72.妹ができました
「シャロン様!」
部屋に入ると、ジェニーはベッドに手をついてこちらへ身を乗り出すようにしていた。
私はチェスターと一緒に急いで駆け寄り、傾いた上半身をベッドへと押し戻す。黒水晶のブレスレットがちゃらりと鳴った。
「こんにちは、ジェニー。危ないから身を乗り出しちゃ駄目よ。」
「はい、すみません…お兄様も、ありがとうございます。」
「平気だよ。シャロンちゃん、椅子どうぞ。」
「ありがとう、チェスター。」
既にベッド脇へ準備されていた椅子に座る。
ジェニーは真剣な面持ちでぺこりと頭を下げた。
「先日はお見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。騎士様がお守りくださらなければ、シャロン様も、第一王子殿下も…お兄様のように、怪我をさせてしまっていたかもしれません。」
流れた血を思い出したのか、ジェニーはチェスターを見て涙ぐんだ。
もうすっかり傷は塞がって跡も残っていないけれど、まだ記憶には鮮明に染みついているのだろう。チェスターは優しく目を細めてジェニーの手を握り、小さく頷いた。
ジェニーは涙を堪えるように瞬きして応え、私と目を合わせる。
「シャロン様。私が魔法を使っていた事に気付いてくださって、本当にありがとうございました。」
「俺からも、ありがとう。」
深々と、兄妹は頭を下げる。
二人には見えないのに、私は反射的に小さく首を横に振っていた。
「そんな…あの、むしろごめんなさい。いきなり伝えた事でジェニーを怖がらせてしまったわ。」
「それ、ウィルフレッド様も言ってたなぁ。」
顔を上げたチェスターが苦笑する。
ウィルは昨日現れて、ジェニーに深く謝罪したらしい。
病の原因は君の魔法だとはっきり言ったのは自分だ、追い詰めて申し訳なかった…そう告げたそうだ。
「飛び出したのは俺だし、話を始めちゃったのも俺なのにね。…だから、謝らないで。シャロンちゃん」
「そうですわ。それに、怖がらせてしまった、なんて…私の方こそ皆様を危険に晒したのですから。」
手首の黒いブレスレットに触れて、ジェニーは目を伏せる。
「私、学園へ行くまで決して魔封じを外しません。……恐ろしいスキルを授かりましたが、先生方の監視の下、きちんと制御する方法を学びますわ。もう暴走など起こさないように。」
「…えぇ。その時は、私で力になれること事があれば言ってね。同じ学園にいるのだから」
私は椅子に浅く座り直して、ジェニーの手に自分の手を重ねた。
下から支えていたチェスターと私とで挟み込むような形になる。
「学年が違っても、お兄様やシャロン様に会いに行って良いのですか?」
「勿論だよ。シャロンちゃんには寮でも会えるだろうしね。」
「一緒に通えるのを楽しみにしているわ。ウィル達も誘って、ランチやお茶会をしましょうね。」
「っ!そ、そうですね、許されるのでしたら……」
消え入るような声になりながら、ジェニーが目をそらした。頬がぽぽっと薔薇色に染まっている。かわいい。
「……シャロンちゃん、そういう時は俺を通すように。」
「ふふっ、わかったわ。」
チェスターがじとっと半目なのが面白くて、私はくすくす笑ってしまう。
ゲームでは庭園のティータイムでシャロンを相手に選択したり、夜の談話室で話しかけたりする事で情報集めをしていた。
そのあたりの時間を使って、フェリシア様と、カレンと、ジェニーと、女子会なんかもできたら楽しいわね。女の子キャラは他にもいるけれど……彼女達と仲良くなれるかは、会ってみないとわからない。
「そうだ、約束の物を持ってきたのよ。」
ぱん、と軽く自分の手のひらを合わせて、私はいそいそと鞄から平たい包みを取り出した。
両手で持ってジェニーに渡すと、彼女は布団越しに膝の上に包みを置いて、ゆっくりと綺麗に包装を剥がす。女神像の画集の新品が顔を出した。白い指が大事そうに表紙を撫でる。
