84.既視感
ホーキンズ伯爵邸の茶会はざわついていた。
「クローディア様。本日はお招き頂いてありがとうございます。」
そう言って微笑む少女は、薄紫色の長髪を首の横で緩くまとめ、前へ流している。
髪飾りは白い花を模した主張の強すぎない物で、淡い水色のドレスは裾に向けて色が濃くなるグラデーションになっている。派手さはないが布地や刺繍、レースの質を見れば相当な品だ。
長い睫毛に縁どられた大きな目の中にある瞳は髪と同じ薄紫で、日の光を反射して宝石のように輝く。きめ細やかな白い肌も、花びらのような唇も、彼女の麗しい笑顔をより魅力的にしていた。
ツイーディア王国筆頭公爵家の長女、シャロン・アーチャー。
双子の王子殿下と同い年の十二歳であり、彼らの婚約者候補第一位と言える。
参加者に男の名があるパーティーには顔を出さないと噂されており、その理由は父である公爵の溺愛のせいだとか、王家から禁止されているとか、本人が男性恐怖症だとか、様々な憶測が飛び交っていた。
以前はフェリシア・ラファティ侯爵令嬢の茶会などに参加していたが、今年の春にそのフェリシアが王立学園へ行ってから――あるいは、王子達が彼女の誕生日パーティーに出席してから――極端に姿を見なくなった。
「まぁ、シャロン様。来て頂けたのですね。」
この茶会の主催者であるホーキンズ伯爵家の長女、クローディアは人形のように完璧な微笑みで返した。
常にどこか人を鑑賞するような目つきをした彼女の美貌は、まるで作り物のようと揶揄される事も多い。薄い赤と白を合わせたドレスは、十八歳となった彼女のメリハリのある身体を際立たせているが、露出は少なく、決して下品には見せていない。
何を考えているのか読ませない黒い瞳で、クローディアはうっそりとシャロンを見下ろした。
「本当にお久しぶりです。フェリシア様が学園へ行かれてからですので、もう半年になりますね。ふふ…お噂はかねがね。とてもお元気に過ごされているようで、何よりです。」
「まあ、何かお耳に入りましたか?」
シャロンは少し目を丸くして問いかける。
クローディアが「数多の貴族の弱みを握る」と言われるほどに情報通なのは知っていたが、それは多種多様な人々を招いて開催する茶会で情報が集まるゆえにだ。彼女は情報を持っていそうと見れば庶民すら誘うし、貴族との繋がりが欲しい者たちは彼女に与えられたチャンスを逃さない。
今日のように立食形式、自由参加の茶会――招待状への返事は不要で、開催中の何時に来てもいつ帰ってもよい――を幾度も開いている。
ここ数か月のシャロンについて、どこまで知っているのだろうか。
クローディアの艶やかな唇は扇子の裏に隠され、遠巻きに耳をそばだてる令嬢にはわからない密やかな声がシャロンに届く。
「ベインズ様が訪れていること、庶民の少年が通っていることはおおよそ知れています。色々と巻き込まれた事は知らない方が多いでしょう。」
「そうなのですね。ありがとうございます、クローディア様。お教え頂けて助かりますわ。」
シャロンもまた、ぱさりと扇子を広げて微笑んだ。
レナルドとレオの訪問は理由まで知られておらず、質問される可能性が高い。いくつか関わった事件について聞かれる事はないであろう、という事らしい。どこまで知っているのだかと思って、シャロンは内心苦笑しながらクローディアを見つめた。
――やっぱり、似てる。
シャロンは僅かに目を細める。
前世でプレイしたゲーム、その「学園編」では休日に街へ出かける事ができる。
攻略対象とデートできたり、シャロンと買い物をするなど様々なイベントが起きるのだが、選べる行先の一つが占いの館だ。
