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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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82.老執事とお嬢様




 スタン、と小気味良い音が響いた。


 的に刺さったナイフを見て、ランドルフが諦め半分、感心半分といった顔で手を叩く。今日はメリルが不在のため、珍しくランドルフが鍛錬を見守っている。

 シャロンは小走りに的へ近付いて成果を確認した。五本投げたうちの四本は的に刺さり、一本は弾かれて落ちてしまった。まっすぐ飛ばなかったのだろう。


「シャロン様、それは私が。」

 自らナイフを的から引き抜こうと手を伸ばしたシャロンを止め、ランドルフは落ちた物も含めて回収し、一度拭いてから布を敷いた盆の上に並べる。

 的から距離を取ったシャロンは改めてナイフを手に取り、若い頃のディアドラを思わせる真剣な表情で的を見据えた。


 恐ろしい程の上達の早さだった。


 最初にシャロンが身体を鍛えると言い出した時は、ランドルフ達使用人は驚きはしたものの、一時的なものだろうと思っていた。

 方法は少しお転婆だけれど、運動する事でお嬢様が健康に過ごしてくださるなら…などと笑い合っていたものだ。


 パーセル家のような騎士の家系の令嬢ならまだしも、五公爵家の令嬢が武を学ぶなど聞いた事がない。

 護衛はいくらでも雇えるし、学園で魔法を学べばそれが立派な護身術となる。それで充分なはずだった。

 それがどうだとランドルフは目を細め、飛んでいくナイフを眺める。


 アーチャー公爵が手配した師は騎士団のベインズ副団長。公爵夫人のディアドラは自らが騎士だった事もあり元から協力的で、とうとう乞われるままにナイフを教え始め、訪れた王子殿下やその従者達も親切に攻撃魔法のコツを教えたという。


 シャロン本人は前まで大人しく淑女教育と王妃教育に明け暮れ、庭で花を愛でて微笑むような令嬢だったというのに、身体を鍛え始めてからは下町で流行り風邪と聞けば飛び出し、荒っぽい御者を投げ飛ばし、ウィルフレッドが伯爵邸へ突入すると聞けば同行し、ひったくりがいれば追いかけ、友人の妹が病と聞けば足しげく通って魔力暴走事件に遭い、怖がるかと思えば「強くならねば」と鍛錬を続けている。


 ――武人にでもなられるおつもりなのだろうか。


 浮かんだ考えに、縁起でもないと頭を振った。

 成り行きで転がり込んできたダンを鍛え、将来を見据えて護衛として育てているランドルフとしては、それ以上強くなられてどうするのかと心配でならない。

 騎士の家系でもなければ、貴族の令嬢が強いというのは長所と言い難いのだ。魔法の腕ならまだしも、武術は好まれない。


 騎士としてそれなりに身を立てるどころか隊長格にまで上り詰め、任務で公爵本人と知り合い結婚したディアドラのようなケースは、奇跡に近い確率である。

 もっとも、シャロンの結婚相手候補であろう面々――王子殿下や公爵令息達――は、彼女の努力を好ましいものと捉えているようなので、婚姻についてはそこまで心配はいらないのかもしれないが。 


 今のままでは足りないと上を目指し続けるシャロンは、何と戦うつもりなのだろうか。

 聞いて返ってくるのは「もしもの時に自分と、できれば他の人まで守りたいから」という言葉でしかなく、しかし漠然とした「もしも」のためにしては、彼女の表情は深刻過ぎた。


