76.まずいですわ、非常に。
頭が焼け付くように痛い。
「殿下、おやめください!!」
「離せ!俺は散々我慢した、いいからコイツを摘まみ出せ!!」
怒りに満ちた声は誰か、と記憶を辿ると、直前に「いい加減にしろ」と叫んだ人物と同じ声だと気付いた。
そう、私は――わたくしはこの男に突き飛ばされて、床に頭を打ち付けた。
「姫様、大丈夫ですか!?」
バタバタと数人が駆け寄ってくる。姫様って誰?いえ、わたくしの事に決まっているわ。
なんてひどい匂い――違う、わたくしがつけた香水だわ。でも、こんなに重ね付けしなくてよかったのかもしれない。
「ロズリーヌ様!!」
聞きなじんだ従者の呼び声で、目を開けた。
「え……?」
呆然として、声が漏れた。この感覚は何?
赤い絨毯が敷かれたまるで王宮のような――ここはロベリア王国の城で間違いない。焦った様子の兵士達の手を振り払っているのは、誰?
それは見ればわかるわ、だって根本の方だけ白い青髪はロベリアの王族の証よ?
――ちょっと待った。私は
「姫様、お気を確かに!」
「っ……大、丈夫ですわ。」
ズキリと痛んだ頭を押さえ、従者に助けられながら上半身を起こした。
王族としての贅沢を浴びた豊満な体が――太っ、うん?いえ、待って、待ってったら!!
これは誰の記憶?
見た事のない景色、存在しない機械、知らない人々、誰、だれ?
私は――わたくしは日本で――ヘデラ王国で生まれた、
「ロズリーヌ・ゾエ・バルニエ!!」
「殿下、他国の姫君です!敬称をどうか…!」
「こんな無礼者に敬称がいるものか!おい、俺が呼んだのだからさっさと顔を上げよ!!」
ツヤツヤした金色のドレスについたパステルカラーのリボン。
どういう趣味なのかしら。いえ、わたくしの趣味だったわね?と首を捻っていたけれど、相当に怒っている誰か…そう、年齢が近いからと案内役になっていた、第三王子のヴァルター様。
昨日だったか、「婚約者候補にしてさしあげてもよろしくてよ」なんて声をかけたような、あまり信じたくない記憶を思い出しながら、わたくしはのろのろと顔を上げた。
眉目秀麗なご尊顔をとてつもなく怒りと嫌悪に歪めて、彼は床に座り込んだわたくしへ指を突きつけた。
「我が国への留学は拒否させてもらう!貴様のような人間は、勉学に励む者達の邪魔でしかない!!」
わたくしは顔を顰めた。
彼が言った内容より、とりあえず湯浴みして香水を落としたい。口を開いたら「ウェェエア…」などと言ってひどい顔をしてしまいそうだわ。
わたくしを支えている従者は鼻がもう壊れているのかしら、可哀想に。そういえばこの従者の名前を知らないわ。顔だけで選んだんですもの。
「聞いているのか貴様!」
これ、声を出さなくては駄目よね。
わたくしは精一杯堪えて、神妙な顔で「わかりましたわ」と頷いた。
顎の肉が邪魔で…って、わたくしやっぱり太ましいわよね?日本でも美味しい物をたくさん食べたけれど、ぽっちゃりで許されるレベルじゃありませんわ、この身体。ああ重い。
「わかったらとっとと出て行け!!」
「殿下お待ちを!」
「せめて国王陛下の正式な決定を――…」
ごちゃごちゃと騒ぎ立てながら去っていく一行を、わたくしの側仕えの者達が茫然として見送った。
きょとんとしてわたくしを見ている者もいる。黙っているのが不思議なのね、きっと。
「スゥー……」
