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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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89.白猫を追いかけて




 広間はざわめいていた。

 オークションの係員らしき男達は会場の右側にある廊下や広間の警備員の元へ駆けて行き、何事か相談している。

 軽食の置かれたテーブルやソファにいる客達は、じろじろとその様子を眺めては囁き合っていた。きっと四十二番の件だ、例の怪しい薬だろう、などという声が漏れ聞こえてきた。


 私はそれとなく客達の番号札を確認しながら、騒がしい方とは逆へ向かう。

 会場の左側にある廊下は立ち入り禁止なのかパーテーションポールが立てられ、シンとしていた。角を曲がってすぐのところで壁にもたれかかり、ふっと息を吐く。すぐ隣にあるこのポールより奥に行かなければ問題ないでしょう。


 ――非日常感も売りなのだろうけれど、仮面とローブ姿の大人達って、やっぱりちょっと怖いわ。


 おそらく、四十二番さんはまだオークションハウス側の人と話しているのだろう。

 第二部にも参加してくれる事を祈って……だけど、話せたとしてどうするのか。ただでさえ素性を隠すというルールのこの場所で、出品取りやめになった商品について知りたいと言い出すのはリスクが大きい気がした。


「うーん…」

 俯いて唸った私の視界に、するりと猫が入り込む。


 ……、猫?


 固まった私の足元で、美しい毛並みの白猫が青い目を瞬く。私はサッと青ざめて震える手をポケットに入れ、チケットを広げた。


 ・商品の安全が第一ですので、動物持込は厳禁です。係が発見次第処分させて頂きます


 ――まずいわ!!?


 くしゃりとチケットを握りしめて猫を見ると、私の勢いに驚いたのか猫は踵を返してしまった。

 パーテーションポールの下を潜り抜けて廊下を駆けていく。


「ま、待って!」

 私は小声で叫び、慌てて追いかけた。

 手を伸ばしたらチケットを落としてしまったけれど、拾っている場合ではないし、立ち入り禁止を守っている場合でもない。係員に見つかったらあの子は処分されてしまう。

 首輪をつけていないけれど、あの毛艶の良さは誰かが面倒を見ているはず。馬車から逃げ出してしまったのかもしれない。


 猫は唯一扉が薄く開いていた部屋にするんと吸い込まれていく。明かりはついていないから誰もいないらしい。

 中に入ると、廊下からの明かりでそこが応接室だろう事がわかった。上質なソファが向かい合わせになった中間にローテーブルがあり、壁際にはコレクションなのか美術品が並んでいる。

 動物の持ち込みが禁止なのはまさにそういう物を守るためのはずだ。


「ね、猫さんどこ…?危ないから、一緒に行きま――ッ!!」

 人影が見えて息を呑んだ。

 でもそれは大きな全身鏡に他ならぬ私の姿が映っていただけで、おまけにすぐ横には白猫がちょこんと座ってこちらを見ている。

 私はほっと息を吐いて猫に近付いたけれど、鏡の裏に消えてしまった。


「出てきて、お願いだから……あら?」

 薄暗くてよく見えなかったけれど、全身鏡は壁に張り付いているのではなかった。

 壁に大人がくぐれるくらいの穴が空いていて、鏡の裏にはスタンドがついている。猫は隙間から穴の中に入ってしまったみたいだ。

 覗いてみたけれど、流石に廊下からの明かりは届かなくて、真っ暗で何も見えない。こういう時って猫の目は光るものなんじゃないのかしら。


 私は腕に少し魔力を流して、重たい鏡をずりずりと前へ動かした。

 膝をついて、穴の中に上半身を入れて手を伸ばしてみるけれど何も触れない。結構深いのだろう。光の魔法を使った方がいいかもしれない。


「明かりがないと何もわからな――」


 誰かに身体を掴まれた。


「えっ!?なにっ、」


 抵抗する間もなく穴に押し込まれて、下についていた手がずるりと滑って空を掻いた。床が途切れていたらしい。

 まさかと思った瞬間には、私はツルリと滑る穴の中を転がり落ちていた。




 ◇




「まさかオークス公爵のご子息がいらっしゃるとは…私は庶民の身ですので、作法にご無礼もあったかと存じますが、何卒お許しください。」


 メラニーと名乗った司会者の女性は、そう言って深く頭を下げた。

 四十二番の札をつけた男――チェスター・オークスは、別室に通された今はもうフードを脱いで赤茶色の長髪を晒している。黒地に銀で模様が描かれたアイマスクはつけたまま、にこりと微笑んだ。


