67.さようなら、未来
「 いったい何が起きたの!? 」
突然風の音が止み、けれど吹き荒れる風に髪は乱されスカートがはためく。
咄嗟に口に出したシャロンは屈んだまま暗闇を見回し、すぐ側にいるウィルフレッドの服を掴む。確かにそこにいると示すように彼の手が重ねられたが、二人にはここからの解決策がわからなかった。
「 これまたすごいな!とんでもないスキルだ! 」
ジェニー嬢は将来有望だなぁ!などと思いながら、セシリアは無音と強風の世界で笑う。
床に刺した剣を伝って床に寝そべるようにし、這って前へ進めないかと試みる。剣を足裏で踏みつけるようにして、ベッドがある方へと手を伸ばした。
目など見えなくとも、たどり着いてしまえば、子供の意識を奪う事など容易いのだから。
「 使えない、か…なんだよこれ、子供がやるレベルじゃないだろ! 」
自身の魔法が発動できない事を確認し、ヴィクターは苦々しく吐き捨てた。光の最適であるウィルフレッドも同じ状況なのだろうと察すれば、いよいよ動きようがない。
セシリアがどうしているかわからないが、ヴィクターにとっては背後の第一王子を守る事が最優先事項だ。
たとえ、暴走の果てに令嬢が壊れても。
――消えてしまいたい、消えてしまいたい。
自分の身体を抱きしめるようにして、ジェニーはベッドの上で震えていた。
何も見えない、聞こえない闇の中。
まるで自分の身体も、触れている上半身以外は溶けて消えてしまったかのようだった。それでも両腕は、身体は、心臓は確かに存在して、大切な人たちを苦しめたにも関わらず無事なままだ。
両親が、兄が、使用人達が、どれほど自分のために尽くしたかわからない。
発病から何年経っただろう、彼らが費やした時間も、お金も、労力も、砕いた心も、計り知れない。
それがまさか自分のせいだったなんて、あまりにも笑えなかった。
「 でも、でも゛、知らなかった!私は、知らながったわ!! 」
言い訳のように叫んだ瞬間、心の中で自分自身が聞いてくる。
――具合が悪いとお兄様が一緒にいてくれる。そう考えた事があるわ。
「 ちがう、ちがう 」
――皆が私を見てくれたわ。お兄様が私のために必死になってくれて、
「 私は、笑っていてほしがっだもの! 」
――嬉しかった。それ以上に……悲しかったわ。
「 いや、嫌……お兄様ぁ…… 」
――でも私は、原因に気付きもしなければ、止め方もわかりはしない。今だって。
「 ごめんなさい。ごめんな゛さい、ごめん、なさ… 」
ベッドに振動を感じた直後、誰かに抱きすくめられてジェニーは目を見開いた。
ふわりと漂ったのは間違いようもない、兄の香りだ。
「 ジェニー 」
耳元に当たった吐息が、きっと名前を呼んだのだろうとわかった。
こぼれた涙が頬を濡らす。
怒っているはずの、ジェニーを許せないはずの兄の腕は、強く抱きしめているのに、なぜか優しかった。
聞きたくない。けれど、聞かなくてはならない。
おそるおそる背中に手を回した妹に、チェスターは一層腕に力を込める。
「 ――だよ。ジェニー」
音が戻ってきた。
それを察するために繰り返し「宣言」と呟いていたウィルフレッドが、はっとして唱える。
「光よ、この闇を打ち払え!」
みしりと、何かが歪む。
「大好きだよ、ジェニー。怖がらないで…俺がついてる。」
「っ…おに、さま……」
部屋全体が強い光に包まれ、シャロンは思わず目を閉じた。
瞼の向こうで光が落ち着いていくのを感じて薄目を開けば、光の粒子がきらきらと消えていく。
シャロンとウィルフレッドはヴィクターに庇われて屈んだまま、チェスターは掛け布団も飛んでしまったらしいベッドの上でジェニーを抱きしめている。