ちょっと考えましょう。
そう思って細く息を吸い、口を閉じる。ふむぅと鼻から息を吐き出して、わたくしはすっくと立ちあがった。
…すっくと、
…すっくと、立っ、
「ロズリーヌ様、お掴まり下さい。」
お腹がたぷたぷしているせいでゴロゴロと謎のダンスもどきを披露していたら、従者が苦々しい顔で肩を貸してくれた。
そう、いつも彼に手伝ってもらって起きていたのだわ。
「ごめんなさいね、ありがとう。」
「いえ、……はっ?」
お礼を言ったら愕然として固まってしまった。
そうね、確かにわたくし今までお礼も謝罪もした事が……ないわね。
ぷよんと柔らかい顎に片手を添えて、わたくしは一つ頷いた。
「……わたくしは、ロズリーヌ・ゾエ・バルニエ。そうですわね?」
「えっ…えぇ、その通りでございます。麗しき王女殿下。」
従者に目を向けて聞けば、彼は即座に膝をつき、わたくしの手をとってキスしようとした。
おっかなびっくりして手を取り返すと、従者がポカンとして見上げてくる。
「き、キスなどしなくていいですわ。」
「はい………?」
「宿へ戻りますわよ。案内を」
「か、畏まりました。」
慌てて立ち上がり、従者が先導する後ろをのしのしと歩く。護衛としてついてきた兵士達もわたくしの様子に戸惑っているみたい。
落ち着きましょう。
冷静に歩いているフリをしながら、わたくしは背中にじっとりと汗が滲むのを感じていた。
先程頭に流れ込んできた…いえ、思い出したような感覚だったわね。
まるで昔の記憶のように。
わたくしはあの世界、あの時代、あの女として生きていたのだわ。
それなのにどうしてか、今のわたくしの名前を知っていた。ゲームのキャラクターとして。
前世の自分が今世の自分を知っている、なんというカオス。
でも認めましょう、実際に起きているのだから。神の天啓とでも思っておきましょう。
ジャンルは乙女ゲーム。
前世のわたくしが繰り返し繰り返し楽しんだそのタイトルは、『ツイーディア王国物語~凶星の双子~』。
つまり、そう。
わたくしの国ヘデラではなく、隣国であるツイーディアが舞台。
主人公はそこに生きる庶民、王立学園で双子の王子とその従者に出会い恋をする――…そんなストーリー。
そしてシナリオに登場する、悪役令嬢ならぬ悪役王女こそがわたくし、ロズリーヌ・ゾエ・バルニエ。
「ふふ……ふふふっ。」
「ひ、姫様…どうなさいましたか。」
「何でもないですわ。わたくし、げほっ、宿に戻り次第湯浴みを致します。」
「畏まりました。」
馬車の座席へとエスコートしてくれる従者の手に、自分の手を預ける。
窓を全開にするよう指示すると、明らかに従者がホッとした。不敬ですわ。でも気持ちはわかります。今ならね。
ガタゴトと馬車に揺られながら、わたくしはゆったりと青空を見上げる。
――まずいですわーーーーーッ!!!!!!!!!
全力で叫び出したい気持ちを堪えた。わたくし、王女ですので。
なぜ、よりにもよってロズリーヌなのでしょう?
どうして、ツイーディア王国側じゃないのでしょう?
このロベリア王国に来る前、わたくしはツイーディア王国の、えぇ、例の双子の王子様とその従者の全員にお会いしたのですけれど?
どうして、どうしてそれより前に前世の記憶を戻してくださらなかったのかしら!?そこはもう今後一生問いかけ続けますわよ、神様!!