「休憩に致しましょう。」


 ランドルフがそう声をかけると、シャロンは頷きつつも的の方へ手をかざし、宣言を唱えて水の魔法を放った。

 まだ何の形を模す事もない水球がナイフの刺さった的へ飛び込み、パァンと豪快な音を立てる。的を砕くほどの威力はないものの、成人男性が殴りつけたくらいはありそうだ。

 結果に満足したのかしないのか、シャロンは手のひらをじっと見てから、ティーテーブルへやって来た。大抵の貴族令息は先程の一撃を見たら尻尾を巻いて逃げ出すだろう。


「ランドルフは、どんな魔法を使うの?」

 紅茶を一口飲み、クッキーを一つお腹に納めたシャロンが唐突に聞く。

 単に属性の話ではないと察したランドルフは首を横に振った。


「シャロン様、使用人と雑談をするものではありません。」

「ざ…雑談じゃないわ、これは魔法に関する教えを乞うているの。そう…ランドルフは魔法の先人だから。他の人の魔法はどうなのかしらって…。」

 ちらちらと窺うように見上げてくるシャロンに、ランドルフは内心ため息をついて眉間を指で揉んだ。知識を求める事は悪い事ではないが、お嬢様が使用人達の腕如何を知る()()はない。…知ってはならないわけでもない。

 壁際に控える二人の侍女に視線をやると、彼女達は一礼してこの場を辞した。


「噂を聞くの。我が家にはね、とても聞き上手な方がいるんですって。」

 ランドルフと自分しかいなくなった庭で、シャロンが言う。細い指は二枚目のクッキーを摘まんだ。

「貴方に会うのを避けたがる人もいるわ。不思議ね。」

「警戒しているのでしょう。誰しも、盗み聞きはされたくないものです。」

「必ず会う必要があるの?」

「場合によります。」

「まあ。」

 煌めく薄紫の瞳を丸くして、シャロンが口元に片手をあてた。以前メリルがランドルフの能力は希少だと言っていたが、遠隔で盗聴できるなら諜報にはもってこいなのだろう。


「気付かれないのかしら。」

「影はどこにでもありますから、元から警戒して光をあてない限りは、難しいでしょう。」

「光……」

 影、すなわち闇の魔法として発動したものに対しては光の魔法が特効となる。

 かつて自室を照らした光を思い出して、シャロンの瞳が揺れた。それを見逃さなかったランドルフは目を細める。


 ――さて、これは何を思い出しておられるのか。あの日、ニクソン家の小僧は何もしなかったはずだが。


『自分の能力をベラベラ話す気はありません。特に、今朝がたそちらの執事殿とご挨拶をさせていただきましたし。』


 当時耳にしたサディアスの声が、ランドルフの脳内に再生される。

 あの少年はニクソン公爵家に対する世間の評価を正しく理解しているのだろう。当然の警戒として盗聴を受け入れつつも、嫌味として敢えてランドルフを話に出してきた。

 とても聡い(良い性格の)令息(ガキ)だと微笑んだも(舌打ちした)のだが、面白いほどシャロンの天然に振り回されていた事を考えると、少なくとも彼本人にはシャロンに危害を加える気はないのだろう。


「…ウィルの、得意な魔法ね。」

 シャロンが作り笑いを浮かべたため、ランドルフは彼女が光と聞いて「思い当たった何か」は秘密なのだと察した。しかしお嬢様の秘密を全て吐かせるほど非情ではないので、口を閉じたままただ頷く。

「火や水でもできるのかしら?」

「私の場合は無理ですな。雑音が出てしまいますし、目立ちます。」

「確かにそうね。」

 カップの持ち手を摘まんで、シャロンはこくりと喉を潤す。


 たとえば怪しい人物を見かけたとして、ランドルフがいれば尾行せずとも会話を聞く事ができる。時間や距離の制限はあるだろうけれど、情報収集にはもってこいのスキル。

 ただ、ランドルフを始めとする使用人達が従っているのはあくまで父であるアーチャー公爵だ。たとえシャロンがその娘であっても、聞いてくれる事には限度がある。

 焦ってはいけない。そう自分に言い聞かせて、シャロンは静かにカップをソーサーに戻した。


「そういえば、チェスターがね。ジェニーが元気になったら快気祝いのパーティーをするんですって。そこには彼の叔父様も来るそうよ。」

「叔父…ダスティン・オークス様ですか。」

「知っているの?」

 シャロンは期待を込めてランドルフを見上げた。

 ゲームではチェスタールートの中ボスとして戦う時くらいしか出てこないため、向こうも取り繕う必要がなく最初から悪役全開の態度なのだが、先日のチェスターの様子からすると本心を隠すのが上手い男らしい。