そしていつの間にか止んだ風を幸いに、跳び上がるつもりだったらしいセシリアがベッド脇で首を傾げていた。
「お兄様…わだ、し…とんでもない事を……」
「知らなかったんだよね、どうしようもないよ。……気付けなくてごめん」
「怒ら、ないのですか。私を…許せな゛、いでしょう……?」
「はは…自分には怒ってるし、許せない。こんなに近くにいたのに、気付いてあげられなかったんだから」
ジェニーは身体を離して目を合わせようとしたが、チェスターがそうさせなかった。
妹を腕の中に閉じ込めたまま、もう一度「ごめんね」と呟く。
ヴィクターはウィルフレッドとシャロンを問答無用で廊下に出し、扉の脇に控えさせた。
そこであれば再度風が起こっても直撃を免れるからだが、二人が心配そうに顔を覗かせる事は止められなかった。
セシリアは弁償になるかどうかを考えながら床に刺さった剣を抜き、絨毯と床に開いた穴をじっと見つめる。
「坊ちゃま!お待たせしました!!」
きっちりと結い上げた髪を乱しながら、エイダが駆け戻ってきた。
焦りのあまり呼称が昔に戻っている事に苦笑し、チェスターは片腕を離して手招きする。エイダは急いでジェニーの細い手首に黒いブレスレットを通し、ぴったり肌につくように長さを調節した。
触れた者の魔力を封じる力を持つ黒水晶のブレスレット――魔力持ちの使用人を隔離した際にも使った物だ。
「つけました、大丈夫です!」
「そ…ぉ、よかっ…た」
チェスターの腕が離れ、身体がぐらりと傾く。
エイダが悲鳴を上げて慌てて支えようとする横から、セシリアがぐいと引っ張って彼の身体を横抱きにした。
目を閉じたチェスターの額からは、血が滴っている。
ジェニーの喉がひゅっと音を立て、エイダが蒼白な顔で口元を押さえた。
ウィルフレッドとシャロンが急いで駆け寄る。笑みを浮かべているのはセシリアだけだ。
「うん、よく頑張ったなチェスター!ちょっと休んでるといい。侍女殿、部屋はどこかな?」
「こ、こちらへ!」
「わぉ…さすがに、他の運び方が…よかった、な」
目も開けられない有様で、チェスターがぼそぼそと言う。
シャロンは小走りで付き添いながら「言ってる場合じゃないでしょう」と返した。涙ぐんで光る薄紫の瞳はチェスターには見えなかったけれど、抑えきれない声の震えに彼は困ったように笑った。
続々と集まる使用人達にヴィクターとウィルフレッドが指示を飛ばし、血のついた壁紙やぐちゃぐちゃになった家具が目に入らないよう、ジェニーも他の部屋への移動が決まった。
オークス公爵夫妻の元へ早馬が駆け、チェスターの傷口はセシリアが止血したものの、頭を打ったという事でウィルフレッドが城に常駐する上級医師の派遣を要請する。
第二王子の従者であり、自身も公爵家の長男であるチェスター・オークスの事故現場に、第一王子が居合わせたのだ。医師の派遣はすぐに許可され、魔力暴走の調査のために騎士団もやって来た。
子供の起こす暴走にしては威力が強すぎたこと、前例のないスキルと思われるその効果内容を鑑みて、ジェニー・オークスは然るべき時まで決して魔力封じを外さないよう厳命が下された。
「俺が追い詰めてしまった」
泣き続けるジェニーの声を廊下で聞きながら、ウィルフレッドはそう呟き。
「また何もできなかったわ」
治療を受けるチェスターの部屋を出たシャロンは、そう零した。
◇
使いを出してもらったお陰で、事情聴取を終える頃には馬車が迎えに来ていた。
ジェニーの能力についてはひとまず他言無用とされており、私は後日改めてオークス邸を訪問する事になっている。後の事は任せてほしいと言うウィルに手を振って、私は馬車に乗り込んだ。
「報せを聞いた時は焦りました。怪我はないとの事でしたが…」
もう何度も確かめているのに、まだ私に問題がないか探しながらメリルが言う。