当時は何も気にしていませんでしたが、今その時の記憶を遡ってみれば、皆様がどれほどわたくしの言動に、あと香りと見た目に、顔を引きつらせていたかがよくわかります。
前世の最推しだったあの方の嫌悪に満ちた視線…自業自得とはいえ心にきますわね。あぁ、でもそんなお顔をされていたって貴方は美しい。うふふ。ぐへへ。えへっ。
「…殿下、大丈夫ですか?」
「問題なくってよ。」
ニマニマと顔が緩んでいたようだわ。
いつの間にか力なく開いていた口をピッタリと閉じて、なんなら扇も広げて口元を隠しま…虹色の扇?わたくしこれ、どこで買ったのかしら。フサフサに誰かの食べかすがついていますわ。
「留学の件は…向こうの兵士も言っていましたが、第三王子殿下お一人には決定権がありません。国王陛下のご沙汰によって、」
「いいのよ。わたくしこの国への留学は諦めました。」
「諦め…なぜですか?」
従者が目を見開いてわたくしを見ている。
そうね、わたくしこちらの王族の髪色が美しいから、眺めるためにもここへ留学するなんて宣っていたんですものね。
「国王陛下は殿下の意見を承諾するでしょう。わたくしはツイーディア王国に留学致します。」
「な…!」
それはもう決定事項。
ゲームに出てきたもの。悪役ロズリーヌがやってきた経緯はこう。
元は別の国へ留学するはずだったが、視察段階で無礼の限りを尽くしたため、留学を拒否された。可愛い愛娘のために、ヘデラ国王が泣きついたのが…隣国のツイーディア国王である。と、ね。
わたくしは目を細め、従者にバレないようそっと自分のお腹を触った。
そして最推しのあの方の表情を思い浮かべ、ふっと息を吐く。
――ダイエットしましょう…。
我がヘデラ王国に王子は六人。王女はわたくし一人。唯一の娘として溺愛され、我儘し放題で生きてきたのです。
改善しましょう。でも美味しいものは食べたい。運動も最低限しかしたくない。
目指すは肉感的な健康的美女ですわ。あと半年でどこまで絞れるかわかりませんが。前世でもダイエットは苦手としておりましたので。
でも、推しに直接会うなら話は別です。別なのです。
前世の自分の気持ち、感覚が染みわたった今、わたくしは新生ロズリーヌとして変わってみせましょう。ヒロインであるカレンちゃんをいじめるのも嫌ですし、断罪されて牢獄も強制送還(留学中断)も嫌ですし。
――この世界のシナリオを知っている以上、何よりもマズイのは「未来編」の戦争でしょうけれど。
お腹の肉の上で腕組みをして、わたくしはじっくりとゲームの内容を思い出す。
前世のわたくしが涙ながらに書き上げた二次創作も…イラストサイトでも小説サイトでも検索結果が非常に少なかった、推しカプの事も……。
わかります、カレンちゃんがヒロインですもの。マイナーカプは百も承知…はぁ。
――でも。
わたくしは自慢のブルーアイズをキラリと光らせ、ツイーディア王国へと思いを馳せる。
その二人の「可能性」をわたくし、ゲームの中に見ているのです。何せ隅々まで、攻略サイトを使って数多のバッドエンドの全てさえ自分でプレイして確認致しましたから。
思わせぶりなセリフも匂わせも全て都合良く受け取っていきます。その道の者でしたので。
お二人が実際にどうなのか、今世のわたくしは確認できるのではないでしょうか!?なんという贅沢!!
悪役王女たるロズリーヌでは、その確認も難しいでしょう。
しかしわたくしは新生ロズリーヌ。善なる王女です。これからなります。あわよくば…
あわよくば推しカプを見守り…あわよくば女の子キャラと仲良くお喋りして……あわよくば最推しを物陰から舐めるように観察する生活。
――最ッ高ですわーーーーーーー!!!!!!!!
叫び出したいけれど口は上品に閉じております。えぇ、わたくし、王女ですので。
輝かしい未来が眩しくて最早見えないくらい。
とにかくまずは、推しの前に出ても恥ずかしくない肉体に変化しなくては。芋虫が蝶になるように。
……それにしても。
わたくしは腕組みを解いて、窓の外を眺める。
ここから見える景色とはまったく違う、日本という国で生きていた貴女。
ねぇ、わたくしの前世。御園亮子。
死に際をきちんと覚えているわ。思い出せるわ。でもわからない。
貴女ちゃんと、
あいつを殺せたの?




