57.ヘデラ王国第一王女
「チェスター様」
「ん…」
肩を揺すられて眉を顰める。
なんか固いな、と思いながら顔を上げれば、見慣れた自室の机が目に入った。腕を置いて突っ伏して寝てたらしい。
「朝でございます。…夜更かしをされたのですね。」
責めるようなエイダの声に「ごめんごめん」と返して、俺は欠伸を噛み殺した。
いつの間に寝てたんだろ。窓を見ると、閉じたカーテンの隙間からは確かに朝日が漏れていた。
ゆっくり肩を回してから腕を、背中を伸ばしてみる。パキポキと面白いくらいに音が鳴った。あれ?まだピチピチの十五歳のはずなんだけど。
「根を詰めるのは程々になさってください。」
「んー、気をつけるよ。」
開きっぱなしだった本に栞を挟んで閉じ、書き途中のノートを見て苦笑いする。
我ながら最後らへんの文字がひどい。
「十分だけでもベッドで寝られては?」
「…あー、それいいね。じゃあまた後で」
「畏まりました。」
エイダが廊下へ出て、扉が閉まる。
俺は本を持ってベッドに寝転がり、栞のページを開いた。
「宣言、光よ。ほのかに照らせ」
小声で魔法を発動させる。
灯火のような薄い光の玉が浮かび、枕元を照らしてくれる。これで読書に問題ない。火と違って燃える心配もないしね!
ガチャッ
「チェスター様、私は寝ましょうと申したのです。」
「…か、勝手にドアを開けるのはナシでしょ…」
問答無用で本を取り上げられてしまった。
うーん、あと五分くらいで丁度いいとこまで読めると思ったんだけどな。
ちょっとだけベッドで寝て、確かに少しだけ身体が楽になった気がする。
今日着る服を持ってきてくれたエイダは、俺を見たまま自分の目を指した。
「目の下に隈がございます。」
「え、ほん…とだね。最悪だな」
鏡を見たら本当だった。
今日は珍しく第二王子の従者として仕事があるから、弱くは見せられないんだけど。これくらいの薄さならなんとかなるか。
「化粧でごまかせる?」
「お任せ下さい。…夜更かしをされるからですよ。」
「はは…」
苦笑いしか返せないや。
一応、昨日はちゃんと寝るつもりだったんだけどねぇ。
正装に袖を通して、帯剣ベルトをつけて…と。赤茶の髪は左右一つずつ編み込みを作り、襟足で一つに結ってもらう。
いつもより早い朝食を済ませて馬車に乗った。
ジェニーはまだ寝てるけど、朝から出掛ける事は伝えてあるから大丈夫だろう。
◇
今日は隣国の一つであるヘデラ王国から第一王女殿下がやって来る。
この国を経由して反対側の国に行く途中だそうで、単に挨拶のようなものらしい。「できれば王子殿下と娘を会わせてやってほしい」と向こうの国王から手紙があり、ツイーディア王国としては、二人ともを揃えたわけだった。
頑として拒む理由もないしね。お姫様に会える機会なんてあんまないし、俺もそれなりに楽しみにしてた。
朝から今日以外の事も含めて色んな打ち合わせを終えると、もうティータイムまであとわずか。王女殿下を待つべく応接室の一つに待機する。
二人の王子とその従者、護衛騎士勢揃いなんだけど……リビーさんだけは「偵察してきます」と姿を消してしまった。相変わらずだ。
それは別にいいんだけど、リビーさんとロイさん、同じペンダントしてるよね。
え、そういう事?いつの間に?俺聞いてないんですけど。
皆無反応って事は、付け始めてから割と経ってんのかな。う~んめっちゃ気になる…。
「ロズリーヌ第一王女殿下は美食家という話だったから、とりあえずそれなりの物を用意させた。どうかな、アベル。」
「いいんじゃないの。量はもう少し減らしてもよかった気がするけど…種類の問題になるか。」
「そうなんだ。どれか抜くかと言われると、どれも食べてみて頂きたくてね。」
「であればこのままでいこう。街での買い物にこちらの案内は不要という事だから、終わり次第…」
なーんか、王子様達の仲が改善してるな。
やっぱあの事件のお陰かね。俺もちょっと見直したよ、ウィルフレッド様。バルコニーや図書館から飛び出して行く貴方をちょっと見てみたかった。
今日はウィルフレッド様が白地、アベル様が黒地で、装飾には金色が使われたジュストコールを着ている。
式典とかだと青を基調に仕立てられてるけど、今日はそういうのじゃないから、いつものお二人さんって感じだね。城での普段着よりは手の込んだものになってるけど。
黙って控えてるサディアス君は俺と同じで正装。
剣を持ってるのが珍しくてつい眺めてたら睨まれてしまった。笑い返すと眉間の皺が深まる。十四歳からそれで大丈夫なのかな。
