79.もう少し本気で
今日は久しぶりにレナルド先生が来るとあって、私は朝から気合充分だった。
午前中は私の手にしっくりくる投げナイフを作るため、お母様が呼んでくれた武器職人さんと打ち合わせ。お母様は昔から彼の客らしく、「最近は呼ばれる回数が少なかったので」と嬉しそうにしていた。
私は既製品で良いと言ったのだけれど、私がまだ子供という事もあって特注にするらしい。
成長したらまた合うサイズ感が変わってしまうかもしれないものの、今のところ私が見ているのは半年先の事だ。ひとまず今の私に合わせてもらって良いだろう。
アベルから貰い受けたナイフは、革のケースを作った。
ドレスのプリーツの裏にスナップボタンを縫い付けておき、着る時はそこにケースをパチリとつける。そうするとナイフを一本持ち歩けて、なおかつパッと見はプリーツで隠れているのだ!
…という案を目を輝かせて話したら、メリルに「本気すぎてちょっと怖いです」と言われてしまった。本番の時は男装みたいな、もっと動きやすい格好で行くと思うけれど。
ゴンゴン、という雑なノックをするのは一人しかいない。
「ダン?どうぞ。」
入室許可を出せば、思った通りダンがずかずかと部屋に入ってくる。
お辞儀もなければ「失礼します」の声もない彼にメリルがちょっと片眉を上げた。ダンはささやかな白い花束を持っていて、椅子に座ったままの私にズイと突き出す。
「あのチビのとこで買ってきた。」
「カレンね?」
「おう」
花束を受け取って、私はカレンの顔を思い浮かべた。
この花の白と彼女の白髪はまた違う色ね、と思いながら、どちらも美しいと微笑む。
「ありがとう、ダン。でもチビなんて言っちゃ駄目よ。」
「うるせぇ」
「口の利き方に気を付けてください。」
メリルが注意すると、ダンは舌打ちした。いつもなら「すいませんでしたねぇ」なんてニヤニヤ笑いそうだけれど、今日はなんだか機嫌が悪いみたい。
三白眼がじろりと私を見下ろした。
「カレンは元気だった?」
「あ?…まぁ、生きてた。」
「ふふっ、そう。よかった」
カレンも毎日売り子をしているわけじゃないから、もし会えたら様子を見ておいてと頼んだのだけれど。花を買ってきたという事は、ダンはわざわざ声掛けもしてくれたのだ。
私をクソガキなんて呼んでた頃とはだいぶ変わったな、としみじみしてしまう。
「お嬢」
「なぁに?」
「今日はあの赤毛が来るんだろ?レオに聞いた。」
レナルド先生の事だ。
買い出しでレオにも会ったのね、と思いながら、私は頷いた。
「ぼちぼちマトモに相手してもらったらどうなんだよ。」
「ダン!」
メリルが咎めるように名を呼んだ。
ダンが言っているのは、レオが手加減してくれている事かしら。それともレナルド先生に鍛錬の相手をしてもらえという事?その両方?
出て行きなさいとでも言うようにダンに近付こうとしたメリルを、私は手で遮るようにして止めた。
「ごっこ遊びで終わんなら意味がねぇ。」
『守られるべき方であって、戦うべき方ではないのです。』
メリルが心配してくれた事を、
『貴女の覚悟は、どの程度?』
お母様に問われた事を、思い出す。
ダンは、私は現状で満足するつもりが無いとわかっていて、聞いている。
黒い瞳に射抜かれ、私の心は燃え上がるようだった。目をそらす事なんてできない。力強く返事をする。
「――えぇ。私、まだ先を目指したいもの。」
危ない時、ちゃんと動けるように。
自分の身くらい守れるように。
そしてもしできるなら、誰かを助けられるように。
私の気持ちは変わらない。
にやりと笑うダンの視線を遮るように、メリルが立ちはだかった。
「出ていきなさい。」
「メリル?」
「ハッ、相変わらずかよ。」
私にはメリルの背中しか見えない。
立ち上がって横から覗こうとしたら、メリルの腕に後ろへ押し戻される。
「仕事があるでしょう、ダン。」
「お嬢、またな。」
ダンの足音が部屋の扉へと遠ざかる。
ひらりと振った手だけは見えた。
「悪い事したくなったら俺に言え。」
バタンと音を立てて、扉は閉じた。
