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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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69.魔塔の申し出 ◆

 



「……ジェニーは?」

 目を覚まして最初に、チェスターはそう問いかけた。

 ベッド脇の椅子に座っていたエイダがハッとして顔を上げ、目を潤ませる。


「お目覚めになられたのですね。」

「…ジェニーはどうなった?……どれくらい経った?」

 質問を繰り返し、さらに付け足すとこめかみにズキリと痛みがはしった。

 手をあてても、血を流していたはずのそこにガーゼも包帯も、むき出しの傷口も無い。治癒の魔法だろうとすぐに察した。


「お嬢様はご無事ですがショックを受けておられます。あれから半日と少し経ち、今は朝の九時過ぎです。起き上がれそうでしょうか」

「あー……平気。」

 それだけ寝ていたならむしろ起きなくてはならない。チェスターはベッドに肘をついて身を起こした。

 湯浴みできなかった上、長時間眠っていた身体は汗ばんでいる。ひとまず水分を摂ろうと、エイダが渡してくれた水を喉に流し込んだ。


「王城より上級医師のナイトリー先生が来てくださいまして、お怪我は問題ないもののしばらく安静にするようにと仰せつかっております。」

「ナイトリー?」

 聞き返しながら、チェスターはまだ回転の遅い頭で記憶の引き出しを探る。

 バーバラ・ナイトリー。

 基本的に王族を診るために城にいるはずだが、時折好き勝手に騎士団演習場やら下町やらを飛び回る奔放な女医だ。一度だけ直接会った事がある。


「城からって事はウィルフレッド様の手配か…」

「明日改めて来て頂く予定です。」

「はは、こんな軽傷で呼びつけるのは申し訳ないね。」

「軽傷などと。頭を打たれたのですよ。最悪の事態も考えられました」

 セシリアに運ばれながらぐったりとしていたチェスターの姿を思い出し、エイダは寒気を鎮めるように自身の両腕を擦った。


「それに、貴方様は第二王子殿下の従者なのです。城勤めの医師を派遣頂いても何ら問題ありません。」

「……アベル様は。」

 反応を聞くのではなく、連絡がついているかどうかという意味でチェスターは尋ねた。彼が城を空ける事は前から聞いていたからだ。ロイかリビーがこの件を耳にしない限り、主の下へは届かないだろう。

 予想通り、エイダは首を横に振った。


「ヘイウッド様より、昨夜時点ではダルトン様、エッカート様共々外出されていると。」

「そっか。」

 チェスターは軽く返した。

 ジェニーの病についてはアベルにも様々な便宜を図ってもらってきた。早い内に報告しておきたいし、このまま妹が無事に回復すれば、治療法探しにあてていた時間をそのまま従者としての活動にあてられる。


