85.脈なし令嬢シャロン・アーチャー
クローディアに挨拶を終えた後。
久々の茶会参加という事もあって、シャロンは令嬢達に取り囲まれていた。
「まあ。それでは、その庶民の方というのはベインズ様の教え子ですのね。」
興味津々といった様子で目を丸くする令嬢に、「ええ」と微笑む。公爵家に庶民の少年が何度も出入りするというのは、やはり様々な憶測を呼んでいたらしい。
どこかの店の小間使いだとか使用人の子供だとかいうのはまだしも、シャロンの愛人候補だなどというとんでもない噂まであった。
もちろん私は信じていませんけれど、と言いつつ教えてくれた令嬢も、その顔には好奇心がありありと浮かんでいた。
公爵家の娘が幼い時分から既に男漁りなど、とんでもない醜聞であり噂好きな人間にはたまらない餌だ。
もっとも、さすがにそれは無いだろうとわかった上で、冗談めかして楽しまれていただけのようだったけれど。もしシャロンが悪評のある令嬢であれば、信じる者もいたかもしれない。
「護身術について、彼から学ぶ事は多いですわ。」
「危なくありませんの?シャロン様がお怪我でもされたらと、わたくし心配です。」
「決して怪我のないように加減して頂いていますから、大丈夫ですよ。あくまで初歩的な事しか習っておりませんしね。」
ふわりと微笑んで、シャロンは嘘を吐く。
護身術の初歩などという枠はとうに越えているが、ここで真実を語る必要はない。令嬢の一人が扇子を揺らし、不思議そうに首を傾げた。
「でもどうして副団長様は庶民の方に教えて差し上げているのかしら?」
「あら、ご存知ありませんの?ベインズ卿は庶民の生まれでしてよ。」
「なんてこと!大変見目麗しい方だとお姉様が言うものだから、私てっきり、貴族の方に違いないと思い込んでおりましたわ。本当なの?」
「お父様が言っていましたもの、間違いないですわ。今は騎士爵をお持ちなので、貴族で合っておりますけれどね。」
「わたくし実際にお見掛けした事がありますわよ?凛々しくも美しい殿方で…」
口元を扇子の裏に隠し、シャロンは令嬢達の会話を黙って聞いていた。
まだ十一、二歳の彼女達にとってレナルドは二十歳近く年上の男性だが、年齢差はそこまで重要ではない。生まれが庶民と言えど騎士爵を与えられる実力があり、それも現役の副団長となれば、娘はいても息子がいない貴族などはこぞって彼を狙っている。
女性が爵位を継ぐ事は禁止されてはいないものの、男性と比べれば少ないのが現状だ。
「ベインズ卿のお墨付きともなれば、とても強い方なのですね。」
レナルドについて盛り上がる一団を放置し、令嬢の一人が話を戻した。
「えぇ、街に出る時に護衛をお願いする事もありますわ。」
それが貴族街ではなく下町だった事までは言わずとも良いだろう。シャロンはにこやかに返し、噂の庶民の子とは良い関係を築けていることを伝える。そして何気なく視線を動かした時、
ぱち。
離れたところで、お菓子の並んだテーブルの傍に立っている令嬢と目が合った。薄茶色の髪と丸い眼鏡、恐らくはシャロンに見られた事で驚いたのだろう表情。
――ノーラ!?