私に背を向けたままのメリルは、腕を下ろしたままに拳を握りしめている。
「メリル」
「…申し訳ありません。シャロン様」
振り返ってくれなくても、彼女が今険しい顔をしている事くらいはわかった。長い付き合いだもの。
「私はまだ…賛成できないのです。」
心配してくれたあの夜のまま。
「…心配してくれて、ありがとう。」
私は目の前の背中に寄り添い、腕を前へ回した。
身体を鍛える事も、入学前から剣や魔法を学ぼうとする事も、普通の貴族令嬢がする事ではない。メリルの心配はもっともだ。
人を守る方法が知りたくても、それは見方を変えれば人を傷つける方法で。
学ぶ必要がないというのは…そうなのだろう。
でも、私はそういうわけにはいかない。
何もせずにいる事はできない。
少しでも前へ。前へ。
『君が強くなるの、期待せずに待ってるよ。』
――少しでも、近くへ。
静かにノックされた扉の向こうから、ランドルフの声がする。
「シャロン様。ベインズ先生がいらっしゃいました。レオ様も共に。」
「はい。今、行くわ。」
腕を解いて身体を離せば、心配そうに目を伏せるメリルが私を見てくれた。
暖かい手を取って、ぎゅっと握る。
「大丈夫よ。私は大丈夫。」
「シャロン様」
「強くなるの。」
「お怪我をされたら…」
「治癒の魔法が練習できるわね。」
本当はアベルから止められているし、屋敷で怪我した以上は治癒を私自身にやらせてもらえるとは思えないけれど。
冗談混じりに笑って見せれば、メリルはむきゅっと唇を引き結んだ。
「怪我をされたら、旦那様に言いつけて鍛錬禁止にします。」
「あら。お母様をもっともっと味方にしなくてはいけないわね。」
「それよりも、怪我などしないでください。」
「もちろん、しないように気を付けるわ。レオもレナルド先生も、気を遣わせてしまうでしょうし。」
特にレオはものすごく落ち込みそうだものね。今まで以上に集中して動かなくては。
私はダンがくれた花束を活けるよう別の侍女に頼んで、部屋を出る。
「でも、本格的にやってもらうのなら、多少は仕方ないと思うわ。」
「駄目です。」
やっぱり納得していない様子のメリルと一緒に、先生とレオが待つ庭へと向かった。
なぜか私より先に到着していたクリスが、「あねうえ!ぼくも!」とぴょんぴょん跳んでいる。
侍女のチェルシーが言うには、今日レナルド先生が来ると聞いて勉強のスケジュールを変えたらしい。とうとうそこまでするようになってしまったのね…。
ぼくもとは言いつつ、ちゃんと隅で大人しくしているつもりではあるようで、安心した。
「レナルド先生、こんにちは。お久し振りです。」
鍛錬のために男装に近い格好をしているからスカートはないけれど、背筋を伸ばしたまま腰を落とす。
シンプルなシャツとズボン姿のレナルド・ベインズ副団長は、柔らかく微笑み返してくれた。
「ご無沙汰しております、シャロン様。」
「今日もよろしくお願い致します!レオも、よろしくね。」
「ん、おう。」
珍しく少し眉根を寄せたレオは、何か考え事でもしていたかのよう。でも私が見つめている事に気付くと、慌てたようにニカッと笑った。
「では、まずはいつも通りに打ち合って頂けますか。」
まずは、という言い方に、私は大人しく頷いた。
状況によってはいつもとは違う事をするという意味に違いない。レオは「くれぐれもいつも通りに」と念押しされている。私が来るまでの間に何か話したのかしら。
向かい合って木剣を持ち、胸の前で同時に掲げてから、構える。
「始め。」
レナルド先生の合図と同時、先に動いたのは私だった。
まずは魔力を流さずに距離を詰め、その間にもレオは私の構えを見て防御姿勢を取っている。直前で踏み込んで方向転換し、防御の無い横から剣を振る――防がれる。
力比べにならないようすぐに離れ、立て続けに攻撃を繰り出しては重心をずらして隙を探った。私の攻撃に合わせて強い力で振られた剣は、かち合わせるのではなく避ける。攻撃を中止してでも。
がん、ゴッ、かんかん、ごつんと木剣がぶつかる。