そこで会える占い師は意味深な助言をくれるお姉様であり、フェイスベールをつけて目元には濃い化粧をしているため素顔はわからないものの、クローディアとは黒髪黒目という共通点があり、話し方も似ている。
「ウェイバリーですか、わたくしと母も好んでおります。あの風景を切り抜いたような再現力…見事としか言いようがありません。」
「えぇ、本当に。現地に行って見比べてみたいとすら思いますわ。」
「まぁ…ふふ。それは素晴らしい計画ですね。」
お気に入りの画集の話をしながら、シャロンはしげしげとクローディアの微笑みを眺めていた。
◇
シャロン・アーチャーを遠巻きに見つめながら、令嬢達の会話は進む。
「久し振りにお会いするけれど、シャロン様は相変わらず麗しいわ…化粧品は何をお使いなのかしら。」
「ご挨拶をしてもいいと思う?伯爵家と言えど、我が家はあまり力がないから不安だわ。」
「弟のクリス様は確か五歳よね…うちの妹、七歳なの。」
「やめておきなさいよ、貴女の妹ひどい癇癪持ちじゃない。公爵様が許すとは思えないわ。」
「お金に余裕のある人紹介しろって言われてるのよね……興味持ってくれるかしら?」
「あれがアーチャー公爵家の?」
「えぇ。何を言ってもニコニコしてばかりの、つまらない方ですわ。」
「あんな子供よりわたくしの方が美しいのに…」
「しっ、滅多な事言わないでよ。閣下に告げ口されたら大変だわ。あの笑顔の裏で何考えてるかわかんないでしょ。」
「第一王子殿下がご執心って本当なのかしら?」
「オークス家のジェニー様はご病気だから、唯一の公爵令嬢ですものね。図に乗ってるんじゃないの。」
――あぁ、こわいこわい。
ヒソヒソと囁かれる言葉に肩をすくめて、ノーラ・コールリッジは皿に盛ったお菓子をパクついた。既に父親の商会にとっての良い客、あるいはそうなりえる令嬢達への声かけは済ませている。
残すはシャロン・アーチャーとの顔合わせだけだったが、それは一言最低限の挨拶ができれば良いだろう。狩猟で会った時に「そういえばお茶会で会ったかしら」くらいに思い出して頂ければ上々だ。不審者扱いさえされなければ大丈夫である。きっと。
ノーラには全容が知らされていないものの、アベル第二王子殿下は狩猟の場で何かしら企んでいる。
対応を任されたクローディアがシャロンの顔を見ておくようにと指示してきた以上、その企みは彼女に関する事のはずだった。
――まさか、本当に殿下はあの子を狙ってるんだったりして?
ケーキをもごもご味わいながら、ノーラは遠くにいるシャロンをじいっと見つめる。クローディアはきっと違うと言っていたけれど、キッパリ否定しないという事は可能性があるのではなかろうか。
主催者への挨拶を終えて離れた彼女を、知り合いらしい令嬢数人が取り囲む。シャロンの向きが変わって彼女の顔がノーラからよく見えるようになった。柑橘系のジュースを喉に流し込んで、ノーラはぽかんと口を開ける。
――はぁ~、これまた森のお花畑にでも住んでそうな美少女ね…男子が放っておかないわ。……でも、あのアベル・クラーク・レヴァイン殿下が?誰かに恋をするなんて……いやいや、全っ然想像できない。アンソニー様として出歩いてる時ですら女の子から声かけられてたけど、めちゃくちゃ塩対応だもんね。お陰で一緒にいたあたしが「まさか」って女の子達に睨まれ…
ぱち。
令嬢達と笑い合っていたシャロンが、たまたまノーラを見た。バッチリ目が合ってしまう。
――やば!めっちゃ見てたのバレたかな!?不審者だと思われた!?