目を細め、喜びに頬を淡く染めてくれるジェニーを、チェスターが優しく見守っていた。
「ありがとうございます、シャロン様。大切にしますね」
「えぇ。いつか…」
ジェニーが開いた画集の端に、私は指先で触れる。
背景からして森の奥にあるのだろう、女神様の指に小鳥が止まっている絵。
「いつか、一緒に現地へお祈りに行きましょう。」
ジェニーが目を瞠る。
画集に女神像の場所は書かれていないけれど、中には広く存在を知られている物もある。
一つでも、二つでも三つでも、ジェニーと一緒に見に行く事ができたら素敵だと思った。言葉が出ない様子の彼女に、私は付け足す。
「ただ、学園できちんと学んで、護衛もつけた上でよ。そうではなくては、ご両親もチェスターも心配するものね。」
「そうだね、公爵令嬢二人旅っていうのは周りが許さないかな。俺も行くって言いたいけど、卒業した後どこまで自由が利くかわからないし。」
王族の従者はそのほとんどが国の中枢に関わるようになる。
卒業後すぐに現職と入れ替わるわけではないけれど、補佐として下について学んだり色々あるのだ。従者としての期間は、将来のための信頼関係構築期間でもある。
「……行くにしても近場にしてほしいな~?…やっぱり心配だし…。」
「ふふ、まだ何年も先の話よ、チェスター。」
「シャロン様…ほ、本当ですか?私と一緒に、遠出をしてくださるのですか。」
胸の前で手をきゅっと握って、ジェニーは瞳をうるうるさせて私を見つめていた。眉が下がってしまっている。
今にも涙が零れ落ちてしまいそうな様子を不思議に思いながら、私は頷いた。
「貴女さえよければ、行きましょう。初めて行く街を通って、特産物に舌鼓を打って、旅先の出会いも楽しみにして。」
「行きます!私きっと、いえ必ず前よりも元気になって、シャロン様と一緒に行きますわ。」
ジェニーは前のめりになってそう言ってくれた。
ずっと家から出られなかったんだものね…。自分より小さな手が決意表明のように拳を作っている。指の細さにこっそりハラハラしながら、私は「約束ね」と微笑んだ。
「目標ができるのはとっても良いんだけど~、頼むからお忍びにしてね?治安が良いところばかりじゃないし、二人はあらゆる意味で大事な女の子なんだから。」
「はい、お兄様!学園でしっかりと自衛を学びますわ。」
ふんすと気合を入れているジェニーがかわいい。
暴走中は威力が上がるとはいえ、あれだけ強力なら元々の素質もかなり高いはず。この歳でスキルが発動した事も含めて、魔法学の先生方が放っておかなさそうだわ。
「足をしっかり使えるようになったら、まずは街の教会に行ってみようね。魔力鑑定しないと」
ジェニーの頭をぽんぽんと撫でて、チェスターが言う。
魔力持ちだという事は充分に証明済みなので、大事なのは最適の属性がどれかを知る事だ。
「はい。…やはり、最適は《闇》…でしょうか?」
「風という可能性もあるわ。そのどちらかかしら。」
「そうだね、その二択かな。」
鑑定石が気軽に手に入る物ならよかったのだけれど、教会にしか置かれていないし、そこから動かす事は禁止されているから、こちらが出向くしかない。
ジェニーは少しだけシュンとして「お揃いがよかったですわ」と呟いた。チェスターは水だものね。
「仲間内では最適がかぶってない方が良いし、闇なんて珍しいからすごい事だよ。」
「複数の属性を発動できる事からして頼もしいわ。最適の属性しか使えない人も多いのだから。ジェニーはとっても将来有望よ。」
「…ありがとうございます。」
褒められてぽっと頬を赤くするジェニーがかわいい。
私もそろそろ他の魔法をひと通り確認して、治癒の魔法にも少し手をつけたいところね。
部屋に来てからそれなりに時間が経っていると気付いて、私はそれとなくジェニーの様子を観察する。顔色は良いままだし、話す声も滑らかだ。
「公爵様から、咳き込まなくなったと聞いていたけれど…大丈夫そうで安心したわ。もう喉は痛まない?」