力尽くで振り払おうとしたレオから距離を取ろうと後ろへ跳躍しながら、着地予定の右脚に魔力を込める。
以前、魔力を込める事に集中した結果、着地そのものがおろそかになって滑ってしまった事があった。その反省も活かす。油断しない。
ぐっ、と地面を踏みしめた私は、一足飛びにレオの頭上へ躍り出た。
「――ッ!」
身体を回転させるようにして振り下ろした剣を防がれる。
でもレオなら防ぐと思っていた。だから続けて剣の押し合いを支えに身体を捻り、踵を落とす。
「ッぶね!!」
剣を弾くようにして、レオはその場から退いた。
私が着地しきる前にこちらへ切りかかってくる剣をなんとか受け止めたけど、バランスを崩した私はたたらを踏んで後ろへ倒れ込んでしまった。後頭部を打ち付ける前に、レオが慌てて支えてくれる。
「それまで。」
レナルド先生の声が響く。
私はレオの手を借りて立ち上がり、「ありがとうございました」と礼の姿勢をとった。呼吸を整える私達に、クリスから「ふたりともすごい!」と歓声と拍手が飛ぶ。
「シャロン様、だいぶ打ち合いに慣れましたね。レオも反応速度が上がっている。」
「ありがとうございます。」
今日もまたレオに一つも命中させられていないなと反省しながら、私は素直に受け取った。レオは今褒められたとは思えない神妙な顔で、頷きもせずに続く言葉を待っている。
綺麗な緑色の目を細め、レナルド先生は笑みを消した。
「そうですね……二人とも、もう少し本気でやり合ってみましょうか。」
「ふたりとも…?」
私はつい聞き返した。
レオに本気でと言うのはわかるけれど、私も?
「確実に攻撃をあててください。相手が受けられる攻撃しかしないという考えは禁止です。」
「ベインズ先生!!」
メリルが悲鳴と怒号が混じった声を上げたけれど、レナルド先生は冷えた視線を向ける。
「防具は用意しました。」
「だからと言って…!」
「公爵様からも、ディアドラ様からも指導は任されています。貴女が口を出す事ではない。」
ぴしゃりと言いきられてメリルが口を噤む。
顔を歪めて私を見るその目は心配と怒りが混じっていて、私は緊張でごくりと喉を鳴らしながらも彼女に頷いてみせた。
「……レナルドさん、俺は」
「模擬戦を断る事は彼女に失礼だと思いませんか。」
「そう、かもしれねぇけど。」
レオは苦虫を嚙み潰したような顔でがしがしと頭を掻く。
きっとレオの攻撃は私にあたると、怪我をさせやしないかと、痛い思いをさせてしまうと、優しい彼は躊躇っている。
「骨を折れと言っているわけではありません。」
腕を組んで姿勢よく佇んだまま、レナルド先生はさらりと言う。
「打撲傷を作れとも、気絶させろとも、痛めつけろとも、目を潰せとも言っていない。」
眼帯をしている人が言うとひどいブラックジョークのように聞こえるけど、レナルド先生は真剣そのものだ。
「ただ、気迫に負ければ身体は動きません。君達はその緊迫感を知り、慣れておくべきです。」
「……殺気、のようなものでしょうか?」
「害意を持った者、正気を失った者…色々ありますが、シャロン様。貴女も追い詰められた人間の気迫は感じた事があるでしょう。伯爵邸で首にナイフを突きつけられましたね?」
「――っ!」
その時の事を思い出して、ぞっとした。
レオが驚いたように私を見ている。そうだ、彼は事件を知らない。
「たとえば練習で、レオが何かあてるフリをしたとします。貴女は動けますか?」
「…はい。」
「ナイフを突きつけられた時、動けましたか?」
「……いいえ。」
あの時は動くどころか頭が真っ白になってしまった。
自分で相手に隙を作って逃げようとか、ナイフを持った腕を押しのけようとする事もなく、無抵抗で捕まっていた。そのせいでウィルは怪我をした。
「二人とも、いいですか。今から少しだけ殺気というものを体感して頂きます。どこまで動けるか確認してください」
私とレオは声も出せず、頷く事しかできなかった。
メリルが困惑し、チェルシーは慌ててポカンとしたクリスを抱きかかえて離れていく。
そして、レナルド先生は私達を見た。




