59.おうじさまはとなり
なぜそうなったのか全くわからないけれど、とにかく我が家に王子殿下二人とその従者が勢揃いする事になってしまった。
私とクリスが着替え終え、ティーテーブルの上が一新された頃に彼らはやって来た。
何か公式な場でも設けられたのか、サディアスやチェスターまで帯剣している。
着ている服も仕立てからして普段着ではないけれど、上着は脱いでいるしアベルとチェスターは襟元を寛げているしで、「終わりました」感がすごい。
我が家は打ち上げ会場にでも選ばれたのかしら…?
ウィルとアベルが着ているベストはグレーに銀糸の刺繍が施された揃いのもので、サディアスは紺色。
チェスターは紅色で、シャツの袖を肘近くまで捲っていた。
「突然ごめんね、シャロン。」
疲れた様子のウィルが苦笑いで言う。
その横のアベルもちょっと不機嫌さが滲み出ていた。
「やっほー、シャロンちゃん。俺が行くって行ったら皆来ちゃったんだよねぇ。」
そう言いながら軽やかに私の手を取ったチェスターは、今回は跪かず、そのまま口元へ手を――
「チェスター。」
咎めるように呼ばれて、唇が触れる前にチェスターは止まった。
ふ、と笑った吐息が私の指を掠める。
「御意に、アベル様。」
手を離したチェスターは、ウィルとサディアスを振り返って笑った。
「あらら、ウィルフレッド様ってば顔が赤いなぁ。可愛い女の子へのご挨拶ですよ?」
「ご、ご挨拶でそこまでしないだろう…。」
「…もう少し立場を弁えて行動したらどうなのです。」
短くため息をついたサディアスが、咎めるような目で私を見やる。
「貴女も、されるがままになってどうするのですか。」
「でも、手を振り払うのも失礼だわ。」
「アレの手など振り払えばいいんです。」
アレって……。
テーブルのほうへ皆を誘導しながら、私は口を開く。
「ティータイムにしては遅いから迷ったのだけれど、お菓子はいらないかしら?」
「あー、むしろあった方が嬉しいかも。俺とサディアス君は横に立ってただけだし…」
「俺とアベルもろくに手をつけられなかったんだ。…食べる気が失せてしまった。」
ウィルがものすごく疲れた顔でこめかみに手をあてた。話しぶりからすると、やっぱりもうティータイムを過ごしてきたようだけど、食べる気が失せるって、いったい何があったのかしら…。
ひとまずお菓子は下げなくていいみたい。私は侍女達に目配せして頷いた。
「…ところで、今日は皆、不思議な香りがするわね。」
軽く聞いただけの言葉に四人全員がピタリと足を止めた。そんな反応をされるとこちらが驚いてしまう。
チェスターが笑みを引き攣らせて首を傾げた。
「シャロンちゃん…ちなみに、どんな?気になるレベル?」
「微かにだから気にはならないわ。甘い匂いが…うーん、混ざったような…?」
少し香るだけだから、会話に集中したら気付かないくらいだと思う。
そう付け加えると、皆はほっと息を吐き出した。
アベルは思い出したものを消し去るかのように、軽く頭を横に振る。
「ちょっと、香水を付けすぎた方に会ってね。」
「あぁ、そうだったのね。えぇと…お疲れ様、皆。」
香りが移る心配をする程だから、かなりのものだったのでしょう。励ますように言って、私は四人をティーテーブルへ案内した。
テーブルの横では、待ちかねた様子のクリスがにっこりと笑って皆を迎えている。サディアスとチェスターは初対面のはずね。
「弟のクリスよ。さ、ご挨拶を。」
「クリス・アーチャーともうします!」
「初めまして、クリス君。」
チェスターはぺこりと頭を下げたクリスの前に屈み、柔らかく微笑んで手を差し出した。
「俺はチェスター・オークス。よろしくね。」
「よろしくおねがいします!でも、あんまりあねうえにさわらないでください。」
「あれ、そっか。さっきの見てたんだね。あはは…ごめんごめん。」
