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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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87.まさにその通り

 


 扉の開く音が聞こえて、サディアスは顔を上げた。


 今まで目を通していた書類を反射的にひとまとめにし、自分の方に引き寄せる。

 限られた者しか来られない小さな庭にやって来たのは、薄紫色の髪の少女だった。自分を見つけて顔を綻ばせる彼女を見て、サディアスはため息と共に肩の力を抜く。


「こんにちは、サディアス。」

「貴女でしたか。こんにちは、何のご用ですか?」

「大した事ではないのだけれど……忙しかったかしら?」

 サディアスの眉間に寄った皺と、その手元にある分厚い書類の束を見て、シャロン・アーチャーは申し訳なさそうに小首を傾げた。

 扉からほんの数歩だけこちらへ近付いて止まったところを見ると、忙しいならまたの機会にするつもりのようだ。


「構いませんよ、ちょうど煮詰まっていましたから。」

「そう?では、お言葉に甘えて。」

 シャロンはととと、と子猫のように軽やかに庭を横切り、サディアスに勧められた椅子に座る。王立図書館の秘境である小さな庭園は、今日も秋晴れと爽やかな風に恵まれていた。


 サディアスは魔法でポットに水を満たすと、テーブル脇に置かれた小さな金網に乗せ、火の魔法で下から加熱する。

 彼の飲みかけらしいカップとは別に、ソーサーの上に伏せられたカップが一つある事に気付いてシャロンが問いかけた。


「誰かを待っていたの?」

「いいえ、別に。貴女は私を探しにわざわざ?」

「えぇ、会えたら良いなと思って。昨日ね、とうとう水の魔法以外を試してみたのよ。」

 シャロンは真剣な顔で結果を報告する。

 光と風はそれぞれ少し使えたものの、闇と火はまったく発動できなかったのだと。


「三つ使えれば充分だと思いますよ。私に言われても納得がいかないかもしれませんが。」

 サディアスは最適である火の魔法以外でも、すべての属性を発動する事ができる。それも少し使えるというレベルではなく、かなりの威力を使いこなしてみせる上に魔力量も多い。

 このまま研鑽を積めば国一番の魔法使いになるだろうと言われていた。


「属性の数は充分だとは思っているわ。最適の属性しか使えない人も沢山いるのだから。」

 目つきの悪い使用人の顔を思い浮かべながら、シャロンが言う。ポットからぼこぼこと沸騰の音が聞こえてきた。


「ただ光は辺りを照らすくらいしかできないから、姿を隠せるようになりたいと思うし、風も吹かせるだけではなく、自分で空を飛べたらと思って。」

 シャロンは今後のために風と光の魔法が使えたらと考えていたため、それらの適性があった事は喜ばしかった。風の魔法で自ら飛べるようになれば空中戦が可能になるし、光の魔法で姿を隠す事ができれば何かと役に立つ。逃げる時に隠れたり、不意打ちを狙ったり。