反射的に「まずい」と青ざめたノーラは、不思議なものを見た。
取るに足らない雑草のごとき男爵令嬢を発見しただけであろうシャロンは、驚いた様子で目を瞠ったのだ。
「えっ?」
なぜ、自分を見てそんな顔をするのか。
ノーラはつい声を漏らしたけれど、その瞬間にはもうシャロンは令嬢達との会話に戻っていた。
穏やかに細められた目はチラともこちらを向かない。気のせいか、あるいは令嬢らしからぬ食べっぷりに驚いたのかもしれない。皿に残ったクリームの欠片に目を落とし、ノーラはそれをフォークですくいとった。
「見た?」
「見たわ。なんて意地汚いのかしら…」
「やっぱり男爵家ともなると品がないわね。」
少し離れたところからクスクスと笑い声が聞こえてきて、ノーラはげんなりした。
聞き覚えのある声は、顔を合わせる度にノーラの容姿や仕草の拙さをあざ笑う令嬢軍団だ。茶会に来てすぐと中盤の既に二回クスクスやっていたけれど、三回目をやりに来たらしい。どれほど暇なのか。
「家で満足に食べられてないのかしらね。」
「確かに、あの貧相な体つき…昨夜は鳥の骨でもしゃぶっていたのでは?」
「やだ、笑わせないで。」
昨夜のメインディッシュは父親が持ち帰ったエグい色の魚の丸焼きだ。
一番太い骨はしゃぶると甘みが出る仕様だったので、侍女に怒られるまではチューチューやっていた。令嬢の予測はあながち外れていない。ちょっと笑ってしまいそうで、ノーラは口元を手で押さえた。
「もしかして聞こえちゃった?くすくす、貴女が普通の声で話すからよ。」
「貴女こそ。…あぁ、ノーラ様?ごめんなさいね、聞こえると思わなかったの。」
甲高い声を潜めもせず、隊列を組んで令嬢がやって来る。
醜く歪んだ口元は扇子で隠しきれておらず、ノーラの頭からつま先までジロジロと不躾な視線を投げてきた。
ノーラの波打つ薄茶の髪は侍女が力を振り絞ってなだめすかし、跳ねの一つもなしに大きめの三つ編みにまとめ上げている。
ドレスはチョコレート色を主軸にしつつ、少し光沢のある薄茶のフリルをあしらい、胸元には瞳に近い朱色の宝石が光るブローチをつけていた。まだ女性らしいスタイルの良さを求められる年齢ではないし、生まれ持った顔や眼鏡以外はそれなりに整えたとノーラは思っている。
「まだ帰ってなかったなんて、本当に図々しい人。」
「早くどっか行きなさいよ。」
「まさか、夕食の代わりにお菓子をお腹に入れておきたいとか?」
顔を見合わせて笑う彼女達の前で、ノーラはひとまず空になったグラスと皿をテーブルに置いた。何かあって落としでもしたら弁償になってしまう。
「え~と、まぁ、せっかくご招待頂いたので、もう少しいるつもりです。」
にへらと苦笑いを浮かべて答えてみたけれど、何が生意気だったか、令嬢達の癇に障ったらしい。
扇子を持つ手にギリ、と力が入るのを見て、ノーラは「やば」と顔をひきつらせた。
「帰りなさいと言ってるのよ。目障りだわ。」
「殿下の目に触れる前に消えた方が貴女のためよ。」
「えっ、殿下…ですか?」
何の事だろうかと聞き返すと、「まあ白々しい」と鼻息荒く怒られた。
どうやら、王子殿下がどこかの令嬢主催の茶会に顔を出すという噂があるらしいのだ。今回、クローディアの茶会にしては参加者が令嬢ばかりのため、もしもに備えて気合を入れてきた令嬢達は「やっぱり今日いらっしゃるんだわ」と期待し、けれどなかなか来ないから苛立っているらしい。
ノーラはぱちくりと目を瞬いた。
令嬢ばかりなのは、シャロン・アーチャーを呼んだからではなかろうか。そう思ったが、筆頭候補である彼女の存在こそ「王子が婚約者候補を探しに来る」という噂の信憑性を高めるのだそうだ。
「おわかり?土気色のドレスを着た男爵家の娘など、お呼びでないのです。」
「で、でも…クローディア様に、招待状を頂いたんですけど……。」
「真に受ける方が馬鹿らしいですわ。貴女なんかが来る場所ではありません。」
「そう言われても…」
令嬢達が徐々に包囲網を狭めてくる。助けを求めて遠くにいるクローディアを探すと、ぽつぽつと立ち話する令嬢達がちょうど壁になってしまい、姿が見えない。偶然ではなさそうだ。
クローディアとノーラが個人的に親しいと知らない彼女達は、茶会の場でバレなければ問題ないと思っている。
じりじりと後退したノーラの腰に菓子の並んだテーブルがあたる。
「失礼、今少しよろしいかしら?」
朗らかに声をかけられて、ノーラと令嬢達はびくりとそちらへ視線を動かした。艶やかな薄紫色の髪が目に入る。
「初めてお会いしますね。私はシャロン・アーチャーと申します。」




