78.手加減という手抜き ◆
『あの、すみません。』
町中で声をかけられて振り向いた。
そこにいたのは、俺より二つか三つ年下に見える子供だった。背は低いしツバのある帽子をかぶってて顔が見えない。と思ったら、俺を見上げたその顔はめちゃくちゃ綺麗だった。
女顔とか中性的って言えばいいのか、着古されたシャツとズボン姿ではあるけど、いいとこの坊ちゃんなんじゃないか?とも思う。
『何だ?この辺じゃ見ない顔だな。』
もしかして道に迷ったのかと聞けば、少年は何度も頷いた。にこにこ笑ってるのは、俺が案内しそうな態度でいるからか。
悪い人なんて会った事がありません、とか言いそうな笑顔を見ていると、人攫いにでも持っていかれそうで心配になる。
『教会へ行きたいのですが、場所をご存知でしょうか?』
『おう。ここからだと……』
俺はそこで止まった。口で言うには説明がだいぶ面倒だったからだ。
右曲がって二つ目の角を左に行けばいいぜ!とかじゃ終わらない。
どう説明すればわかりやすいのか首を捻って、すぐに諦めた。頭をがしがし掻いて、道の先を指差す。
『まずこっち!案内するからついてこいよ。』
『そこまでして頂くわけには、』
『いいって。用事終わった後で暇だし、あんた一人でほっとくと危なそうだし。』
申し訳なさそうにしてたけど、俺が「いーからいーから」と歩き出せば大人しくついてきた。
そういうところが危なっかしい。一人にしたら最後、悪い大人にとっ捕まって売り飛ばされるんじゃないか?
『ありがとうございます。貴方はとても優しい人ですね。』
『そんなんじゃねーよ。これくらい普通だし』
『普通、ですか。お名前をお聞きしても良いでしょうか?』
『レオ。お前は?』
『ルイスと申します。』
そこから一緒に歩いてたら、何でか俺とルイスの距離がだんだん開いていく。
具合が悪いのか聞いても平気だっつうし、でも小走りになって息切れしてるしで、俺は立ち止まってちょっと考えた。
『もしかして俺、歩くの早いか?』
『……どちらかと言えば、僕が遅いのかと。』
『そっか、気付かなくて悪いな。ゆっくり行こうぜ』
『いえ、そんな!貴方の時間を…』
『気にすんな、暇なんだって。』
聞けば、ルイスはあまり運動をしないらしい。
友達と走りまわったりくらいするだろうと思ったら、外に出て遊ぶような友人はいないんだと。まるで病弱な子供みたいだと心配すれば、病気ではないと首を横に振られた。ほんとかよ。
『お前、もっと食って動いた方がいいって。そんだけ体力ないのに一人でほっつき歩いて、親御さんとか心配しなかったのか?』
『してましたね。でも、一人で来てみたくて。』
『挑戦すんのはいいけど、本当に気を付けろよ?人攫いだって現実にいるんだからな?』
『ふふ、レオは心配性ですね。』
くすくす笑うルイスがどうにも「お上品」で、やっぱり育ちは良い奴なんだろうなぁとぼんやり思った。大口開けて笑ったりしなそうだし。
俺がルイスをじろじろ見た事への仕返しなのか無意識なのか、ルイスは歩きながら俺をじっくりと眺めた。
『レオは、鍛えているんですか?』
『おう!将来騎士になるから。』
『では学園に行ってから、入団試験を?』
『そうなっちまったんだよなぁ。』
呆れ顔で「好きにしなさい」って言ってくれた親と違って、レナルドさんは俺が学園に行かないつもりなのを許してくれなかった。
騎士には実力が必要だが、学園で学ぶ一般教養だって集団行動の基礎だって重要な事だーとか、なんとか。
正直、俺が惹かれたのはそこより「来年入学すれば、第二王子殿下も同級生だ」って言葉の方だったけど。
そう思いながらなんとなしに振り返ると、ルイスの後ろから怪しい男が手を伸ばしていた。
