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7.先生の独り言

 


「うーん…」


 ベッドの上で柔軟運動をしながら、私は困っていた。

 前世の記憶を得た事自体は、未来の悲劇を回避するために必要だったと思う。

 でも、それによって私は誕生日パーティーで気絶。本来そこで出会っているべき人達に挨拶できていない。

 あの日ウィルとアベルの後方で、挨拶の順番を待っていたであろう人達……


 ゲームの攻略対象、「王子の従者」二人だ。


 それぞれ公爵家の長男であり、ウィル達が七歳で《魔力鑑定》を受けたその日に従者として配属されている。

 本当なら、パーティーから入学までの間にその二人とも親交を深められたのだろう。学園では何の違和感もなく私と話していた。


 でも実際には二人に挨拶もできず、アベルを前に気絶。


 申し訳ないので謝罪に、せっかく顔合わせの機会でしたし、お二人の主君にご無礼をしましたし…と理由をつけて面会の機会を――お父様を通じて――お伺いしてみたけれど、駄目だった。

 それぞれのお父上、公爵閣下からのお返事は「お気になさらず」とのこと。


 良く捉えれば文字通り、悪く捉えると……「うちの息子にそんな暇はない」、かしら?


「早くっ、会えると、いいの、だけど…っ!」

 ぐっぐっと腕を伸ばし、脚の裏側もしっかりと伸ばす。

 今日は先生が来る日なので、スカートではなくズボンを履いて、長い髪も邪魔にならないようメリルが高く結い上げてくれていた。


「ふぅ…」

 力を抜いてベッドに腰掛ける。

 未来で起きる事を考えると、最も危険なのはアベルの従者だ。

 彼には必ず会って、できる事なら信用を得ておきたい――私は無害だと。むしろ、力になりたいと。


 ウィルはまた我が家に遊びに来ると言っていたから、彼の従者であれば来た時に「今度会わせてほしい」と頼めるかもしれないけれど。

 アベルは……「たまには顔を出す」、と言っていたかしら。実現するかどうかわからない。

 部屋の扉がノックされ、メリルの声が聞こえた。


「シャロン様、ベインズ先生がいらっしゃいましたよ。お庭でお待ちです。」

「今行くわ!」

 考え事をしていたせいで、開けた窓から聞こえるはずの馬車の音を逃したみたい。

 私は急いで立ち上がった。


 一階へ降りて玄関を出ると、息が上がらない程度に走って、庭に佇む男性のもとへ行く。

 先生は今日も、穏やかな微笑みを浮かべて待っていた。


「こんにちは、シャロン様。」

「レナルド先生、こんにちは。本日もよろしくお願い致します。」

「はい、よろしくお願いします。」

 短い赤髪、右目に黒い眼帯をしたレナルド・ベインズ先生は、まだ三十歳くらいらしい。左の瞳はきれいな緑色をしている。


「いよいよですね、先生。私は楽しみで楽しみで…」

「まさか、昨日は眠れませんでしたか?」

「いえぐっすりと…」

「貴女らしいですね。」

 なんと、今日からは剣を使ったお稽古が始まります!

 順調に筋肉とお友達になった私だけれど、この一か月はずっと体術のお勉強をしていた。長かった……いえ、レナルド先生に言わせれば、「たった一か月で」基礎が終わったらしいのだけれど。


「剣はこれを使います。」

「小さい方が私ですね?」

「もちろんです。さぁ、どうぞ。」

 先生が黒い手袋をした左手に持っている剣は、大人が持つとぴったりの長さでしょうけれど、私が使うには長い。

 反対側、右手に持っているのは短めで、この前アベル達が持っていた剣と同じくらいに見える。どちらも刃は潰されていた。

 差し出されたのは後者の剣。落とす事などないように、両手でしっかりと受け取、る…!


「おっ…重い…!」

「シャロン様もだいぶ筋力がつきましたが、当然ながら剣を振れなくては話になりません。」

 ずっしりとした重み。

 騎士団の方々はこれをずっと腰に下げて歩き、戦いの場では振り回し、さらに相手の剣を受け止め、押し返すわけだけれど――今の私には、到底できそうもない。


 仕方ないわね、まだ子供なのだし。

 そう思った瞬間、アベルの顔が頭をよぎった。


 彼は入学前の時点で帯剣していたのだ。もちろん、この前が初めてではないでしょう。

 前世の知識から考えても常に剣と共にあり、きっともう何人もあの剣で……


「ですから、まずは素振りを五千回しましょう。」

「先生?」

 聞き間違いかしら。お疲れなのかもしれないと、私はレナルド先生を見上げた。

 にこりと笑っておられる。


「素振りを五千回しましょう。」


 聞き間違いではなかったようだ。


「ご、五千回ですか…?今日中に…」

「いえ、何も今日五千回とは言いません。もう()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()振ってください。回数を記録し、次の日はそれより多く、その次はさらに多く。」

 そうしたら、私がいない日もできますね。

 朗らかに微笑まれて、私の微笑みは苦くひきつってしまう。も、もちろん先生がいなくても自主的に鍛錬はするつもりだったけれど、せめて千回からがよかっ――いえ、これも全て未来を変えるためだわ。