「それで、きっとご興味頂ける物もあるかと……シャロン様?」
「いえ、何でもありませんわ。」
にこりと目を細めてみせると、令嬢は安心した様子で話を再開した。しかしシャロンはそれどころではない。
令嬢の話を聞いて機械的に返答をしながら、今しがた見た令嬢のゲーム画面での姿を思い出す。
ノーラ・コールリッジ。
男爵家の令嬢である彼女は、サディアスルートにだけ登場する。
父親が運営する商会の規模はかなりのものだが、ノーラはあまりそれをひけらかさない。令嬢というよりは庶民に近いリアクション芸――否、感情表現の豊かさや淑女教育の緩さも相まって、血筋第一の令嬢達によく絡まれている。
その絡まれた彼女を、まさかのサディアスが助けるのだ。
教科書もろとも水浸しにされて蹲るノーラに手を差し伸べ、火の魔法で温めてやりながら話を聞き、泣いてしまった彼女に対し、自分の服が濡れるのも構わず胸を貸す。
あのサディアスがである。
――そして、そこだけを目撃して走り去るヒロイン。お約束ね……。
「…という事ですから、もしよろしければいらしてください。ふふ」
「まぁ、ありがとうございます。」
「シャロン様だけの特別ですから、内緒ですよ。」
艶のある金髪をゆったりと編み上げてサイドテールにした令嬢が、黄土色の瞳を抱いた目で弧を描く。シャロンは扇子で隠すようにして差し出されたチケットを受け取り、フリルのついた袖の中にしまった。
キャサリン・マグレガー侯爵令嬢の話を要約すると、街のとある館でオークションが行われている。
買い手は紹介制だが、ローブと仮面で正体を隠すため、お忍びで来ても何を買っても安心である…との事だった。期待に満ちた眼差しから察するに、シャロンが行くとキャサリンにマージンが入るのだろう。
「次回の目玉はウェイバリーの新作だそうですわ。では、ご機嫌よう。」
絶対に興味があるでしょう、と言わんばかりの微笑みを浮かべ、キャサリンは美しいターンを決めて去って行った。かの画家についてクローディアと話していたのを聞いていたのだろう。
キャサリンに遠慮して距離を取っていた他の令嬢が、シャロンに話しかけるべく動こうとするのが視界の端に見えた。シャロンは話しかけられる前にそれとなくその場を離れ、先程ノーラがいた場所へ目を向ける。
彼女はまだそこにいたが、三人の令嬢に何か言われている様子だ。
ノーラは引きつった笑みを浮かべて後ずさりしているので、仲の良いお友達というわけではないらしい。躊躇いなくそちらへと足を進めた。
「失礼、今少しよろしいかしら?」
シャロンが声をかけると、ノーラと令嬢達はびくりと肩を揺らしてこちらを見た。
朗らかな声かけを心掛けたつもりだが、口調には少し令嬢達への圧が出てしまったかもしれない。内心反省しながら、シャロンは表向き何も気付いていないかのように微笑む。
「初めてお会いしますね。私はシャロン・アーチャーと申します。」
「へっ…えぇっ!?」
ノーラがこれ以上ない程に目を見開き、令嬢達とシャロンを見比べた。
シャロンの視線が真っ直ぐ自分に向いている事はわかっているが、本当に対象が自分なのか疑っている様子だ。三人の令嬢達は突然の事に驚きつつも、「何で貴女が話しかけられてるのよ」とノーラを無言で睨みつけている。
「あ、あぁあたしですか…?」
「はい。お名前を伺ってもよろしいでしょうか。」
「ッ…し、失礼しました!あたし、いえ、私はノーラ・コールリッジといいます!だ、男爵家、です。」
「ノーラ様。これからよろしくお願い致しますね。」
「はひ…?は、はいっ。」
すぐに名乗りを返せなかった無礼に青ざめながら、ノーラが慌てて頭を下げる。
令嬢達の扇子の裏からクスリと嘲笑が聞こえ、そのうちの一人が前へ進み出た。
「ご無沙汰しておりますわ、シャロン様。ペイス伯爵家のオリアーナです。」
扇子を閉じ、ドレスの裾を摘まんだ彼女は、片足を下げて腰を落とす。
頭をぺこりと下げたノーラとは違う淑女の礼だ。シャロンはにこりと微笑みを返す。
「まあ、お久し振りです。オリアーナ様。セアラ様とブリアナ様も。」
残り二人の名前を呼べば、予想外だったのか二人の子爵令嬢は焦った様子で礼を述べた。
一年ほど前に母に連れられて参加した茶会で一度、顔を合わせたきりだ。記憶していると思わなかったのだろう。二人と同じ状況であるはずのオリアーナは、覚えてもらえていると信じて疑っていなかったようだが。
「シャロン様。こちらの方はどうやら食事をしに来られたようですから、わたくし達はあちらでお話し致しませんか?」
