64.恋じゃないの
「我が家へようこそ、ウィルフレッド第一王子殿下?」
わざとらしいほどに恭しくお辞儀をして、チェスターは悪戯っぽくウインクした。
ウィルが呆気に取られたように目を丸くしている。思わずくすりと笑ってしまうと、チェスターは顔を上げていつも通り力の抜けた笑顔になった。
「来てくださってありがとうございます。シャロンちゃんもね。」
「こ…こちらこそ、招いてくれてありがとう。チェスター」
「ふふっ。お邪魔します、チェスター様?」
「は~い☆」
今日のチェスターは右側の横髪はそのままに、左の横髪は編み込みを作って後ろへ流し、ハーフアップにしているみたい。ジェニーもまたお揃いなのかしら。
ブラウンのベストのポケットにはやっぱりハンカチが見えている。
「じゃ、案内しますね。こちらへどうぞ」
緩く笑いかけるチェスターの後ろから、ピシリと背筋を伸ばしたウィルが歩く。さらさらの金髪が廊下の明かりを受けて光を流した。
今日は濃紺のベストを着たウィルの腰には、アベルとお揃いの剣がある。彼が持っている花束からの香りをそっと吸い込んで、私は口を開いた。
「チェスター、ひとつお願いがあるの。」
「ん、何?」
「もしよければ、画集を見る間ジェニーと二人にしてもらえないかしら。」
私の提案に、チェスターがきょとんと瞬きする。
駄目とは言われなさそうねと思って、私は胸の前で拳を作って続けた。
「女の子同士、内緒話のひとつやふたつもしてみようと思うの!」
チェスターは少し目を見開いてから、ふっと顔をほころばせる。
「じゃあ、男どもは退散しないとですね?ウィルフレッド様。」
「あぁ、そうだね。」
どうやらお許しが出たみたいだわ。私はほっと胸をなでおろした。
「ありがとう、チェスター。」
「んー、お礼を言うのはこっちかな。ありがとね、シャロンちゃん。」
チェスターが大きな手で私の頭をぽんぽんと撫でる。
なぜお礼を言われたのかピンとこずに、私はぱちぱちと瞬きした。
ジェニーの部屋に入ると、前と同じようにベッド脇にテーブルセットが置かれていた。
ベッドの上で上半身を起こしたジェニーは、今日もチェスターとお揃いの髪型で、袖口がふんわりした白いブラウスに黒い細身のリボンをつけている。
もちろん誰が来るかは事前に聞いていたのだろう、緊張した様子の視線がウィルに行きつき、彼女は目を見開いた。
「ウィルフレッド様、妹のジェニーです。」
チェスターが紹介すると、ウィルはジェニーに微笑みかけて花束を差し出した。
「初めまして。俺は第一王子、ウィルフレッド・バーナビー・レヴァインだ。前回は来れなくて申し訳なかった、ジェニー公爵令嬢。また花を用意したから、どうか受け取ってほしい。」
「あ、ありがとうございます…!わ、私…ジェニー・オークスと申します。初めまして、第一王子殿下。ここ、このような所から申し訳ありません。」
花束を抱えたまま、かちこちに緊張したジェニーがぺこりと頭を下げた。
「気にしないで、楽にしていい。」
「はい…その、先日の事件では……ご活躍をお聞きし、兄の事も、あの、お礼をと……」
もごもご言いながらウィルを見つめる彼女の頬は、うっすらと赤くなっていて可愛い…あれ?なんだかすごく目がきらきらしているような。潤んでいるのかしら?