「作法などお気になさらず。迅速に対応頂いて感謝しています。」


 あの薬瓶は騎士団が捜査中の盗品に酷似しているため、出品者の身元を改める必要がある。

 オークションの最中にチェスターが告げたのはそんな内容だった。まだ名乗ってすらいなかったため「四十二番」が真実を話しているかは不明であるものの、メラニーは即座に出品取りやめの判断をした。誠であればそんな物を売るわけにはいかないし、何より――


「あの薬瓶は、出品者の身元が不明です。オーナーがやり取りしており…それにしても普段はもう少し情報があるものなのですが、名前くらいしか。なんとなく妙だとは思っておりました。」

 メラニーは台帳を差し出したが、書かれていた出品者の名前はいかにもありきたりで、どこにでもいそうだ。偽名を疑いながら目を走らせ、リストの終盤で止まる。


「……絵画《潮風》、出品者エクトル・ジュリオ…伯爵自身が出されているようですけど、まさかこれが噂の?」

 チェスターが聞くと、メラニーは躊躇うように眉尻を下げて目をそらし、頷いた。

「ガブリエル・ウェイバリーの新作でございます。」

「彼は馴染みの画商としか取引しない。俺もそれを知ったのは最近ですけど、なぜ伯爵が?」

「個人的に知り合いだと…そう、おっしゃっていました。」

 メラニーは答えたが、歯切れが悪い。これについても妙だとは感じていたのだろう。

 チェスターが目を細めた事を責められたと思ってか、彼女は「しかし」と声を上げる。


「偽物ではありません。あの繊細な筆使いは間違いなく《完璧》を謳われるウェイバリーのものです。サインも確認致しました。そう、それに…オーナーが言っていました。ウェイバリーは近年、キャンバスの側面に感謝の言葉を綴るようになったそうです。自慢気に見せられましたので、間違いありません。」

「そうですか…。」

 絵画の目利きができるわけでもなし、チェスターにその情報の真偽はわからない。

 シャロンがジェニーに贈った女神像の画集を一緒に眺めていたため、かの画家の異常なまでの再現度は知っている。ただ、それまでだ。サインの形状や隠しメッセージ云々は専門家にしかわからない。

 部屋に沈黙が落ちる。


「――俺の個人的な勘でしかありませんが、」

 メラニーが、くっと唇の裏を噛む。何を言われるか予想がつくのだろう。


「出していいのか迷うなら、自信が持てるまで待ってみませんか。メインを取りに来た客は不満に思うでしょうけど、伯爵に疑念があるならやめた方がいいんじゃないかなって思います。」

 敢えて少しだけ砕けた口調を混ぜ、チェスターは真剣な目はそのままに笑みを浮かべた。

 メラニーは躊躇うように視線を斜め下へと落としたが、やがて諦めたようにチェスターを見返す。


「そうですね…オーナーは第二部の終わり、まさにウェイバリーが出品される頃には出先から戻る予定です。それまでには騎士様も到着されるでしょう。」

 既に薬瓶の件で使いが走っていた。

 じきに派出所から騎士が来て、早ければ一時間内には騎士団本部からも人員が寄越されるだろう。何せ第二王子が関わった案件で、騎士の監視下にあったはずの物が無くなっていたのだから。


 ――ばっちり合ってれば良いけど、同じ薬が別ルートから来てただけって可能性もあるんだよね。伯爵から聞き出すのは騎士団にお任せかな。


「貴女の判断に感謝を。」

「オーナーの留守を預かった者として、法の下に正しくありたいと思います。エクトル・オークションズは捜査への協力を惜しみません。」

 メラニーは再び深く礼をしてみせた。

 オーナーが白であろうと黒であろうと、彼女は騎士団の指示に従うつもりらしい。チェスターも胸に片手をあて、静かに礼を返した。


「メラニー、もう第二部が始まりますので。」


 ノックの後にそう声がかかり、メラニーはチェスターに《潮風》を出品しない事を約束して退出した。三十分の休憩時間は終わりに近付いている。


 チェスターは騎士を出迎えるべく玄関ホールに向かった。

 第二部が始まる時間なのに出てきた参加者、それもフードを脱いでいるとあって、待機していた従者や護衛達の視線が集中する。

 明らかなルール違反に係員らしき男達がちらちらと顔を見合わせているが、メラニーから既に指示が飛んだのかチェスターを諫める者はいなかった。


 しかし、近付いてくる者達がいる。


「失礼致します、…四十二番様。」

 自分から声をかける無礼を謝罪し、白いシンプルなアイマスクをつけた女性が静かに淑女の礼を取った。連れらしい青年は黒いアイマスクをつけ、じろじろと不躾にチェスターを眺めている。