「ヴィクターさん…ウィルの護衛騎士の方が守ってくださったから、大丈夫。」
「チェスター様のご容態はいかがでしたか。」
「お城から来た医師の方が言うには、問題ないけどしばらく安静にして様子を見ましょうと。」
「頭部の打撲ですものね……。」
痛ましく目を細めたメリルに重々しく頷き返す。
わざとではないとはいえ、自らの魔法で兄を傷つけたジェニーのショックも相当なものだろう。
私は結局持ち帰る事になってしまった画集を取り出して、膝の上に乗せた。
表紙の女神様に目を落とし、胸の前で両手を組む。メリルも私に倣ってくれた。
――太陽の女神様。どうかチェスターに祝福を。ジェニーの心に癒しを。
馬車の揺れを感じながら祈りを捧げ、目を開く。
窓の外は夜の闇に覆われ、天井についたランプの明かりがちらちらと私達を照らしている。表紙の片隅にスタンプされた画家の名、ガブリエル・ウェイバリーの文字が白く反射した。
「しかし、無事におさまって本当に良かったですね。」
頬に手をあてて、メリルが呟く。
彼女が知っているのは、ジェニーが魔力暴走を起こし、チェスターが怪我をした事実だけ。実際にスキルで何があったかは伝えられていない。
「暴走は止められなかった時が本当に怖いですから…。」
「魔力切れの後、よね。」
「えぇ。」
本人の魔力が切れてしまえば魔法の発動は止まる。
けれど、それでも魔法を無理に使おうとした場合には脳にとんでもない負荷がかかるのだという。
私は以前水の魔法が出せなくて、それでもやろうとして知恵熱のようになっていたけれど、暴走している人は加減ができない状態なのだから、それとは比べ物にならない。
……今思うと、私も結構危険な事をしていたわね。
「記憶障害から身体機能への影響まで、計り知れません。魔法に慣れた大人でも稀に感情に振り回されて暴走するのですから……油断は禁物です。シャロン様もどうか、冷静さをお忘れなく。飛び出して行ってばかりでは危ないのですからね。」
「うっ…そうね。わ、わかっているわ」
魔法を使う時の心の在り方の話が、私の飛び出し癖の話に変わってしまっていないかしら。心配してくれるメリル達には申し訳ないけれど、あの時だってあの時だって、放っておけなかったし…。
過去にメリルの元から飛び出していった出来事を順に思い浮かべながら、私はしゅんと項垂れた。
――それにしても。
眉尻を下げたまま、私は窓の外に広がる星空を見上げる。
ジェニーが発動させた魔法によって、私達は視覚と聴覚を奪われた。本人が明確に望んだこと、そして魔力の暴走によって強化されたからこその効果なのだろうと思う。
つまり、暴走する前に私達が見た斑の闇。
あれこそはジェニーが無意識に生み出した「効果の弱いもの」であり、病の原因なのではないか。
効果は弱く、けれど長い年月をかけて確実に彼女の身体を蝕んだ……それが、あの病の真実なのだろう。誰かに仕組まれたものではない。
それなら、チェスターの言っていた「病は魔法のせい」という言葉は、ただ彼を絶望させるために伝えられたものだった?
あるいは、彼らの叔父――ダスティン・オークスはジェニー自身の魔法だと知っていた?
黙って考えながら、私は小さく首を横に振った。
ジェニーが一人の時に魔法が発動していたのなら、知りようがなかったはずだ。
顔を窓へ向けたまま、ゆっくりと息を吐き出す。
一つ。
ようやく一つだけ、可能性を潰す事ができた。
ジェニー・オークスが難病に苦しみ、叔父の管理下に置かれる未来。
「 さようなら 」
声を出さずに呟いた。
きっと冷たい目をしていたと思う、消したかった未来の事だから。
黒い夜空の中で、星々は美しく瞬いていた。