「えぇ、息苦しさもないのです。足はまだうまく力が入らないですけれど、呼吸が楽な分、動かす練習も今までより時間がとれると思います。」
「教会まで行けるくらいになったら、快気祝いのパーティーをしようって話してるんだ。その時には、シャロンちゃんも来てくれたら嬉しいなぁ。」
「招待してくれるの?」
「当然ですわ!シャロン様のお陰ですもの。是非ともお越しくだ……も、もちろん、ご都合が合えば、ですけれど……。」
真っ直ぐに私を見た灰色の瞳が布団へ落ち、声は不安そうにだんだんしぼんでいく。
シュンと項垂れる姿は子猫のようで、私はつい彼女の頭をそっと撫でた。
「ありがとう、ジェニー。絶対に行くわ。」
「本当ですか!」
ジェニーはぱっと顔を上げて目を輝かせる。
一番最初に会った時はなぜか少しつんつんしていたけれど、ころころ表情を変えるところも、素直なところもかわいい子だ。見守るチェスターも私と同じように思っているのだろう、優しい兄の目をしている。
「ふふっ。ジェニーのような可愛い妹がいて、チェスターは幸せね。」
「あ、わかっちゃう?最高に幸せだよ。」
「素敵なお兄様を持つ私だって、とっても幸せですわ。シャロン様は、弟君がいらっしゃるのですよね。」
「えぇ。でも妹はいないから、少し羨ましいわ。」
クリスはとっても可愛い弟だけれど、妹がいたらドレスやアクセサリーの事を話したり、お母様がいない時も二人で刺繍をしながら話したり…姉妹ならではの楽しみも色々あるんだろうなと思う。
私の想像を汲み取ってか、ジェニーが顔をほころばせた。
「わかりますわ。お兄様の存在は欠かせませんが、もしお姉様もいらっしゃったら――…」
はた、と。
ジェニーが動きを止めて、ほんの少しだけ見開いた目でチェスターを見て、私を見た。
何かしら?と首を傾げた私からチェスターへ、そしてまた私へと、灰色の視線が動く。
「……シャロン様、お願いがあります。」
「お願い?」
「私実は、姉というものに憧れがあって…」
少し目を伏せて、ジェニーはもじもじと胸の前で手をすり合わせた。
恥ずかしそうに頬を赤らめてちらりと私を見上げる姿はなんともいじらしい。かわいい。
「もしよろしければ、なのですが…時々でも良いのです。お姉様…と、そう呼んでも良いでしょうか……?」
「――ジェニー、それは」
「まぁ、なんて可愛らしいお願い…!」
私は感激して思わず口元に手をあてた。
チェスターが何か言いかけたのを遮ってしまったけれど、勢いのままに前のめりになって大きく頷く。
「もちろん良いわ。私でよければいくらでも。」
「本当ですか…!嬉しいです。」
ジェニーは両頬に手をあてて小さく首を左右に振っている。まさに恥じらう乙女の姿だわ。
「誤解を生みかねないから、公の場では駄目だけれど…今みたいな時は気軽に呼んでくれて大丈夫よ。」
「わかりましたわ、公の場でうっかり言ってしまわないよう気を付けます、お姉様……!」
私達は自然と手を取り合って、微笑んだ。
どうしましょう、可愛い妹ができてしまったわ。元々、これからは友達として、チェスターを間に挟まなくても手紙をやり取りしていいかしら、会いに来ていいかしらなんて考えていたのだけれど。
チェスターはなぜか、「しょうがないな」というように少しだけ困り顔で笑っていた。
「ジェニー?本当に気を付けないと、俺は怒るかもしれないよ。」
「も…もちろんですわ。私は公爵家の娘ですもの、わかっております。」
「シャロンちゃん。快気祝いはウィルフレッド様達にも声をかけるけど、人数は絞るつもりだから気軽に来てね。」
「えぇ、ありがとう。」
長らくベッドの上にいたのだから、そんなにすぐには開催されないだろう。少なくとも一ヶ月か、二ヶ月は先の話かしらと思いながら私は頷き、次の言葉で固まった。
「叔父上も呼ぶ予定なんだ。とても良い人だから、君にも紹介するよ。」