 しかし実際に発動できるのはささやかな事だった。シャロンが生み出す風では自分は持ち上がらないし、光は明るいばかりで姿を隠すやり方などサッパリだ。


「狩りに同行すると聞いた時にも思いましたが、貴女は一体どこを目指しているんですか。」

 サディアスは呆れ声で返し、ティーポットとカップを湯で温める。

 シャロンがぱちくりと目を瞬いた。


「それを知っているという事はもしかして、狩りには貴方も来るの?」

「えぇ。少々懸念が……まぁ、人数が増えれば警備も増えるというだけの事です。」

 慣れた手つきでティーポットに茶葉を入れ、サディアスは改めて湯を注ぎ蓋をする。

「貴女を含めて十名、ついてくるようですからね。」

「そんなに?すごいわね。」

 色んな人の戦法を見る事ができるなんて勉強になる、とホクホクして微笑んだシャロンは、はっとして眉を顰めた。

 自分以外の九人がどんな令嬢かはわからないのだ。


「いらっしゃるのは…騎士の家系の方とか?」

「自分も戦うつもりでいるのは貴女だけでしょう、とは申し上げておきます。」

「そ、そう…。」

 がっくりと項垂れたシャロンにサディアスの呆れたような視線が突き刺さる。

 ティーポットから甘やかな香りが漂ってきた。


「貴女、今回の狩猟が婚約者探しの意味合いを持つ事はわかっているのですか。」

「わかっているわ。皆様、ウィルやアベルの傍にいたいから狩りにも同行するのよね。でも山道なのだから、コテージに残る方々も賢い選択だわ。」

 主旨を理解しているらしい発言を聞いて、サディアスは訝しげに眉根を寄せた。

 シャロンは筆頭候補でありながら、まるで自身は婚約者の地位を狙っていないかのようだ。思い返してみれば彼女の態度は一貫して「そう」だった。


「……ちなみに、どちらについていくおつもりで?」

「アベルよ。彼が許してくれればだけど。」

 ちょっと驚かれそうよね、などと言ってシャロンはくすりと笑う。

 サディアスが紅茶を注いで差し出すと、小さく礼を告げて受け取った。


「アベル様は冷静な方です。驚かれると思うのですか?」

「そうね、でもなんとなくだけれどあの人、私が自分の方に来るとは思いもしてないんじゃないかしら。苦い顔をしてウィルの方に目をやる姿が、今から見えるようだわ。ふふ」

 楽しそうに微笑むシャロンを前に、サディアスはつい先日城の庭で話した時の事を思い返した。

 シャロンがどちらと同行するかについて、アベルは「ウィルでしょ」と断じていたのだ。自分の方に来るとは思いもしていない、まさにその通りだった。


「同行理由を伺っても?婚約を狙っているわけではないのでしょう。」

「彼の剣技を見られるというのが大きいかしら、手合わせを見せてもらうのとはわけが違うもの。それにウィルはきっと、かなり力を抑えるでしょう。万一にも、同行している方に被害があってはいけないから。」

「アベル様はそこを気にしないと?」

「ウィルは体裁を崩さないために、ご令嬢の前で全て行うんじゃないかしら。反対にアベルは距離を取ると思うわ。魔法を使わない分、色々と直接的だから。」

 つまり力を抑えて戦うウィルフレッドと行くより、アベルと行った方が勉強になるという考え方だ。

 サディアスはこめかみに手をあてて数秒目を閉じた。そんな勉強をしに王子の狩猟についてくる令嬢などシャロンくらいだろう。

 彼女はアベルに同行するだろう、と言っていたウィルフレッドの予想は理由を含めて当たっていたわけだ。


「下手をすると、同行を希望しても置いていかれそうなのよね。なんとかしてついていこうと思っているのだけれど…。」

「ついていけなかった場合は騎士がコテージへ送りますから、ご安心を。」

「あら、やっぱりそういう想定があるのね?」

「……山道は、大体のご令嬢にとって険しく辛いものですから。」

 決してアベルが令嬢を置いて行くつもりだからではない、と暗に示しつつ、サディアスは短く息を吐いた。

 狩猟での事を想像して気分が高揚したのか、あるいは飲んだ紅茶の温かさのせいか、シャロンの頬はうっすらと赤く染まっている。


「それで、ついていくためにも風の魔法を練習したいのだけれど、サディアスはどうやってあれほどまで使えるようになったの?」

「魔法は生まれつきの上限があると言われていますから、練習しても貴女がどこまでいけるかはわかりませんよ。」

「えぇ、理解しているわ。」

 人によっては冷たく聞こえる言葉だったが、最初から期待させ過ぎない事もまた相手への優しさだ。シャロンは真剣な表情で頷いた。


 サディアスは眼鏡をくいと押し上げ、淡々と自分が行った練習方法を話す。

 教本に載っている方法の良い点と悪い点、最初から自分を浮かそうとせず別の物から始める事、先に風の威力の調整から学んでおく事など。シャロンは筆記用具を持ってきた方が良かったかと後悔しながら、一つ一つを忘れまいと頭に刻み込んだ。