なんて思ってたら、ノックの音がしてリビーさんが飛び込んできた。
「窓を、窓をお開け下さい!」
「どうした。」
「何かあるのかい?」
アベル様が眉を顰め、ウィルフレッド様は目を丸くしている。
護衛騎士達が速やかにカーテンを開け、外の様子を確認してリビーさんに視線を戻す。外に何かあるわけではないらしい。
リビーさんは苦しげに目を歪めて言った。
「その…かの方は、恐らく…香水をかぶっておられます。」
ヴィクターさんとロイさんが無言で窓を開け放った。
香水つけすぎちゃう子かー。結構キツいんだよね、わかるわかる。ウィルフレッド様とアベル様が苦虫を嚙み潰したような顔になってて、ちょっと面白いね。
「…ウィル。美食家じゃなかったの。」
「俺は、そう聞いたんだけど……。」
「セシリア、いいか。お前は何も喋るな。何があってもだ。いいな、いいな!?」
「どうしたんだヴィクター、さすがの私も王族の会話に口を挟んだりしないぞ?」
ヴィクターさんがセシリアさんの両肩を掴んで揺すっている。確かに下手に素直な一言を言われたらお終いかもしれない。
熱い紅茶を注ぐために壁際で待機している侍女達が、何かを覚悟したように互いに目配せして頷き合う。
それから数分後、その人は来た。
プラチナブロンドの長髪を縦巻きにし、十二歳には合わないだろう真っ赤な口紅が塗られた唇は、乾燥のせいか皺がいくつも入っている。
キリリと太まし…凛々しい眉、ウィルフレッド様よりは薄い青色の瞳。目尻に引かれた真っ赤なアイラインは、手で触ったのか擦れている。
ドレスは黒地に赤やオレンジ、黄色などの薔薇の花が大きく刺繍されてて。あと横幅がうちの王子様二人を並べても足りないくらいある。
うん、美味しいものを美味しく食べられるのは良い事だよ。
そしてリビーさんが言っていた通りの強烈な香り。
たぶん香水を何種類も重ね付けしちゃってるかな、これは。それも全部つけすぎレベルで。
ヴィクターさんが一瞬ぐっと吐き気がこみ上げたような顔をしたけど耐えきった。さすがだなー。セシリアさんは笑顔…というより口呼吸に変えたっぽい。
王子二人とリビーさん、ロイさんは顔色一つ変えない。サディアス君はめちゃくちゃ顔色悪いけど意地でも無表情で通す気だね。笑う余裕はないっぽい。
俺?多少は耐性あるからなんとか笑えるかなー、ははは。…うっぷ。
「ヘデラ王国第一王女、ロズリーヌ・ゾエ・バルニエですわ。金髪の貴方がウィルフレッド様ね?」
わぉ、金髪の貴方?他国の、それもツイーディア王子に?
ウィルフレッド様は一瞬止まったけど、にこやかに微笑んでみせた。
「えぇ、初めまして。ウィルフレッド・バーナビー・レヴァ」
「それでこちらの黒いのがアベル様でしょう?」
遮ったよ!?
第一王子の名乗りを遮ったよこの人!勘弁してよ、うちの王子様はウィルフレッド様に無礼を働く人が一番嫌いなの。
しかも「黒いの」って。お姫様、目の前の人が誰かわかってる?笑顔が明らかに怒ってるの、気付いてる?
「……アベル・クラーク・レヴァインと申します。この度は」
「二人ともそれなりの顔ね!合格にして差し上げてもよろしくてよ?」
わーお、空気が悪すぎて俺死んじゃうかも。
侍女達は蒼白な顔で、一人二人は口元に手をかざしていた。匂いは耐えられても、目の前でアベル様に無礼を働かれた恐怖に耐えられなかったんだろう。
うちの国で、相手が第二王子と知ってこんな態度とる人はいないもんね。よほどの命知らずじゃない限りは。
敢えて数秒の間をおいてから、アベル様は言葉を続けた。
「…この度は、留学前の視察に行かれるとのこと。我が国で羽を伸ばして頂き、ロベリア王国への」
「まぁ、まあ!わたくしに羽が見えるだなんて、アベル様は純粋でいらっしゃるのね。あいにくと、天使ではなく人でしてよ?」
ロズリーヌ殿下は機嫌良さそうにウインクらしきものをした。
アベル様、微笑みを浮かべたままでいられる貴方を偉いと思うよ。そしてその笑顔の圧に耐えられる人はそんなにいないと思うけど、この王女様、すごいね。気付いてないね。
やばいのが来たなって全員の顔が言ってる。
向こうのお付きの人達は皆俺達と目を合わせないようにしてるし、態度がやばい自覚は(臣下には)あるんだろう。
アベル様が目を細めて尋ねる。
「ところで先程、合格とおっしゃいましたが。」
「もちろん、わたくしの婚約者候補として、ですわ。」
「姫様!それは内密にと…」
「あら。わたくしの婚約者になれるかもしれないのよ?ちゃんと知った上でないと、彼らだってアピールへの熱の入りが変わるでしょう?」