 ――手が欲しいのは、まさに今なんだろうけど。


 口角を上げたまま固定しながら、内心は苦い気持ちでいっぱいだ。

 安静にしろという事はまだ外出許可が出ないし、チェスターとしてもジェニーが精神的に落ち着くまでは側にいてやりたい。

 本当はすぐにでもアベルの手伝いに走らなくてはと思うが、そうもいかなかった。


「父上と母上は?」

「戻られております。今は魔塔の方と面談中です。」

「……そ。」

 さしたる驚きはなく、ただ僅かに低い声でチェスターは呟いた。


 魔法学術研究塔――略して魔塔は、文字通り魔法に関する研究機関だ。

 建物は遠く離れた孤島にあるが、有事の際に迅速に然るべき知識をもたらすため、王都に()()()()()()()。昨日の今日で既に到着しているのはそのせいだろう。


「今のうちに朝食と湯浴みを終えたい」

「はい、支度は既に。」

 エイダが手を鳴らすと部屋の扉が開き、胃に優しいメニューを乗せたワゴンが運ばれてきた。

 布団を押しのけてベッドに腰かけ、差し出された濡れタオルで顔を拭く。本当は先に湯浴みをしてしまいたいが、入浴中に倒れてはいけない。胃に何か入れるのが先だ。


「エイダ、魔塔の人がジェニーに会いたがっても通さないでくれる?」

「はい、旦那様も同じ考えでいらっしゃいます。既にお嬢様に会われましたので」

「ならよかった。」

 テキパキと整えられたテーブルの前に座り、カトラリーに手を伸ばす。

 ジェニーが今まだ精神的に不安定であろう事を除いても、チェスターは魔塔の人間にあまり良いイメージがなかった。




 五年前――第二王子は魔力をもたないという事実が判明した。

 その翌日、王子の従者達は顔合わせのために招集を受ける。そこで聞いてしまったのだ。


『魔法が使えないなんて何代振りの恥だ?』

『性格も傍若無人で、自ら手を血に染めるとか。』

『馬鹿な。まだ子供だろう』


 すぐそこの扉が王子の従者達に用意された控室とは知らなかったのだろう、彼らは廊下に立ち止まってボソボソと話していた。

 ニクソン公爵の息子、サディアスとは以前にも会った事があるものの、彼はチェスターの向かいで相変わらず、ただ無愛想にソファに座っているだけ――のはずなのに、なぜか、許しがたいとばかりその目を見開いて扉の向こうを睨みつけていた。


 彼の肩にだいぶ力が入っている事に気付いて視線を下げれば、膝の上に行儀よく置かれた手は爪が食い込むほどにきつく握り締められている。怒っているのだ、あの会話を聞いて。

 みるみる頭に血が上っていく様子が意外で、チェスターは背もたれに身を預けたままぽかんとそれを眺めていた。


『君は去年起きた事件を知らないのか、犯罪者とはいえ恐ろしい人数を殺したと聞く』

『年端もいかぬ子供、それも魔法が使えぬ欠陥品がか?』

『剣はお好きらしい。噂じゃ、間に合わず死んだ犠牲者も本当は殿下が――』


 ボッ


 ガンッ!


 火の粉が見えた瞬間、チェスターは反射的にローテーブルを蹴っていた。

 当然、激しく動くほどの強さではない。廊下に聞こえるレベルの物音を立てただけだ。予想通り会話はピタリと止み、火の粉も消える。ぎらぎらと扉を睨んでいた水色の瞳がチェスターへと動く。

 廊下からは咳払いの後に足音が離れ始め、素早く立ち上がったサディアスは扉を薄く開けて廊下を確認していた。


『……魔塔の者達ですね。』

 ソファへ戻りながら、サディアスは吐き捨てるように言った。

 彼が怒る理由を推測すれば、今日この部屋で会ってからずっと自分に向けられる鋭い敵意も理解した。


『貴方はなぜ涼しい顔をしているのですか。』

 気に食わないという態度を隠そうともしない。思っていたほど、彼は冷静な少年ではないのかもしれないと、チェスターは呑気に考える。

『ん~、止める気がなかったからかな。』

 止めたところで、彼らは場所を変えて改めて言い続けるだろう。

 会話の内容からして魔力鑑定のために呼ばれた来賓が、翌日の今日もまだ滞在しているのだろうと推測できた。そんな者達と王子の従者、それも着任したばかりの若造がひと悶着起こすわけにもいかない。だからサディアスも睨むだけだったのだ。


『…私が従者になるはずだった』


 サディアスは吐き捨てるように言った。彼はウィルフレッド第一王子殿下の従者だ。つまり、アベル第二王子殿下の従者になるよう、ニクソン公爵が動いていたということ。その目論見が外れたということ。