アベルが疑われ、チェスターが城に留められていた件でのお礼をジェニーがつっかえながら言い、ウィルが謙遜したところで、私は彼の後ろからひょこりと顔を出した。
「ジェニー、こんにちは。私もお邪魔しているわ」
「はっ、シャロン様!また来てくださったのですね、ありがとうございます。」
ジェニーは私に笑いかけてくれたけれど、その視線はおどおどと彷徨ってから、またウィルへと吸い寄せられていった。
微笑みを浮かべるウィルが尋ねるように小首を傾げると、真っ赤になったジェニーが両手で口元を押さえて…
「ちょぉおおっといいですかウィルフレッド様!?」
いいですか、とは言いつつチェスターがウィルの腕を掴み、問答無用で部屋の外へ向かい始めた。
突然の事にウィルは目をぱちくりして、されるがままになっている。
「シャロンちゃん俺達ちょっと男同士の話があるから!!」
「えっ?あの…」
「エイダ、注いだら君も下がって。シャロンちゃん、ジェニーをよろしく!じゃあ!!」
ばたん!と閉じられた扉の向こうで、チェスターらしくない荒々しい足音が遠ざかっていく。
私は不思議に思いながら振り返り、ジェニーに一番近い椅子に座った。部屋に一人残った侍女――エイダさん?は落ち着いた様子で二人分の紅茶を注ぐと、一礼して部屋を後にする。
「えっと…ジェニー?」
私が声をかけると、ぼうっと空中を見ていたジェニーがはっとして肩を揺らした。
クリスやお父様より少し色の濃い銀の瞳がこちらを見て、頬が薔薇色に染まる。
「し、シャロン様…!ああ、どうしましょう私、変な顔をしていますか?」
「いいえ、とっても可愛い顔をしているわよ?」
思ったままを伝えると、ジェニーはますます顔を赤らめた。
さすがに心配になったので水差しからコップに水を移して、そっと差し出す。
「あ、ありがとうございます…。」
ジェニーは小さな声でお礼を言って、ゆっくりと水を飲んだ。少し顔の赤みが引いたみたい。
「驚きました、あんな…絵本や小説で見る王子様みたいな素敵な方が――あっいえ、王子様でした。」
あら?
「きらきらした真っ直ぐな御髪に、夏の空を映したような青い瞳…優しい笑顔、穏やかなお声が心地よくて……」
あらら…?
「わ、私をじっと見つめて、名前を呼んでくださって、は、花までくださって…!」
「……ジェニー、もしかして貴方…」
「ああっ、言わないでください!は、恥ずかしいですわ。」
「それって…」
恋じゃないのーーーーーーー!!!
サディアスはーーーーー!!!!?
――なんて叫んだりしないわ。私はアーチャー公爵家の長女、シャロン。
こほん、こほん。大丈夫、落ち着きましょう。
この蕩けっぷりを見るにサディアスの事は私の誤解だったのね。ごめんなさい、ジェニー。ちょっぴり勝手に盛り上がっていたわ、私。
「こ、この世で一番素敵な男性はお兄様だと、信じて疑わなかったのに……不思議ですね、シャロン様。なんというか、どちらが優れているとかではなくて、ただその、別種の…!」
「ふふっ、ウィルは素敵だものね。」
照れ照れしながら話すジェニーが可愛くて、頬が勝手に緩んでしまう。
ジェニーは弾かれたように顔を上げて私を見つめた。ちょっぴり吊り気味な目が涙で潤んでいる。
「シャロン様…も、もしかして、殿下とは…」
「えぇ、お友達よ!長い付き合いなの。同じ王子様でも、アベルとは数か月前が初めてだけれどね。」
私が微笑んで言うと、ジェニーは明らかにほっとした様子で息を吐いた。
そして小さな唇に人差し指をあてて、思い出すように部屋の天井を見つめる。
「アベル殿下……私も以前、一度だけお会いしました。突然の事だったので驚きましたわ。それに、お兄様がお仕えする方だと思うと、私、緊張してしまって。あまり笑わな、い方、でしたし…っこほ」
喋り過ぎたのだろう、ジェニーは小さな背中を丸めて少し咳き込んだ。
エイダが注いでくれた紅茶もあるけれど、こういう時はやはり水かしらと、私は改めてコップを差し出しながら背を擦る。
「…りがと、ござい…ます。ふぅ……。」
いったんお話は中断した方がいいかしらと思ったけれど、喉を落ち着けたジェニーは自分から続きを話してくれた。
「…そう、アベル殿下は、難しい顔をされてましたが……くださる言葉はお優しいものばかりでした。殿下がお帰りになられた後、お兄様ったら、自分はあの人に仕えられて幸せだな、なんて仰っていたのです。」
「チェスターがそんな事を…」
「ふふ、今のは内緒でお願いしますわ。」
「もちろんよ。」