『ルイス!』
咄嗟にルイスを俺の後ろに押しやって前に出る。
男が舌打ちして顔を歪め、「どけ!」と俺を押しのけようとした。そうはいくか、と全力でその腕を掴んでルイスから遠ざけるように引っ張る。
体術も何もあったもんじゃない、焦った末のただの強引な力技だった。
それでも男はバランスを崩してたたらを踏み、痛みに顔を歪めて「いってえな!くそ!」と吐き捨てて逃げて行った。
『レオ!大丈夫ですか!?』
駆け寄ってきたルイスが俺の肩に手を添えて、はっとした。
男を引っ張った時、地面に引き倒せるようにと屈んだ結果、今の俺は地面に片膝をついていた。
『つい追っ払っちまったけど……知り合いじゃないよな?』
ルイスがブンブンと首を横に振る。
今はこっちの方が背が低いから、薄紫色の瞳が心配そうに潤んでいるのも、同じ色の髪が帽子の中へまとめられているのも、よく見えた。
『そっか。ああいうのがいるんだから、一人で歩くなよ?』
『はい。』
『あ!もうちょいで教会つくけど、お前帰りは?』
今の奴が諦めてない可能性だってある。
慌てて聞けば、ルイスは「教会で大人と合流する」と言った。それなら大丈夫か。
教会の前に、オレンジ色の髪と目をした女性が立っていた。
俺達に気付くとワンピースの裾をひるがえらせて駆け寄ってくる。この人がルイスの言っていた「合流する大人」か。
『ご無事で!何もありませんでしたか?』
『えぇ、一人怪しいのがいましたが、彼が追い払ってくれましたよ。』
そう返したのはルイスじゃなかった。
俺達の後ろから聞こえた声に振り返れば、きっちりした服の見知らぬじいさんがそこにいる。
朗らかに笑ってるけど、その目はどこか厳しい。まさか、後をつけられたのか。俺がぽかんとしていると、そいつはルイスの前に屈んで声をかけた。
『ご無事で何よりです、シャロン様。』
俺の横にいたルイスは帽子を取り、その中で団子にまとめられていた髪を解いた。
予想以上に長い髪は日の光できらきらして、いい匂いがふわっとする。なんの匂いかは考えない方がいい気がした。俺を見るルイスの目が柔らかい。
さっきまで少年だと思ってたのに、今では少女にしか見えない。
『名前を偽ってごめんなさい、レオ。私本当は、シャロンと言います。』
声まで高くなってる。いや、これが元々の声なのか。
呆然とする俺とルイス…シャロン?を見比べて、じいさんが聞く。
『いかがでしたか、彼は。』
『他の方より優しく、柔らかく、勇敢でした。選定はもう充分です。』
シャロンは俺の手を取ると、大事そうに両手で包み込んだ。
どんな花よりきれーな笑顔を俺に向けて。
『貴方に決めます、レオ・モーリス。どうか私の護衛になってください。』
…全然意味がわからなくて、俺はしばらく停止した後に「は?」と返してしまった。
彼女が王立学園で過ごす間の護衛にと、レナルドさんが俺を推薦していたと知るのはまだ先の話だ。
◇ ◇ ◇
レオが走る横で、ダンは馬に乗っている。
荷物を括り付けられた馬は小走りで、向かう先はどちらもアーチャー公爵邸だ。
足腰を鍛えるために下町から邸へ走って通うレオはもちろん、ダンも敢えて男と二人乗りするような趣味はなかった。
「お前、お嬢とやる時手加減してんだろ。」
「え?そりゃするだろ。」
ダンの問いに、レオは当たり前とばかりの声で答えた。たとえ鍛錬でも女性を傷つけるような事はできない。
既に騎士として身を立てている女性なら、そんな気遣いは相手に失礼だろう。しかしシャロンは騎士でもなければ、騎士を目指しているわけでもないのだ。
彼女が真剣に学ぼうとしていること、強くなろうとしていることはわかるし、会う度強くなる彼女との鍛錬はレオにとっても修行になっていた。