 チェスターは「そっか」とだけ返した。従者の割り振りは国王陛下の決定であり、どうあがいたって覆りはしない。


『なぜ、貴方のような人が。』

『どうしてだろうね。俺にもわかんない』


 憎々しげに睨んでくるサディアスに肩をすくめてみせ、チェスターは自然な動きで彼から目を離した。もう話は終わりだと示すように。

 父親からさんざん言われた「ニクソン公爵には気を付けろ」の言葉は、息子にもあてはまるのかどうかを考えながら。




 その日が最初で最後。魔塔の人間とは関わっていない。

 たった二人に抱いたイメージだけで組織丸ごとを見るのはよくないが、接触はその時だけだ。

 魔法を主体とした組織である事を考慮しても余りある物言いだった。良い印象を持ちようがない。


 懐かしい思い出から意識を戻して、朝食も湯浴みも済ませた頃に両親はやって来た。


「あぁ、チェスター!よかった、目が覚めたのですね。」

 扉が開くなり茶色の瞳を潤ませて、母であるビビアナができる限りの早足でチェスターの元へ行き、肩に手を置いて顔を覗き込んだ。

 緩やかにウェーブする赤茶色の長髪も、おっとりとした垂れ目も、その中にある茶色の瞳も、チェスターが彼女から継いだものだ。


「母上、ご心配をおかけしました。」

 ビビアナは微笑むチェスターに涙ぐんだままこくりと頷き、二人は揃って視線を一人の男性へと移す。


「大体の話は騎士やエイダから聞いている。よく頑張った」

 明るい茶髪は短さゆえにつんつん尖った印象があり、几帳面に後ろへ流しているために凛々しい眉もそこに刻まれる皺もよく見える。切れ長の吊り目は灰色の瞳を冷たい印象にし、引き結ばれた唇の上には清潔に整えられた髭があった。

 パーシヴァル・オークス。

 現在の軍務大臣であり、騎士団長時代には隣国コクリコの第三王女ビビアナの心を射止めた事でも話題となった男だ。

 チェスターは小さく首を横に振る。


「父上、俺は何も。」

「お前が止めなければ、ジェニーは護衛騎士に力尽くで意識を奪われていただろう。」

「それは…。」

 闇が晴れた瞬間、ベッドの傍にいたセシリア。

 そこまで近付いていた彼女の目的は明らかだった。そうなってしまうとわかっていたからこそ、チェスターも必死でジェニーの元へ急いだのだ。飛んできた掛け布団は風避けに使うには重かったが、今行けなくてどうするのだと強引に乗り切った。


「……何よりも、アーチャー公爵家のシャロン様へ感謝を。彼女が言い出さなければ、俺はジェニーがスキルに目覚めていたとは…それがあの子自身を蝕んでいるとは、気付けませんでした。」

「そうだな。前例もないスキルだ。なかなか気付けるものではない。」

「彼女とウィルフレッド殿下の協力があってこそジェニーの力が発覚したのです。…俺はあれが病の元凶だったと考えています。」

 まだ、ジェニーが元気に走り回れるようになったわけではない。だからまだ、本当の確定ではない。

 それでもパーシヴァルは首肯した。


 魔力が暴走すると威力が上がるのは常である。

 ジェニーが強く意識して望めば、漆黒の闇は即座に五感を奪ってみせた。

 ならば恐れを吐露しただけの悪い想像は、生まれた斑の闇は、それよりもずっと効果の薄いものだったはずだ。


 両親それぞれと目を合わせてから、チェスターが聞いた。

「魔塔の者は何と?」

「保護を申し出てきた。断ったがな」

 パーシヴァルは即答する。

 前例がない上に強力なスキルであるため、今回のように暴走すれば危険であるし、スキルについて知られれば悪い者に利用される危険もある。魔塔にて保護しながら効果や威力の詳細を確認すべきだ、と。

 公爵を相手にするには些か無礼な語り口は、見るからに新たな研究対象の出現に興奮していた。

 長い睫毛を伏せ、ビビアナが短い息を吐く。


「きっと、また来るでしょう。こちらの返事は変わりませんが、拒否するだけの材料は用意しなくてはなりませんね。祖国からより効果の高い魔力封じを手配致しますわ。」

「頼む。私は陛下に話をつけておく」

 ぴしりと背筋を伸ばしたまま、パーシヴァルが淡々と告げる。

 その眉間に深く刻まれた皺がふと解けて、幾分柔らかい声がチェスターに向けられた。


「――動けるか、チェスター。あの子はお前を待っている」

「もちろんです。父上」


 チェスターの答えに頷き返し、パーシヴァルとビビアナは踵を返した。エイダが部屋の扉を開け、出て行く三人に一礼する。

 ビビアナに合わせた歩調で廊下を進みながら、パーシヴァルは前を見たまま言った。


「快気祝いには、ダスティンも呼んでやらなくてはな。」


 ジェニーが元気になる事を前提とした言葉に、ビビアナが肩の力を抜いて頷く。

「えぇ、そうですね。」

「ジェニーも喜ぶでしょう」

 チェスターは微笑んで言った。


「叔父上は優しい人ですから。」




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