クリスがそんな事を言うなんて驚いたけれど、声も表情も全然怒った様子はないから、手を繋いでずるい、くらいの話かしら?後でめいっぱい甘やかさなくては。
握手を終えたチェスターが、苦笑いでサディアスを振り返る。
「はは。注意されちゃった」
「自業自得でしょう。…私はサディアス・ニクソンと申します。」
「はい!よろしくおねがいします。」
「……よろしくお願いします。」
子供相手にどう接したらいいかわからない、という様子で、サディアスは眉間に小さな皺を刻んで目をそらした。
クリスはそんな彼を気にした様子もなくウィルに手を振っている。
「バーナビー!ちがった、ウィルはね、あねうえのとなりにすわってもいいよ!」
「はは、ありがとう。光栄だよ」
「もう、クリス。」
私は弟の肩に手を置き、第一王子殿下なのよ、と窘める。いくら本人が許してくれているとはいえ、さすがに許可を出すような言い方は控えさせなくては。
席順は私の左右にウィルとクリスが座るのだけれど、アベルがウィルの隣の椅子に手をかけると、クリスは慌てて声をかけた。
「おうじさまはこっち!」
クリスの言葉に、アベルが不思議そうに銀の瞳を見返す。小さな手が指しているのはクリスの隣の席だ。
「あれ、アベル様。いつの間に外堀埋めたの?行動が早いんだから~。」
「知らない。」
にやにやするチェスターに素っ気なく返しつつ、アベルはクリスが勧める席に座ってくれた。
後は従者であるサディアスがウィルの隣に、チェスターがアベルの隣に座って、皆で丸いテーブルを囲む。早速紅茶が注がれていった。
「そっか、クリスもアベルに会っていたんだね。」
「直接はついこの間よ。レオと……えぇと、私と剣の手合わせをしてくれる子がいるんだけれど、その子とアベルが手合わせしたところを見て、クリスったらすっかり憧れてしまったみたいで。」
「あぁ、なるほど。無理もないな」
スコーンをお皿に取りながら、ウィルが穏やかな微笑みを浮かべる。アベルが来ただけで睨みつけていたあの頃とは随分変わったみたい。
私がついじっと見つめていると、青い瞳がこちらを向いた。
「ん…どうしたの、シャロン。」
「ふふ。とても優しい目をしているなぁと思っただけよ。」
「そ、そうかな…?」
少し照れ気味に目をそらすウィルを可愛いと思ってしまいながら、私はその隣のサディアスに目をうつした。
透き通った水色の瞳はクリスに注がれている。
「サディアス?」
「……アベル様に憧れ、と聞いたもので。」
シュガーポットを手に取りながら、サディアスは冷ややかな声で言う。
「今はまだ、その恐ろしさがわからないからこそ、なのでしょうね。公爵家の跡取りが問題行動など起こしては周りの迷惑ですから、彼が影響を受け過ぎないよう祈っておきます。…常人が真似して歩める道ではありませんからね。」
「サディアス。」
ウィルはスコーンにクリームとジャムを塗りながら咎めるように彼を呼んだけど、サディアスはすまし顔だ。
ウィルはやれやれと言うように小さく息を吐いてからスコーンを口に入れる。
常人に真似できない道を歩む凄い方だ、という所はウィルには伝わっていないみたい。
サディアスも、もう少しわかりやすい言い回しができればいいのだけれど…。
わかっているのかいないのか、アベルとチェスターは今の発言を気にした様子もない。
「俺としては、シャロンちゃんが剣の手合わせしてるって方が興味津々だけどねぇ。そのレオって子は男でしょ?ベインズ殿が連れてきたのかな。」
「えぇ、彼は騎士を目指していて…」
あら?そういえば、レオとレナルド先生ってどういう経緯の知り合いなのかしら。
そこは聞いた事がなかったかもしれない。
「下町で会った子だよね?バンダナを巻いていた。」
「そうよ。」
ウィルの言葉に頷くと、チェスターとサディアスが目を丸くした。
二人とも、下町での出来事は聞いてなかったみたいね。ウィルが簡単に説明を始める。
