81.王子達の婚約者探し
城の廊下。
「シャロンを狩りに?」
第二王子アベルが何事か囁いた直後の第一王子ウィルフレッドの返しに、通りすがりの使用人達は一瞬固まった。
神妙な顔で頷くアベルを見開いた目で眺めながら意味を考え、ああ、と思い当たる。何の事はない、イントネーションだって、使用人達が恐れた意味合いにしては少し違っていた。
この秋の時節に行われる狩猟の場に、アーチャー公爵家の令嬢を誘おうという事だろう。
…間違っても、その令嬢を狩ろうという意味ではない。
「いい加減令嬢達との場を設けろとうるさかったでしょ。」
「ああ、そうだったね。」
アベルに言われて、ウィルフレッドは憂鬱そうに目を伏せて返した。
浮かぶのは眉間に皺を寄せた宰相の顔だ。もう少し「婚約者を探す意思がある」と示してほしいという。でないと貴族達の不満は高まるばかりだと。
王子の務めとして参加しなければならないイベントだけでなく、自ら令嬢を招いたり、反対に令嬢の家を訪れたりするように…と。
特に、ウィルフレッドがアーチャー公爵の愛娘を幾度も訪問している事は知られている。
彼女の誕生日パーティーに「自ら行きたがった」らしい、オークス家の令嬢を見舞う際も「誤解のないように」シャロンを連れて行ったらしい、隣国の王女と面談した後も「ご機嫌取り」なのか、第二王子と従者まで引き連れて会いに行ったらしい。
王家はやはり第一王子の相手としてアーチャー家の令嬢を筆頭候補に見ているのだろう……と、ウィルフレッドの知らぬ間に相当な噂になっていた。
『大きくなったら……俺と、結婚してくれる?』
ウィルフレッドがシャロンにプロポーズしたのは、まだほんの七歳の頃だ。
兄が時々お忍びで出かけるようになったと知ったアベルは、その日たまたま様子を探りに後を付けていた。
気配を殺して耳をすませば、生垣の向こうからは楽しげな笑い声。穏やかに過ごせているならそれでいいかと、踵を返そうとした瞬間のプロポーズだった。
『いいわよ?』
シャロンの承諾もあっさりしたもので、未来の兄嫁はここの娘かと思いながらアベルはその場を後にした。
しかしどうしてか二人の婚約は内々に留められ、未だ正式発表はなく、ウィルフレッドもアベルにすら婚約を教えてくれないのが現状だ。
まさか、結婚の意味をよくわかっていなかった二人が、公爵の説得で即行婚約を解消していた事など、アベルは想像もしていなかった。
なお、第二王子アベルが彼女を訪問したのは、公式の記録によればウィルフレッドに連れられて行った二回――誕生日パーティーと、隣国の王女と面談した日――のみ。
彼女からの手紙に直筆で返そうとした事もあるが、それも兄に合わせただけだろうと言われていた。
一度たまたま下町で迷っていた彼女を見つけ、小悪人から助けつつ、自ら屋敷まで送り届けた事もあるらしいが、それはあくまで噂。
貴族達からすれば公爵家の令嬢がたった一人で下町を歩くとは考えづらいので、アベルが城を抜け出すという噂と絡めた作り話だと思われている。
「彼女以外にも適当に呼んでおけば、こちらから開催しろという話は義務を果たした事になるんじゃない?」
「確かに狩猟も見合いの場に使われたとは聞くけど、大丈夫かな。血を見て倒れる人も出るんじゃ…」
ウィルフレッドは思い返すように視線を空中へ投げた。
ツイーディア王国の王家が行う「狩り」とは、鷹や猟犬を使うものではない。武器や魔法を使って倒すものだ。令嬢達は王子の雄姿に惚れ込み、うっとりした彼女達からの差し入れや気遣いに何かの始まりを期待されている。
しかしウィルフレッドの頭には、血を流す死体に悲鳴を上げて倒れる見知らぬ令嬢の姿が浮かんだ。不憫に思えて眉根を寄せるウィルフレッドに、アベルが助言する。
「賢明な者は待機するでしょ。誰かついてきたら…まぁ、気になるなら遠距離で倒したらいい。」
「ああ、そうだな。」
「令嬢が倒れようとついて来れなかろうと放っておこう。」
「…お前、敢えて振り切ろうとしてないか?」
エスコートする気がまったく無さそうなアベルに、ウィルフレッドが苦笑する。彼が淡々と獲物を倒しながら突き進んだ結果、ついて行けなかった令嬢達がどこへ向かうかは想像に難くない。
「彼女達はあまり集まると余計に大変だ。お前だってわかってるだろう?」
婚約者の座を狙ってやってくる女性というものは、集まると騒がしいだけでなく、争いを起こしてしまう。
自分が相応しいだの、身の程を知りなさいだの、キーキーとうるさいのだ。かと思えば、ウィルフレッドの前では猫撫で声で仲が良いフリをする。初めてその変化を見た時は唖然としたものだ。
「チェスター達、それに騎士団の爵位持ち独身者でも呼んでおこうか?」
アベルがにやりと笑った。所詮令嬢達が求めるのは地位だと言わんばかりの、嘲りを含んだものだ。
ウィルフレッドは小さくため息を吐いたものの、「失礼だろう」と止めるような事はしない。実際、顔が良くて地位の高い独身者が多ければ令嬢は分散する。
「ウィルは彼女だけエスコートしていればいいよ。」
「そうはいかないだろう。こちらが招くからには礼儀を尽くさないと。」
「最低限はね。」
アベルはそう言って、先日見たウィルフレッドとシャロンが隣同士に座っている光景を思い浮かべた。穏やかに微笑み合うあの仲睦まじさを見れば、誰もが一見して悟るだろう。