「ありがとう、サディアス。教えてもらったやり方で頑張ってみるわ。」

「どういたしまして。用事は以上ですか?」

 まだ飲みかけの紅茶をちらりと見てサディアスが聞くと、シャロンははたと思い出したように言う。

「そうだわ、一つ…もし知っていればだけれど。」

 ポケットを探った彼女がチケットをテーブルに置くと同時、庭園の扉が開いた。

 二人してそちらを見ると、見知った顔がへらりと笑って手を振ってくる。


「やっほーサディアス君。シャロンちゃんも一緒なんだね。」

「チェスター!」

 彼が来た事が意外だったのだろう、シャロンは目を丸くしたが、サディアスには別段驚いた様子はなかった。

 長い脚でさくさくと庭園を横断してきたチェスターは、遠慮なく空いた席に腰かける。


「二人で何のお話してたのかな?おにーさんも混ぜてよ。」

「今ちょうど、これについてサディアスに聞こうとしていたところよ。」

 シャロンはテーブルに置いたチケットを手で示した。

 オークションハウス「エクトル・オークションズ」の入場チケット。

 紹介の文字と会員ナンバーらしきものが振ってあるので、誰かに貰ったのだろう。もう数日後の開催日のみ有効となっており、仮面とローブの着用厳守などのルールが書き込まれている。


「せっかく頂いたから行くつもりなのだけれど、どんな所なのかもし知っていればと思って。」

「…今のところ法律違反したという話は聞きませんが、それだけですね。誰に貰ったんです?」

「マグレガー侯爵家のキャサリン様に。次回の目玉商品はウェイバリーの新作だとおっしゃっていたわ。」

 シャロンがそう言うと、サディアスは思いきり眉を顰めた。


「ガブリエル・ウェイバリーですか?完璧な写実画家と言われる。」

「そうだと思うわ。私が他の方と話していた後で誘われたから。」

 チェスターはチケットを手に取ってじっと眺めている。

 サディアスは難しい顔でため息をつき、首を横に振った。


「本物か怪しいと思います。彼は決まった画商としか取引しないはずです…キャサリン嬢はフルネームで言っていましたか?」

「…いいえ。《ウェイバリーの新作》とだけ。」

「他のウェイバリーが出てくるかもしれませんね。もっとも、その名で活躍しているのは画家のガブリエル以外に聞きませんが。」

 サディアスの話を聞いて、シャロンは少し眉尻を下げて「そう」と返した。

 あの素晴らしい女神像の画集を描き上げた画家の新作、それも現物を見られるかもしれないと内心楽しみにしていたのだ。しかし決まった画商としか取引しないなら、オークションなどという場所で新作が公開されるのは怪し過ぎる。

 キャサリンはシャロンが会場に来ればそれだけでよかったのかもしれない。紹介によりマージンが入るのか、あるいは別の目的があるのかは不明だが。


「偶然だけど、俺元々これに行く予定だったんだよね。」

「チェスターが?」

 驚いて聞き返したシャロンの死角で、サディアスがチェスターの足を蹴りつけた。

 彼がオークションへ行くのはアベルの指示であり、下手に漏らす事ではない。賭博場の地下倉庫から消えた「秘薬」とやらは見つかっておらず、シャロンが来るまでサディアスが見ていた資料もそれに関連するものだ。


 倉庫の扉の覗き窓は拳しか通らない格子付き。

 アベル達を連れてロイが出てからは、騎士が地下への入口を背にして見張っていたため、たとえ姿を消そうともぶつからずに侵入するのは不可能であり、扉の開閉音も聞いていない。

 風の魔法で瓶を浮かせ、格子の隙間から出す事はできるだろうが、そのためには騎士をすり抜けて倉庫の真ん前まで行く必要がある。

 当日賭博場を出入りした人物は調べ終え、秘薬を質に入れた男すら特定してアリバイを確認済だ。


 騎士団とアベルの私兵(だとサディアスは認識している)とで様々な可能性を考慮する中、下見会のない、当日まで出品される物の全容が不明なオークションも捜査対象の一つだった。

 そういった場での客同士の会話も重要な情報源で、チェスターには比較的安全もしくはグレー程度のオークションハウスが回されている。


「そ。だから噂の新作がどうだったか後で教えるよ。」

 足を蹴られた事など微塵も顔に出さず、チケットをシャロンに返しながらチェスターは笑った。

「もし本物だったら競り落としてプレゼントしようか?ジェニーにくれた画集のお礼。」

「だ、駄目よ。金額が違い過ぎるわ!」

「ははは、ま~たぶんガセなんだと思うよ。キャサリン嬢には悪いけど、行かなくていいんじゃないかな。」

 にこにこと笑うチェスターの横で、サディアスも涼やかな顔で頷いている。


 ――じゃあ、どうしてチェスターは行くのかしら。


 戸惑いつつも「そうね」と返して、シャロンはチケットを見つめた。



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