特に問題はないはずだが、ちらりと横目で見たダンは不満そうに顔を歪めている。
「相手が怪我しようと構わねぇって襲ってくる奴と、怪我させねぇように襲ってくる奴の攻撃は同じモンか?」
違うに決まっている。
ダンが言いたい事をなんとなく察して、レオは視線を前に向けて言った。
「俺は怪我させるつもりではやれねぇよ。危ないだろ。」
「チャンバラで強くなったような気にさせて、いざ襲われたらどうなんだよ。」
「チャンバラってレベルじゃねぇって!ダンはシャロンがやってるとこ見た事あるのか?」
「たまにな。」
仕事をしていても、庭に面した窓の傍を通る時はある。
ただの貴族令嬢にはできない動きが、シャロンにはできる。これまで鍛錬してきたのだから。しかし公爵令嬢であり王子の婚約者候補である彼女を襲う「敵」だって、程度の差はあるだろう。
あれでは到底敵わず、自衛すらできない相手もいるはずだ。
「お前が甘いからお嬢の攻撃も甘い。それで通じると思ってんのか?お前だって適当な悪党しか相手した事ねぇんだろ。」
「適当なってなんだよ。そりゃ確かに、殺されかけたりとかはしてねぇけどさ。」
「いずれ、お嬢を殺そうとする奴だって出てくるはずだ。」
レオが目を見開いてダンを凝視した。
そんな想像はしていなかったらしい。
「…殺してどうすんだよ。」
「ばぁか。自分の娘を王子の嫁にしたい奴なんざ、腐るほどいるだろ。お嬢は筆頭候補だ。お貴族様ってのは、手段を選ばねぇ奴の方が多い。」
「けど、シャロン……本人が戦う事なんて早々ないだろ。」
彼女には常にメリルが側仕えしているし、ダンもいる。
切った張ったを本人がする必要はないはずだと、レオは考えている。アーチャー家の使用人達も同じだ。
彼女は守られるべき者であり、自衛以上の、相手を退けるまでの実力は求めなくて良い、と。
「やれるに越した事ねーだろ。」
「それはそうかもしれねぇけどさ、今だって充分すごいんだぜ?」
「お嬢は今の自分に満足してねぇ。そのうち《手抜き》に気付いてぶーぶー言い出すぞ。」
「俺は別に手ぇ抜いてるわけじゃ…!」
「手加減も手抜きも一緒だろ。」
レオは唸った。
違うと言いたくても、上手い言葉が見つからない。
自分がやってきたやり方が間違っているとも思えないが、シャロンは現状に満足していないという言葉も、常に先を見据えるような彼女の目を思い出せば納得できた。
「けど、俺は…」
「怪我させろって言ってるわけじゃねぇ、寸止めできなきゃお前が悪い。」
「寸止め?軽く言うなよ。シャロンだって結構強いんだぜ?」
「何だ、お前。お嬢に棒きれで叩かれんのが怖いのかよ。」
「そういうわけじゃ…いや、たまに出る怪力でやられんのは、ちょっとアレかもなぁ。」
レオはまだシャロンの攻撃をその身で受けた事はない。
ただ、レオが攻撃を寸止めした時、シャロンが同時に木剣を振っていたら、それがレオに直撃する事もあるだろう。
「ダン、お前がシャロンを心配すんのは」
「してねぇ。」
「…わかったから、レナルドさんとも相談してみる。今日は来てくれる予定だからさ。」
「あの赤毛か?」
「おう。」
仕事上たまにしか来れないが、それが今日だった。
レナルドが来る以上、これまでと違うやり方――いわば、「次のステップに進む」可能性は元からあったのだ。
師であるレナルドの考え、シャロン本人の考え、側で見守るメリル達使用人の考え、アーチャー公爵夫妻の考え。令嬢の鍛錬にあたって、誰の意見がどこまで採用されるのか、レオにはわからない。
「どいつもこいつも、過保護すぎんだよ。」
ぼそりと呟いたダンは、屋敷へ向かってスピードを上げた。