 女性が礼の姿勢を崩さずに青年を拳で突くと、彼は渋々頭を下げた。

 一体何の用があるのかと思ったチェスターは、顔を上げた女性を見て目を瞬いた。


「あれ?貴女は…」

 見覚えがあるとすぐに気付いた。

 フードの中には瞳と同じオレンジ色の髪が見えている。そして今日このオークションに訪れる可能性のある知り合いは誰かを考え、記憶が合致した。アーチャー公爵家の庭にいた使用人だと。

 導き出される答えに、チェスターは苦笑した。


「あちゃー……あの子来ちゃったの?俺、行かなくていいよって言ったんだけどなぁ。」

「中で何かあったのですか?」

 焦ったように早口で問いかける侍女は、シャロンの心配をしているのだろう。

 青年のほうも侍女と同じ「三十五番」の札をつけているのを確認しながら、チェスターは安心させるように首を傾ける。


「大丈夫、危ない事は何もないよ。彼女、絵を見に来たのかな?」

「そうおっしゃっていました。」

「あれは今日見れないんだ。先に伝えてくるよ。三十五番ね」

 小声で告げると、侍女は「お願いします」と再び頭を下げた。

 離れているのは心配なのだろう。青年が誰なのかは少々気になるところだが、侍女の態度からして使用人見習いか護衛と思われた。


 もう第二部が始まる。

 客は既に会場へ移ったのだろう、広間は閑散としていた。壁際には警備員が数人立っているものの、それだけだ。

 会場へ入るならと、チェスターはフードをかぶって髪色を隠す。シャロンも既に会場へ行っただろうと思いながら広間に視線を走らせ――会場の左側へ続く廊下の角で、何かが動いた。


 ――紙?


 くしゃりと曲がったそれはただのゴミかもしれないが、妙なものが見えた気がしてチェスターは足を止める。

 視線の先で、白い何かが伸びて紙をてしてしと叩いた。見間違いでなければ獣の前脚だ。動物の持ち込みは禁止だったはずと思いながらそちらへ向かう。

 あの廊下には立ち入り禁止のパーテーションポールがあったはずだ。警備員はチェスターの事を聞いているのか、止める様子がない。


「猫?」


 白猫だった。

 猫は、チェスターを見上げると踵を返して廊下の奥へ走っていく。つつかれていた紙を拾って皺を伸ばしてみると、それはオークションの入場チケットだった。


 ――まさか、シャロンちゃんの?


 彼女の他にも、紹介チケットを持って参加した人はいるだろう。そうは思っても嫌な予感がした。なぜそのチケットがこんな場所に落ちているのだろうか。顔を上げると、猫は廊下の途中でこちらを振り返って見ている。まるで待っているかのようだ。


 誘われるように歩いて行くと、猫は何かをポトリと落とし――くわえていたのだろうか?チェスターには見えなかった――薄く開いた扉の隙間へ入り込む。

 涎なのかぴたぴたと濡れたそれは、「三十五番」の番号札だった。


「な…」

 慌てて部屋の扉を開け放ち、廊下の明かりでは足りないと見て光の魔法を使う。応接室のようだ。白猫は全身鏡の横で眩しそうに目を細めているが、シャロンの姿はどこにもない。

 唯一の手掛かりである白猫は、鏡の裏ににゅるりと入っていく。駆け寄って鏡を動かすと、壁には大人でもくぐれそうな穴が人為的に空けられており、下へ下へと続いていた。緊急時の脱出用だろう。


「…いやいや、まさか。ここから落ちたとか?オークションに来て何でそんな…」


 苦笑いで呟いて、はたと止まる。白猫の姿が見当たらない。握りしめられたかのように皺の寄ったチケットに目を落とすと、動物持ち込みに関して「発見次第処分」の文字がある。

 シャロンが白猫を見かけたとしたら。この先で、怪我でもして動けなくなっていたら。


 場合によっては誰かを呼ぶ暇はない。

 チェスターは笑みを消して穴の中へと身体を滑り込ませた。





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