向こうの従者が頭を抱えている。
たぶん、今日は本当に挨拶だけで後々の布石くらいにしたかったんだろうな。
ウィルフレッド様は目を丸くしているし、アベル様は静かに微笑みを浮かべたままだ。お断りだろうなー、これは。
…ちょっとリビーさんからの圧がすごい。
殺気抑えて!俺は小さく震えているロイさん(たぶん笑ってる)に、リビーさんをなんとかするよう目で合図する。
王女殿下は彼女の殺気にまったく気付いてないけど、護衛達は気付いて蒼白な顔で守りを固めようとしていた。王女殿下本人に「邪魔ですわ!」って蹴られてるけど。
「これ、なかなか美味しいですわね。帰ってからも食べたいですわ」
バクバクと菓子を頬張っては食べカスをぼろぼろ落としているロズリーヌ殿下に、俺の中のお姫様のイメージが瓦解しそう。
頑張れ俺。ジェニーを思い出そう。あー、天使。ウィルフレッド様、目は死んでるけど頑張って微笑んでるね。偉い。世間の荒波を越えるには諦めも大事だとお兄さんは思う。
「お気に召して頂けて光栄です。そちらは我が国でも有数の」
「これを売っている店を丸ごと買い上げてちょうだい。今日すぐによ。持って帰るの」
「姫様、それは…」
「何よ!文句でもあるの!?」
「ロズリーヌ殿下。」
従者を叩こうとした彼女を、アベル様が声で止める。
「我が国の民です。今日すぐにとは参りません。それほどにお気に召して頂けた事は光栄ですが、後日改めて、書状での交渉とさせて頂いてもよろしいでしょうか。」
「まぁ、まぁ。客人に対して渡せないなんて信じられないわ…。でも、そうね。王子様の言う事ですから、しばらく我慢して差し上げますわ。」
「…ご厚情に感謝を。」
絶対に思ってないでしょ、とわかる冷ややかさでアベル様が言う。部屋の温度が下がった気がするなぁ。窓が開いてるからかもしれないね、うん。
お付きの人達は早く帰りましょうって言ってるけど、王女殿下はこのテーブルのお菓子食べつくすまで帰らないっぽい。減らしておくべきだったな……。
お世辞にも綺麗とは言い難い空っぽのお皿が並んだところで、王女殿下はうっそりと立ち上がった。
彼女のスカートに乗っていた食べカスがぱらぱらと床やテーブルに散らばる。うわぁ。
「ごちそうさま。なかなか美味でしたわ!」
「お口に合ったようで何よりです。」
ウィルフレッド様がどこかほっとした様子なのは、これで終わるからだろう。俺も同意見です。
アベル様が速やかに立ち上がり、優雅に部屋の扉を示した。
「楽しい時間をありがとうございました。では…」
「わたくし、お庭を見てみた」
「姫様!急ぎませんと、お買い物がありますから!」
お付きの人達が即座に王女殿下を両脇から確保した。そのまま数人がかりで部屋から引きずり出していく。
たぶんアベル様の笑顔が消えた事に気付いたんだろう。すごく偉い。
「何をするんですの!無礼者!クビにしますわよ!!」
「皆さま、これにて姫様は失礼させて頂きます。その、後日書状にてお詫び申し上げます。では。」
従者がぺこぺこ謝ってから、叫び続ける王女殿下の方に駆けていった。
俺達の中に、見送りに出ようとする人はいない。
「……っ、うぇ」
我慢しきったサディアス君が、呻いて窓に駆け寄った。窓枠に手をついて外の空気を吸ってる。
お疲れ様、君はよく頑張ったよ。
「なんというか…強烈なお方だったな。」
ウィルフレッド様が深いため息を吐いた。アベル様がぐしゃりと黒髪を混ぜる。
「二度と会いたくない。」
「…帰り道にまた来たりして?」
軽口を叩いたらアベル様とサディアス君に睨まれてしまった。うーん、怖い。リビーさんがすすすとアベル様に近付き、控えめな声で聞いた。
「ご命令があれば、すぐに消しますが…」
「まだいい。」
「はっ。」
「ぶはっ。《まだ》って!ンッククク…」
ロイさんは相変わらず楽しそうだ。
俺はソファのひじ掛けに座って脚を組んだ。
「姫様ってのも色々いるんだね。似たようなご令嬢なら見た事あったけどさぁ。」
「うっ…あんな、いや、あのような女性が我が国にも?」
ウィルフレッド様が青ざめて聞いてくるものだから、ちょっと笑ってしまう。
「あそこまで強烈じゃないけど、まぁいますよ。」
「そうなのか…うーん、女性とは不思議だな。」
「よし、俺今日はシャロンちゃんに会ってから帰ろっかな。癒されたいし☆」
「え?」
「何?」
「は?」
ウィルフレッド様、アベル様、サディアス君から一斉に見られた。怖っ!