ゲームでもチェスターとアベルの信頼関係を思わせる描写があったけれど、二人に会って、こうしてジェニーからも話を聞いていると、強く実感する。
――それでもチェスターは、ジェニーのためにウィルを殺した。
アベルへの明確な裏切りだとわかっていても。
自分の命を差し出す覚悟をしても、この子を生かそうとした。
……私は、彼がそんな二択を迫られずに済むようにしたい。
今できる事を。少しでも情報を。
ゲームでは回想でしか存在しなかった、ジェニーの事を。
「そうだ、この前言っていた画集を持ってきたの。」
「本当ですか!」
私は鞄を開けて画集を取り出し、重くないかとジェニーに確認してから、布団の上に置く。
ジェニーは表紙に触れ、じっくりと眺めてから開いた。
「本当に…とても、細やかな描き方ですね。私が今、女神様の御前に立っているみたい。」
「そうでしょう。是非見てもらいたいと思って。」
「ありがとうございます。私…外に出られなくなってしまいましたし、こんなにたくさん女神様の像があっても…とても見に行けないですから。」
嬉しそうに、けれどとても悲しそうに、ジェニーは画集のページを撫でる。
剣を手に凛と前を見据えて立つ、騎士服を着た月の女神様。
その斜め後ろで祈るように手を組み両膝をついている、ローブを着た太陽の女神様。
過去に実在したという二人の女性。
女神像は必ずお二人をセットで造られていて、一人だけの物は無いと言われている。
どれほど暗い夜も、月の女神様の剣が放つ光は進むべき道を照らし、切り開き。
どれほど暗い世も、太陽の女神様の治癒の光は人々の心まで照らし、癒した。
だからこそ騎士達は月の女神様へ特に敬意を払い、怪我や病に悩む人々は太陽の女神様に祈りを捧げる。
「ジェニーも、太陽の女神様にお祈りをしているのよね。」
前回来た時にそう言っていたはずだ。
ジェニーは力のない笑顔で頷いた。
「はい、毎日欠かさず…。病気になったばかりの頃は、月の女神様にもお祈りしていました。」
「月の女神様に?」
「どちらにお祈りしたらいい事なのかわからなくて、お二人ともにお願いしていたのです。……お兄様が、私を置いていかないようにと。」
そこから、ジェニーはぽつぽつと話してくれた。
チェスターの笑顔が大好きだということ。アベルの従者に決まって嬉しかったけど、城に泊まる事もあるかもと聞いて寂しかったこと。不安だったこと。
ただ、実際にはその頃に発病したため、チェスターが城に泊まる事はほとんどなかったらしい。
「お父様もお母様も、私のために随分お金を使いました。お兄様の時間もです。……皆、私のせいなのです。私のせいなのに、私は…無理して笑っているお兄様に、笑い返す事しかできません。」
彼女の家族も使用人もいないこの部屋で、私はその言葉をただ聞いていた。
これを聞けばチェスターやご両親は、ジェニーを慰め励ますのだろう。貴女のせいではないと。
「このまま治らなかったら…お兄様は私を置いて学園へ行ってしまわれます。もっと具合が悪くなったら…私は起き上がれず、お喋りもできないのでしょう。そうしていずれは一人で…」
「ジェニー」
どんどん顔色を悪くしていく彼女の腕に触れ、名前を呼ぶ。
悪い想像に引っ張られて、そのままどこかへ意識を飛ばしてしまいそうだったから。ジェニーは私を見てから、悲しそうに目を伏せる。
「…つまらない話をしてごめんなさい、シャロン様。」
「大丈夫よ、不安を抱えていたのでしょう?話してくれて嬉しいわ」
本当にそう思っていると伝えたくて、強すぎないよう気を付けながら、ジェニーの腕に添えた手に力をこめる。灰色の瞳が涙で潤んだ。
「ご家族に言えず苦しい事があるのなら…もし私でよければ話を聞くわ。内緒の事を勝手に言ったりはしないから。」
「……ありがとうございます、シャロン様。も、少しだけ…弱音を吐いても、いい…でしょうか。」
「もちろんよ。ゆっくりで大丈夫」
少しだけしゃくり上げるジェニーの背を、そっと撫でた。
「一人になると…いつも考えてしまうのです。このままどんどん病気が重くなって、動けなくなって、死んでしまうのかしらって……そう思ったら…頭がずんと重くて、眩暈がして…不安でしょうがなくて、怖くて、泣いてしまう自分の弱さが、また…嫌、で……」
ぽろぽろと涙を流す小さな女の子。
背中に添えた手のひらに彼女の嗚咽を感じながら、私は――……
『その子は、何を思っているのかな。』
私は、とんでもない事を考えてしまった。




