12 忌まわしい過去との再会
トントンと外から扉が叩かれた。
私達が入室の許可をする前に、「失礼します」と言って扉が開かれた。
入って来たのは二十歳前後の女性。黒髪に暗褐色の瞳。中背で華奢ながらグラマラスな肢体のなかなかの美女だ。
そして、私とリリとレオンは、その女性に見覚えがあった。
「アメリー・シャルリエ伯爵令嬢がお付きの方をお呼び……」
女性の言葉は途中で途切れた。
彼女のただでさえ大きな瞳が見開かれヴィクトルを凝視している。
「なぜ、お前が生きているの!?」
その女性、デボラ・コベールに怒鳴られたヴィクトルは最初驚き、次には納得した顔になった。
「……君はヴィクトルに弄ばれた女性の一人なんだな」
いくら今生の記憶も持っていようと今生の自分が忘れ去った事までは、いくらトオルでも憶えていられないだろう。魂が同じとは思えないほど人格が前世とは真逆だったヴィクトルは、自分が弄んで棄てた女性の事など記憶の片隅にも残っていないだろうから。
「そして、彼女が《アネシドラ》に今生の貴方の殺害を依頼しに来た人よ。名前はデボラ・コベール」
言うなれば、デボラが今生で私とトオルを出会わせたきっかけなのだ。
「……あなた、《アネシドラ》の」
デボラのほうも《アネシドラ》で依頼をしに来た時に対応した私の事を憶えていたようだ。
「……三年前に依頼は完了したと言ったわよね。私を騙したの?」
私を睨みつけるデボラに私は動揺する事なく落ち着いて対応した。
「嘘ではないわ。彼は、もうあなたの知るヴィクトル・ベルリオーズではなく彼の前世の人格、相原融だもの」
「……転生者?」
この世界には、トオルやアンディのように前世の人格が表出したり、人格は今生だのに前世の記憶や知識を持っている人間がいて彼らは転生者と呼ばれている。すぐにデボラもトオルがその転生者の一人だと気づいたようだ。
「……本当に、あいつではないの?」
転生者だと気づいても今目の前にいる男が、かつて自分を虐げた男と違う人格だとは、すぐには納得できないだろう。デボラの疑問は尤もだ。
「確かに体はヴィクトル・ベルリオーズだ。けれど、今の俺はトオル・アヤゴンだ」
そこまで言うとトオルは沈痛な顔になった。
「……人格が前世に変わったからといって、この体がした事、あなたや他の女性達を虐げた事が帳消しになるとは思ってない」
デボラは息を呑んだ。ヴィクトルであれば決して言わない科白に衝撃を受けたのだろう。
「最初は死ぬ事で償おうとしたが、それはジョゼに止められたし、今の俺には守るべき者達もいる。だから、死ぬ事は決してできない」
トオルは真っ直ぐな視線をデボラに向けた。
「あなたは俺に、どうしてほしい? 死ぬ以外なら何でもする」
デボラは、じっとトオルの顔を見つめた。その顔は確かに、かつて自分を虐げた男。けれど、その表情は、あの男では決してできないものだ。女に対して蔑みではない思いやりに満ちたものなど。
「……あなたが、あいつだけど、あいつじゃない事は分かった」
長い沈黙の後、デボラはぽつりと言った。
「でも、それが何? あいつが消えたって……私の苦しみは消えないのに」
デボラの大きな瞳から涙が零れだした。
「……市場で買い物していた私をあんたは無理矢理邸に連れ込んで散々弄んだあげく棄てた。その後、私は婚約者と家族に棄てられたわ」
合意だろうとそうでなかろうと男と関係を持った未婚の娘を見る世間の目は厳しい。そんな娘と婚約している事、家族でいる事が耐えられず、デボラの婚約者と家族は彼女を棄てたのだ。
「あんたの家が取り潰されて、あんたは行方不明と噂で聞いた。てっきり私の依頼通り殺してくれたと思っていたのに。……三年経って、ようやく私も忌まわしい過去に決着をつけて生きていこうと誰も知り合いがいないオザンファン侯爵領まで来て家と仕事を見つけたのに」
デボラの言葉で思い出した。今日、この南門に新入りの事務員が入ってくる予定だった事を。それがよりによってデボラだったなんて。
「……何でよりによって、あんたが私の目の前に現れるのよ」
デボラにとっても思いもしなかった事だろう。よりによって決着をつけたはずの忌まわしい過去の象徴であるトオルと再会してしまうとは。
トオルに言われるまでもない。
いくら人格が今生から前世に変わったからといって、その体がしてきた事はなかった事にはならない。
尊厳を踏みにじられた人間が、それで納得して許せるはずもない。