高慢さのある笑みを浮かべて、オリアーナが少し離れた木陰を指した。
視線をちらりと空っぽの皿に向けられ、ノーラの顔が今度は赤くなる。今は何も乗っていなくても、たくさんのお菓子を乗せていた痕跡は明らかだった。
「少しだけお待ちくださいね、オリアーナ様。ノーラ様、もしよろしければお勧めをお教え頂けますか?」
「えぇっ!?」
すぐ傍のテーブルに並んだお菓子を見ながら言われて驚いたものの、ノーラに拒否権はない。
公爵令嬢に取らせるわけにもいくまいと、重ねてあった新しいお皿を一枚取って、ベイクドチーズケーキを一ピースとジャムクッキーを何枚か乗せて差し出した。背中にはオリアーナ達の視線が突き刺さっている。
シャロンはノーラが教えるのではなく自ら皿に盛りつけた事に驚いていたが、笑顔でお礼を言ってフォークと共に受け取った。あまりノーラと話し過ぎても、オリアーナ達のやっかみを買いかねない。
「ではノーラ様、またお会いできたらお話させてくださいね。」
「あ、はい!えーと、ご無理なさらず!」
元気よく返事したノーラは、セリフがまるで「話しかけなくていい」と言うようだと気付いて慌てて自分の口を押さえた。
シャロンはきょとんと瞬いてから、花が開くように柔らかく微笑む。
「えぇ、無理せず声をかけさせて頂きますわ。お気遣いありがとう。」
「はひ……」
――間近で美少女の微笑みを浴びるのって、すごい衝撃なのね……。これだけ可愛くて、しかもあたしの失言も笑って許してくれるなんて、殿下達の婚約者筆頭候補だなんだって言われるのは家柄のせいだけじゃなさそう。
口元を押さえたまま頬を赤らめてシャロンを見送るノーラは、邪魔してやったと言わんばかりのオリアーナ達の意地悪な視線にも気付かなかった。
木陰で話し始めた彼女達の会話を、耳をそばだてて聞いてしまう。
「ここ半年ほど、第一王子殿下は幾度もシャロン様をお訪ねになったと聞きますけれど、本当なのですか?」
「わたくし達はお会いする機会すらありませんから、どんな方か気になってしまって。」
どうやら噂の真偽と、この茶会に王子が来るかどうかの探りを入れたいらしい。
ノーラとしては第二王子との関係も聞いてみたいところだと思いながら、空だった自分の皿に再び菓子を盛った。
「確かに幾度かいらっしゃいましたわ。もちろんお一人ではなく、従者の方や護衛騎士様を連れての事です。魔法学について少々お話を伺った程度ですが、第一王子殿下は穏やかで、どなたにも優しい素晴らしい方だと思っております。」
「そうですの…」
「不躾なようですが、シャロン様に殿下との婚約のお話などはなかったのですか?」
セアラと呼ばれていた細身の令嬢が直球で聞いた。
オリアーナが焦ったように「ちょっと!」と小声で注意したものの、言った言葉は取り返せない。シャロンは特に気にした風もなく返した。
「ありませんわ。」
「まぁ…!で、ではもしかして、第二王子殿下と?かの方はその…色んな噂がありますから、シャロン様が不本意な事があったら心配だと……」
心配と言いつつ明らかに喜んだようなオリアーナの声で、ノーラは納得した。
シャロン・アーチャーが王子殿下の婚約者になるだろう事はほぼ確実だと思われている。だからこそ令嬢達は「シャロンが婚約しないのはどちらの王子なのか」が知りたいのだ。そちらを狙わなくてはいけないから。
そして、未来の国王で決まりだろうウィルフレッド第一王子殿下とシャロンは噂になっていたが、今本人が否定した。
仮に第二王子殿下とシャロンがくっつくなら、一番おいしい第一王子殿下の隣が空席になるというわけだ。ノーラと同じくこの会話に耳を澄ましているらしい令嬢達も、どこか喜びを隠しきれない顔をしている。
――みんな第一王子殿下が狙いなのかなぁ。うちの殿下だって、ちょっと悪名高いだけで本当に悪い人ってわけではないんだけど。
「いいえ、婚約の話など出ておりません。」
シャロンがきっぱり告げた事で、喜色満面だった令嬢達はがくりと肩を落とした。
彼女達にしてみれば、「婚約話はこれから出る。相手がどちらかはわからない」と言われたも同じなのだ。
「お二人は賢明な方ですから――…きっと、血筋だけで選ぶような事はなさらないでしょう。」
筆頭公爵家の令嬢は、そう言って微笑んだ。
まるで自分は選ばれないと宣言するかのように。それはあまりにも穏やかでお綺麗な微笑みで、ノーラはお菓子を口に放り込みながら眉尻を下げた。
――殿下。アピールするなら頑張らないと、彼女全っ然脈がなさそうですよ。