 剣を自分の脚に立てかけて、私は両手で頬をぺちぺちと叩いた。


 死んでほしくないから。

 泣いてほしくないから。

 言葉だけでは彼らの助けになれないから――だから、私は強くならないと。


「今日で握りと姿勢、振り方は完璧に覚えてください。」

「はい!」

「連続で五千回振れるようになったら、その時は…改めて、私が剣術の指導に参りましょう。」

「はい!……と言いますと先生、しばらくいらっしゃらないのですか?」

 そう聞きながら、素振りをずっと見張って頂くのは確かに気が引けると考えた。

 五千回ともなれば、かなり時間もかかるでしょうし。


「元々、閣下からは短期で雇われております。」

「えぇっ!」

 そんなのは初耳だわ。途中で飽きるだろうと思われたのかしら。

 お父様への不服が顔に出てしまったのか、レナルド先生は苦笑して言葉を続けた。


「私が一時的に本業の現場から退く事になりまして、時間があるなら少し娘を見てほしいというご依頼でした。仕事に戻るとなかなか、こちらに寄るのは難しいですから。」

「そうでしたか…」

 会えなくなるのは残念だけれど、先生のお邪魔はしたくない。私は気を引き締めた。


「私、必ず五千回を達成してみせます。」

「はい、もちろん期待していますよ。……いつぐらいに達成されるのかも。」

 それは…先生の合格ラインは何十日なのかしら。

 ちょっとプレッシャーを感じながら、ぐっと拳に力を入れてみせる。


「が、頑張ります!」

 レナルド先生は頷くように笑い――ふと目つきを鋭くして、横を見やった。


「それで、貴方はいつまで隠れているつもりですか?」

「えっ?」

 私はきょとんとして、先生の視線の先を追う。庭を囲む生垣と高い柵があるだけだ。

 そう思ったのに。


「あーらら。バレてましたか。」


 くすりと笑うような青年の声。

 大人よりも背の高い柵をひょいと飛び越えて、


「こんな所から失礼致します。」


 その人はストンと庭の地面に着地して、顔を上げた。

 相手が誰か気付いた私は思わず目を見開く。


「起きている貴女には初めまして、シャロン様?」

 彼はそう言って真っ直ぐこちらを見つめ、流れるような動きで私の手を取った。

 優しそうな垂れ目に茶色の瞳、余裕があるように見えるのは歳上だからだろうか。緩やかにウェーブがかった赤茶色の長髪は、編み込みを作って後ろで結っている。


「アベル第二王子殿下の従者、チェスター・オークスと申します。」


 私の手の甲に口付けを落として、チェスターはぱちんと片目を瞑った。


「以後、お見知り置きを。」

「な…っ!」

 何をなさるのですか、という言葉は声にならなかった。

 チェスターは十五歳で私は十二歳、まだまだ子供だし手の甲にキスなんて、前世でもされた事がない。

 咄嗟の事とはいえ、淑女の微笑みを作れないとは私もまだまだ未熟だ。


 焦ってしまって、恥ずかしくて、どうしたらいいかわからなくなりながら――それでも私は、彼との出会いを喜んだ。

 とにかく早く知り合っておきたかった。

 大事なのだ、彼との信頼関係は。



 だって、あの事件でウィルを殺すのはチェスターだもの。



「あはは、かわい~の。よろしくねー、シャロンちゃん☆」

 するりと手を離して、立ち上がったチェスターが楽しそうに笑う。

 私は小声で挨拶を返したけれど、聞こえていないかもしれない。レナルド先生が呆れた様子で短く息を吐いた。


「それで、チェスター様。なぜこちらに?」

「通りすがりだったんだけどね。…ベインズ殿の声がしたもので、つい何事かと思って様子を。」

 含みたっぷりにそう言って、チェスターは私を振り返る。

 レナルド先生はゲームの登場人物ではないはずだけれど、二人は知り合いなのね。


「そしたらまさか、シャロンちゃんに稽古をつけてたとは!」

 面白いものを見つけたとばかりに、チェスターは大げさに両腕を広げてから、剣を抱える私を示した。


「我が主にも伝えておきましょうか、こういう楽しい事は。」

「お好きになさってください。何もやましい事はありませんから。」

「やだな、本当に言葉通りですよ。楽しみは多いに越した事はないってね。」

「寄り道していて良いのですか、従者の仕事は。」

 レナルド先生が窘めるように言うと、チェスターは悪戯っぽく笑った。

 私をちらりと見て、軽く頭を下げる。


「稽古の邪魔、大変失礼致しました。今は蕾である貴女が可憐に咲くその時を、俺は夜の星を数えてお待ちしましょう。」

「えっ…あの、」

「またね☆」

「は、はい!是非また…」

 手を振ったのもつかの間。


「宣言。水よ、俺を柵の向こうへと運んでくれ」


 少しだけ低い声で呟くのが聞こえると、どこからともなく湧き出た水が彼を上へと押し上げた。

 玄関に回らないという事は、やはり多少急いでいたのだろうか。私は先生を振り返った。


「…レナルド先生は、チェスター様とお知り合いなのですか?」

「えぇ、彼が職場に来る事がありますから。…では、気を取り直して素振りを始めましょうか。」

「はっ、はい!よろしくお願いします!」

 職場はどこですかと聞きたかったのだけれど、私は慌てて剣を握りしめた。

 雑に振るのではなく、一振り一振りに集中しなくては意味が無い。


「振り方を見て頂けるのは今日だけですものね、頑張ります!」

「はい。ではまず…」

 剣の握り方から始まり、構え、姿勢、振り方、余計な力が入っている場所を教えてもらう。

 明日以降もきちんとやるためには、今日だけで素振りの型を身体に叩き込まなくては!


「三十二、三十三!三十四…」

 はっきりと声に出して数えていく私には、


「…隊長が、ご自分で指導されれば良いものを。」


 先生の呟きは聞こえなかった。




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