60.いつか貴方を殺すもの
きちんと手入れされた庭に、直径十五センチほどの丸太を支柱とした的が三つ並んでいる。
壁際ではメリルやチェルシー達が「あちゃー」とばかり、こめかみに手をあてていた。
着替えやテーブルセットの準備にばかり気を取られてしまっていたわね……。
そもそも、私が鍛錬している事を知っている彼らに、隠す必要など元からないかもしれないけれど。
「あれは魔法の練習に使っているの。」
「へぇ!そうなんだ。どんな感じ?おにーさんに見せてごらん。」
「えっ…」
一瞬躊躇ってしまった。
ウィルも、チェスターもサディアスも…皆は知らないけどアベルも、私よりずっと前から魔法を使っている。
そんな皆の前でやるのはちょっとだけ恥ずかしさがあった。でも練習を見てもらえるならきっと、上達の近道だわ。
「シャロン、もし疲れていたら無理しなくて大丈夫だよ。」
「ありがとう、ウィル。大丈夫よ。ちょうど悩んでいた事もあったし」
私は立ち上がって、皆のいるティーテーブルから少し離れる。
視線が集まっているような気がするけど、集中しないと。落ち着いて、深呼吸。
「…宣言。水よ、この手に。」
軽く掲げた右手の先に水がぶくぶくと現れる。私は三つ並んだ的のうち真ん中に狙いを定め、
「あの的へ飛んで!」
空気を切るように素早く腕を振る。
水の塊は、ひゅーんと飛んで的にぱちゃりとあたった。
チェスターが「おー!」と笑って、ウィルと一緒に拍手してくれる。
アベルとサディアスも的の方を見ているから、私の魔法を見守ってくれてはいたのでしょうけど。
特に反応もなく静かだわ……いえ、ここであの二人が笑顔で拍手していたら、それはそれでとても怖い。
「狙い通りじゃん!悩みごとっていうのは?」
「今見てもらった通り、私の魔法は勢いがないの。遅いというか…」
このままではきっと攻撃には使えない。
脅かすだけに留めるにしろ、スピードと威力は必要だと思う。へろへろの水がぱちゃんと落ちたところで、悪い人が逃げてくれるわけないものね。
「急いで、とか、早く、と言ってみても上手くいかなくて。どうしてかしら。」
「シャロンは優しいからなぁ。」
ウィルが苦笑して言うものだから、私は首を傾げてしまった。優しさの話なのかしら?
口元に笑みを浮かべてこちらをじっと見ていたチェスターが、おもむろに立ち上がって歩いてくる。
「じゃーお手本でもお見せしよっかな。」
「いいの?」
「もっちろん。可愛い女の子のためならお安い御用☆」
ぱちんとウインクするチェスターに、感謝を込めて拍手を送る。
私はわくわくしながら自分の席に戻った。邪魔になってはいけないものね。チェスターは最適が私と同じ水だから、見せてもらえるのはありがたい。
「ちなみに、あの的は壊していいのかな?」
「えっ?」
水で、あれを壊す?