……それにしても、皆いつも以上に身だしなみを整えているから、(クリスも入れて)五人のキラキラ具合がすごい。約二名は着崩しているけれど、それがまた似合うのよね。
前世では、顔面偏差値が高い…なんて言い方があったけれど、まさにそんな感じだわ。将来たくさんの女の子を泣かせていそう。
彼らと仲良くなるカレンは庶民の生まれだから、貴族子女からのやっかみは避けて通れない。
学園では私がしっかりしなくてはね。シャロンが庇うイベントもあるのだから。
そんな事を考えている間に、ウィルの説明は終わったようだ。チェスターが楽しそうに口元を緩めている。
「そんな事があったんだねぇ。それじゃ、お二人が通りかかったのはその子にとってラッキーでしたね。」
「普通の学園に行くつもりだったようだけど、補助金を使って王立学園に来てはどうかと勧めたんだ。ご両親の意見もあるだろうから、学園で会えるかはまだわからないけどね。」
「距離がありますからね。ま~女の子が増えるなら俺は大歓迎☆」
チェスターが軽い調子で言った。
軽く顎に手をあてて話を聞いていたサディアスは、ウィルに問いかける。
「風の魔法を発動させたとの事ですが、その彼女に暴走の危険はなかったのですか。」
「恐らく問題ないよ。」
ウィルが言うより先にアベルが答えたものだから、サディアスがびくりと肩を揺らした。
水色の瞳をまんまるにして驚いている。
「咄嗟の状況でありながら、相手が怪我をしない程度の使い方だった。」
「そ、うですか…いえ、危険がないようならいいのです。万一、後に何かあって、そこで対策しなかった責を…問われたらと。」
冷静にスラスラ喋っていた貴方はどこへ行ったのか、サディアスはもごもごと小声になりながら返した。
私より長い付き合いでしょうに、まだアベルと直接話す事に慣れていないのかしら。
暴走というのは、自分が「魔法を使おう」と意識していないのに発動してしまうこと、特に人や物に被害を及ぼすことを指す。
魔法を使う事に慣れてない時――つまり子供が起こす事が多いみたい。
そういう時は魔力を封じる力のあるアクセサリーを身に着け、使い方を学ぶ時だけ外して、徐々にコントロールを覚えていくのだけれど。
カレンなら大丈夫だと私も思う。
「俺は魔力鑑定の欠席に驚いたよ。身寄りのない子供が、致し方ない無知ゆえに受けられない事があるとは聞いていたけれど…彼女の場合は違う。」
ウィルが少し眉尻を下げて言う。
七歳で受ける魔力鑑定は、貴族は教会にお金を払って誕生日当日に行う事が多いけれど、庶民の子供達は「今月誕生日を迎える子供」を月に一度無料で鑑定してもらえるから、そこで確認するのが普通だ。
たしか、本当はカレンもちゃんと教会に向かったのだけれど、待ち構えていたいじめっ子達から「お前に魔力があるわけない」「行っても無駄」と言われて、茂みに隠れて泣いてからそのまま家に帰ってしまったのよね。
共働きで同行できなかったご両親には正直に言えなくて、魔力はなかったと言ってしまった。
「自覚のあるなしは大きい。できる限り全員に受けさせたいけどね。魔力のない方が良いと言って受けさせない親までいる」
アベルはそう言うと、くだらないとばかりにため息をついた。
そして、クリスがちらちら見ていた少し遠めの大皿を取って差し出す。クリスがぱぁあと顔を輝かせてお礼を言った。
姉上も貴方のために取ろうと手を伸ばしかけていたのだけれど、一瞬遅かったわね…。
「あー、魔法は邪悪ってヤツ?まだそんな考えの人いるんだ。怖いねぇ」
チェスターが肩をすくめる。
もちろん、鑑定を受けても受けなくても、魔力のあるなしは変わらない。
無いと決めつけて、もし暴走が起きたらどうするのか…。
「…ところでシャロンちゃん、さっきから気になってたんだけど……あれ何?」
そう言って、チェスターは庭に突き立てられた三本の的を指した。
…抜いて片しておくべきだったわ!




