌ・アヤゴンだ。相原融の妻であった莉々ではない。
物心ついた頃から保持している前世の記憶、その中に登場する「融さん」にジャスミーヌもまた恋しているとしても。
私は莉々ではない。
前世の記憶があっても、同じ姿でも。
同一視されたくない。
まして、兄妹に生まれ変わった以上、前世の夫婦だった時には戻れない。
ならば、兄妹として仲良くしようと話し合った。
……そうするしかないのだ。
「兄さんを痛めつけて殺しても、あなたの苦しみは消えない。だって、自分を虐げた男をこの世から消しても過去の苦しみを忘れられず、ふとした瞬間に、その記憶が自分を苛むのでしょう?」
私は現在に気持ちを切り替えて話を続けた。
「だったら、苦しんでいる自分を終わらせるしかないじゃない」
ジョゼのように考えられればよかったのだろう。
尊厳を踏みにじられても「大した事ではない」と思えれば。
けれど、莉々も、デボラも、過去の苦しみから逃れる事ができなかった。
どれだけ年月が経っても、今現在幸せを享受していても、ふとした瞬間に忌まわしい過去が自分を苛むのだ。
「これを」
私はデボラの目の前に薬包を置いた。
「これは?」
「毒薬です。さして苦しむ事なく、あっさり死ねます」
護身用に私が作った毒薬だ。
亡くなった今生の母は薬師だった。母は毒や薬に関する知識を幼い娘に教え込んだ。「いざという時は、ためらわずに毒を使いなさい」とまで言われた。案じていたのだろう。前世と同じ、見かけが美しい娘の身を。実の父親であるベルリオーズ公爵からでさえ気色悪い視線を向けられていたのだから。
「使うかどうかは、あなた次第です」
強張った顔で薬包を見るデボラに構わず、私は椅子から立ち上がった。
次話もミーヌ視点になります。