「構わないけれど……」
「そっか。おっけー」
チェスターはへらっと笑って的に向き直る。どうするのか想像がつかなくて少し首を傾げていると、アベルが呟く声が聞こえた。
「君に足りないのはそれだよ。」
どういう事か聞き返そうかと思って、けれどチェスターが口を開いたのを見て、彼に集中する。
「宣言、水を矢に。」
チェスターの横、彼の頭より少し高い位置に水が現れる。
するりと太い一本の矢を模ったそれは、真っ直ぐに的の方を向いている。チェスターは笑顔で的を指差した。
「放てー!」
明るい掛け声と裏腹に、音もなく放たれた水の矢は恐ろしいまでの勢いで空中を飛び、見事に左の的を撃ち砕いた。
円盤状だった的がパラパラと落ちて、後には支柱にした丸太だけが残る。
呆気に取られる私の横で、クリスが「すごーい!」と喜んでいる。
「どうかな?」
「…すごいわ。あんなに速く、強く打ち出せるものなのね。」
「そうだよ。攻撃としての魔法って、普通に暮らしてるとまず見ないからさ、イメージつきにくいよね。」
私は曖昧に頷き返した。
ゲームではエフェクトくらいだったので、確かに見てはいない。でも私は皆の宣言とヒロインの状況説明とで知ってはいたのだ、水や火に武器としての形状を取らせる事を。
ただ、自分の魔法でそれを試した事はなかった。
「次はサディアス君どうぞ~。」
こちらに戻りながらチェスターが笑いかけると、サディアスが思いきり顔をしかめる。
「なぜ私がそんな事をしなければならないんです。」
「あ、できないならいいよ。」
「は?」
「じゃあ次は~、ウィルフレッ…」
サディアスが黙って立ち上がり、にまにましているチェスターを睨みつけながら位置を代わった。
こうして見ると、チェスターってサディアスの扱いが上手いのかもしれないわね。
彼の機嫌を代償にしているけれど…。
ウィルが「あんまりいじめないでやってくれ」という目でチェスターを見て、チェスターは「ごめんね」と片手を顔の前にやった。
二人とも声には出していない。聞かれたらまた怒っちゃうものね。
サディアスはさっさと済ませたいとばかり、チェスターが立っていた位置につくなり的を見据えた。
「宣言。火槍」
一瞬で槍を模った火が現れる。
私は思わず息を呑んだけれど、ほんの僅かだったし、皆彼を見ているから気付かれてはいないはず。
サディアスは号令でもかけるように手を前へ出した。
「打ち砕け。」
ボッ、と炎の音をこちらへ残して、火槍は右の的を貫く。
「宣言。水よ消せ」
割れた的は燃えながら地面に落下する途中で、支柱ごとザパンと水に飲まれた。
この距離でもあそこに直接魔法を発動させられるのね。
「ひゅ~!さっすがサディアス君!」
「さすが!」
囃し立てるチェスターの明るいノリが気に入ったのか、クリスが復唱して手を振っている。
サディアスはチェスターをじろりと睨みつけてから戻ってきた。ぱちりと目が合って、私は微笑みかける。
「見せてくれてありがとう、サディアス。とても鮮やかだったわ」
「あの程度、どうという事はありません。」
つんとそっぽを向かれてしまった…。
伯爵邸で見た威力を思えば、確かに彼にとっては「あの程度」なのだろう。
――サディアスが生み出す、火の槍。
もう消えたのに、私の心臓はドキドキと音を立てていた。
彷徨った視線はアベルを見てしまって、たまたまなのか気付いたのか、金色の瞳が私を見る。つい目をそらした私を、一瞬目を見開いてしまっただろう私を、どう思ったかはわからない。
「じゃあウィルフレッド様、どうぞ!」
「やっぱり俺もなんだな…」
さっき名前を呼ばれかけたからわかっていたんだろう、ウィルが苦笑して立ち上がった。同じ位置へと歩く背中を眺めながら、私はそっと自分の胸を押さえる。
サディアスの槍は、ウィルのルートでだけ…
アベルを一撃で殺してしまう。
……大丈夫よ、私。落ち着いて。
それはまだまだ先の話。
学園生活の一年目が終わりに近付く頃のことだし、何より、
【 シャロンが治癒の魔法をかけながら、「治して、お願い」「どうして」と泣いている。 】
【 アベルは何か呟いたみたいだけど、力のない声は私まで届かなかった。 】
【 そして、どうしてか彼は微笑み、目を閉じる。 】
【 私は呆然と座り込んだまま、その光景を見ている事しかできなかった。 】
――アベルが死ぬ現場には、私もいるはずなのだから。
「二人が水と火だったから、俺は風かな。」
ウィルはそう言うと、まだ無事に残っている真ん中の的を指差した。
「宣言。風よ狙い撃て、吹き飛ばせ!」
ごう、と強く吹いた風の音。