――ウィル達の噂は既に広まってる。加えて二人を直接見せれば、大体の令嬢は婚約の内定を察するはずだ。既に何年も付き合いがあるとまでは知られていないが、賢明な者は身を引く。後は、獲物を治癒の魔法の練習台にしてやって…
『またね。』
不意に、自分に向けて微笑んだシャロンの姿を思い出した。
なぜそれを思い出したのかはわからない。花がほころぶような優しい笑顔を、なぜ自分のような者に向けるのか。
なぜ、別れ際に手を差し出してきたのか。どうして自分は、反射的にその手を取ったのか――なぜ彼女は、この手を握ったのか。
「アベル?」
黙り込んだ弟の顔を覗き込むように、ウィルフレッドは首を傾げた。
切れ長の目が瞬いて、金色の瞳がウィルフレッドを見返す。
「…とにかく、参加者は早めに決めて打診しないとね。」
「そうだな。数週間あるとはいえ、皆も都合があるだろうし。人数は絞りたいところだけど、誰を招いたものか…」
「調整が必要だね、面倒だけど。」
アベルの言葉にウィルフレッドも頷いた。
親が第一王子派か、第二王子派か、中立か。王子との婚約に対する親と本人の姿勢、家格……様々な要素を考慮してバランスよく組み立てるべきだろう。
ウィルフレッドは腕組みをして、顎に軽く手をあてた。
「後は数回程度、上位貴族が開催する茶会に出ておくようにという話だったな。どうする?宰相殿はバラバラに出ても良いと言っていたけれど。」
「その方が良ければ、それでもいい。」
「俺はアベルと一緒の方が良いよ。」
そう言えば僅かに目を見開いて瞬く弟に、ウィルフレッドは「まだ驚くんだな」と罪悪感に少し胸が痛んだ。劣等感からアベルを避け、アベルもまた自ら突き放されるような態度を取り続けた数年間は、確かな傷となってまだ残っている。
それでも、ふっと和らぐ表情に、薄く微笑みを浮かべる姿に、自分達は変われたのだと思えた。
「僕の監視?」
「一人で放っておいたら、素直に参加するとは思えないからな。」
「そうだね。僕もウィルを放っておくのは心配だから、一緒に行くよ。」
「どういう意味だ、それは。」
ウィルフレッドが眉根を寄せて聞き返せば、アベルは楽しそうに笑った。
それをたまたま目撃した文官が持っていた資料をバサリと取り落としたが、二人は気にしない。ウィルフレッドの部屋についてそれぞれ椅子に腰かければ、侍女が速やかに紅茶を注ぐ。
「……それで、実際お前はどうなんだ?」
侍女が退出し、護衛であるセシリアとヴィクターには廊下で控えてもらうようにしてから、ウィルフレッドが聞いた。
ティースプーンで紅茶を混ぜたアベルは、涼やかな顔で「どうって?」と聞き返す。
「婚約者探しだよ。あまり興味がないと見受けるけど、その通りなのか?」
直球で尋ねれば、アベルは当然のように頷いた。
「そもそも、僕は結婚する気がない。」
「なぜ。」
「必要ないから。」
取り付く島もない弟の言葉に、ウィルフレッドはテーブルに頬杖をついて困り顔になる。
以前この部屋で腹を割って話した時、アベルは「ウィルが王位を継ぐべき」と信じて疑っていない事が判明した。つまりウィルフレッドさえ結婚すれば王家の血筋は絶えない、アベルが結婚する必要はないという考えなのだろう。
「僕が婚約者を作っても、その令嬢の傷になるだけだよ。」
「守る気のない婚約はしない、と?」
「そうだね。互いに利のある期限付きの契約ならまだ考えるけど。」
「契約って、お前ね……。」
ウィルフレッドは呆れ声を出しつつ、その言い方は止めろとまでは言わなかった。
結婚とは一種の契約であり、特に貴族間では家同士の利のために結ぶ事も、そこに最期まで愛情が存在しない事もある。
「ウィルこそどうする気?」
「……学園を卒業してから、と思ってる。」
考えながら答えると、アベルは眉間に皺を寄せた。遅いと思ったのかもしれない、とウィルフレッドは想像する。
しかし卒業してすぐに王位を継承するわけでもなし、婚約者が決まってから王妃教育を受けてもらっても充分間に合うはずだ。
「俺はね、アベル。何よりもまず、自分に自信を持てるようになりたい。王冠を戴くと胸を張って言えるようにね。」
「……お互い、婚約者探しをする気がないわけだ。」
「ふふ、そうだな。俺は一応、どんな人がいるか把握しておこうとは思っているよ。それは探しているの範疇じゃないかな?」
「確かに。」
にこりと笑うウィルフレッドに、アベルも口角を上げて答えた。
しかしアベルはウィルフレッドの言葉を「相手はシャロンと決めているが、対外的に探すフリはする」だと思い込み、ウィルフレッドはまったくもって言葉通りのつもりで、まさかアベルがそんな事を思っているとは想像だにしていなかった。
カップを傾けながら、アベルは話の合間に別件を思案する。
ウィルフレッドを仕事詰めにして城を抜け出し、潜入していた賭博場の倉庫。「質」として預けられた物品を、夜中に檻を抜け出したアベルは一つ残らず確認している。
しかし、後に騎士団から上がってきた報告書のリストには欠品があったのだ。
騎士団本部の保管所にも出向いて全て確認したが、リストの通りだった。アベルがロイと共にあの檻を出てから、倉庫の中身が騎士団によってリスト化されるまでの間に、何者かが盗んでいる。
アベルの記憶によれば、手のひらほどの大きさのガラス瓶で、中には液体が入っていた。質の管理をしていた男は言う。
あれは「秘薬」だと。