 元より何の証拠もなしに公爵の弟を糾弾できるわけもなし、とにかく情報がほしかった。


「あまり詳細には存じませんが、公爵家に生まれながら騎士にも文官にもなられなかった方です。普段は領地にいらっしゃるとか。」

「……婿入りはされなかったのよね?」

 もくもくと咀嚼していたクッキーを飲み込んで、シャロンが聞く。未だオークスと呼ばれているという事はそうだろうと思ったからだ。

 公爵家は兄が継いでチェスターという跡取りもいるのに、ダスティンは婿入りしてその家の爵位を継ぐでもなく、敢えて家に籍を残している。

 ゲームで公爵夫妻を陥れた事を知っているシャロンとしては、未だ公爵の地位を諦めていないのではと勘繰ってしまう。


「ご結婚自体されていなかったかと。」

「そうなの?お幾つなのかしら。」

「旦那様の二つ下ですから、三十八歳でしょうか。」

「二つ?では、お父様と学園でご一緒されていたのね。」

 ゲームで見た人物に対する不快感を隠せず僅かに眉を上げたシャロンを見て、ランドルフは内心疑問に思いつつもそれを表に出す事はなかった。

 これまで会った事もなく、彼について多くを知っているわけではなさそうなシャロンが、なぜそんな反応を示すのか。理由もなく他人を嫌うようには育っていない。


「お父様から、今までお話を聞いた事はないはずだけれど。」

「同じ公爵家と言えど、とりわけ親しくされていたという話は聞きませんな。旦那様はむしろ、ダスティン様と入れ替わりで卒業されたオークス公爵に可愛がられておいででした。」

「可愛がられて……?」

 シャロンはぽかんとして聞き返し、淑女らしくそっと口を閉じた。


『アーチャー公爵、ご息女を危険に晒して申し訳なかった。』

『…娘はジェニー嬢と友人だと聞いています。怪我があれば少々言わせて頂いたが、今回は結果のみ受け取りましょう。』

『……感謝する。』


 ――あんなに、堅いやり取りだったけれど……?


 ぱちぱちと瞬きして、シャロンはもう一度紅茶を飲んだ。事件のせいで堅かっただけなのか、公爵同士かつ妻子の前だという事でわざと堅い口調を取っていたのか、それとも仲が良かったのは学園までだろうか。

 今度お父様にも聞いてみましょうと思いながら、シャロンは空になったカップをソーサーに戻した。


「チェスターの話では、ダスティン様はとても良い方だそうよ。お会いするのが楽しみだわ。」

「左様で。」

 ランドルフの目が自分を観察している事には気付かず、シャロンは口角を上げてみせたままぼんやりと空中を眺める。どう動くのが正解なのだろうと考えた時、浮かんだのはディアドラの顔だった。


『覚えていてね、大人も頼りになるという事、貴女の助けになりたい人がいるという事。……味方の存在を忘れたら、生き抜けないわよ。』


 シャロンには味方がたくさんいる。

 家族も、屋敷の使用人も、友人も、優しく優秀な人達ばかりだ。特に親しい人達の顔が次々に思い浮かんでは消える。


 ――誰に、どこまで話して、どう頼ればいいんだろう。


 無意識に眉尻が下がってしまうシャロンの傍に控えたまま、ランドルフは視線を上げた。屋敷の玄関の方からやって来たのは私服姿のメリルだ。

 一礼し、シャロンがはっとして気付いた時にももう一度礼を取った彼女は封筒を一つ手にしている。


「お帰りなさい、メリル。」

「ただいま戻りました、シャロン様。着替えもせずに申し訳ありません。」

 そう言う彼女は切羽詰まった表情ではないけれど、どこか困惑の色が滲んでいた。手にしていた封筒をランドルフにも見えるように差し出す。


 黒い封蝋に押された印璽は、牡丹に寝そべる猫。

 見覚えのあるそれにシャロンが名前を口にするより早く、ランドルフが言い当てた。


「ホーキンズ伯爵家ご長女、クローディア様ですね?」

「はい。街中でお会いし、シャロン様へ渡してほしいと……茶会の誘いだそうです。」




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