自然とテーブルの近くにも風が流れて髪を揺らした。的はバキリと音を立てて木の棒から外れ、地面に落ちる。
「お~、最適じゃないのにお見事ですね。」
「ありがとう、チェスター。でも、君だってできるだろう?」
「あはは。どうですかね」
へらりとかわすチェスターに苦笑を返して、ウィルは私の隣に戻ってきた。
そして一瞬、アベルと微笑み合った事がわかって、つい口元が緩む私を青い瞳が見つけてしまう。ウィルは照れたようにはにかんだ。
「上級では風を刃として打ち出せるみたいだけどね。俺はそこまでいけてないんだ」
「充分すごいと思うわ。最適じゃない属性は、細かなコントロールが難しいと聞くもの。」
特に風は目に見えない分イメージしづらいとされているし、局所的な狙いをつけるのも難しそうだ。
私は風を生み出せたとして、的に吹き付けるくらいしかできなさそう。結果がイメージができていない時点で発動の可能性はとても低い…。
そうだ、私は「水を生み出して、的まで到達させる」結果をイメージしていた。
辿り着けばいいならスピードはそこまでいらないし、的にダメージが入るほどの勢いなんて考えもしなかった。私に的を傷つける気はなかったのだから。でもスピードをつけたいなら勢い…威力が増すのは当然だわ。
的を壊す…までいかなくても、的に強くあてるくらいの事はイメージするべきだったかもしれない。
「みんなすごいねぇ!」
自省していたところに、クリスがパチパチと拍手する音が聞こえる。
私以外の魔法を立て続けに見るなんて初めてだから興奮しているのだろう、銀色の瞳がきらきらと輝いて、アベルの方を向いた。
「おうじさまは?」
その瞬間、周囲がシン…と静まった。
アベルは魔法が使えない(事になってる)のだ。壁際に並び立つ侍女達の中に少し青ざめている人がいるのは、クリスの失言にアベルがどう反応するか恐れているからだろう。
私はクリスに何と言ったものか迷いながら、柔らかな銀髪をするりと撫でる。
魔法が使えないの、とは本人を前に私が言う事じゃないし、的は三つとも壊れてしまったし…。
「んー、なんかやってあげたら?アベル様。」
意外にも気楽な口調で言い出して、チェスターはクッキーを手に取った。「なんか」とはまた投げやりな、とは思うけれど、期待に満ち溢れたクリスの笑顔は眩し過ぎる。私もチェスターに賛成だわ…。
でも最終的にはアベルの意思でしかない。
申し訳なさとお願いしたい気持ちとを込めてアベルを見つめると、彼は小さく息を吐いてクリスを見た。
「……僕は魔法が使えない。他の事でもいい?」
「うん!」
「い、いいのですか、アベル様。こんな余興のような真似を…」
サディアスが動揺した様子で聞く。
信じがたいといった顔だけど、水色の瞳がきらきらしていてとても綺麗。「見せてもらえるんですか」とでも言いそうな…いえ、きっとそう言っているのね、これは。
学園での授業がない今、サディアスがアベルの実力を見られる時ってあまりないのかもしれない。
「構わない。」
アベルは短く答えて立ち上がった。
皆が魔法を使ったのと同じ位置まで歩くと、こちらに見せるように左手を持ち上げる。
いつどこから出したかわからないけれど、三本のナイフが握られている。サバイバルナイフみたいなものとは違って細身なので、もしかして投げナイフかしら?
クリスがうんうんと頷いたのを見てから、アベルはナイフを一本右手に持ちかえ、的に目を向ける。
手首の振りだけで、一本目。
左の的の支柱にストンと刺さる。あの、十メートルくらいあるのだけれど…。
続けて少し強めに振り、二本目。
右の的の支柱から鈍い音がする。首の角度を変えても刃の反射が見えないけれど、まさか柄まで刺さったのかしら。
そして最後、ぐっと肘を曲げてから――放つ。
前の二本と違って刃が水平になるよう投げられたらしいそれは、支柱を深々と突き砕いた。
横に入った亀裂に沿って支柱が上下に分かれていき、バキリと音を立てて割れ落ちる。
再びシン…と静寂が落ちた。
当然だと思う。ちょっとやり過ぎよ、アベル。
沈黙を破ったのはクリスの拍手だ。
「すごーい!おうじさま、つよい!」
きゃっきゃと喜んでいるのはいいのだけれど、メリルを始めとして侍女達は唖然としている。
ウィルもぽかんとしているし、チェスターは「あらー…」なんて呟いているわ。サディアスは眼鏡を外して目頭を押さえている。
「ぼくもね、おうじさまくらいつよくなるね!」
席に戻ってきたアベルにクリスがにこにこと話しかける。
ウィルやチェスターが「あー、それは」「えっと」なんて言い淀んでいたけれど、夢を見るのは自由だわ。私は後押しするように弟の背中を撫でるのだった。




