54.出会いに感謝を!
待機していた騎士に馬を預け、私達はちょっとだけ歩いて広場に戻ってきた。
木陰のベンチに座っていた三人の中でレオが一番早くこちらに気付いて、大きく手を振ってくれる。カレンの膝のバスケットは空っぽだ。どうやらお花は売れたらしい。
ウィルの斜め後方、壁際で本を読んでいるのはヴィクターさん。
こちらに目を向けないようにしている様子なので、私も見なかった事にして三人のところへ駆け寄った。
ウィルがほっとした様子で私達を迎える。後光でも差しそうな微笑みが眩しいわ。
「戻ってきたんだな、無事でよかった。大丈夫だったか?」
「ハ、ぶっ飛ばしてやったに決まってンだろ。」
「ええ、身柄は騎士様に引き渡しました。」
ニイと笑うダンの後ろにはもう、メリルの姿がない。それとなく離れていったようだ。
「君達が無事でよかった、ルイス。」
「ア……彼が一緒でしたし、ダンも来てくれましたからね。」
うっかり名を呼びそうになりつつも私が微笑み返すと、アベルを見やったウィルは少し眉根を寄せた。
「まったくお前ときたら!いきなり飛び出していくから心配したんだぞ。」
「ごめんね、つい。」
「ついじゃないだろう、馬が来た時だって俺と彼女の前に出て。どうする気だったんだ。」
「そうだね、前脚をはらって脇へ流す気だったかな。」
「…お前ならできかねないけれども!」
クドクドとお説教を始めたウィルを、私はまじまじと眺めてしまう。
眉間に皺が寄っているけれど、青い瞳にあるのは心配であって嫌悪や忌避ではない。
真っ直ぐにアベルを見て、言いたい事を言って、アベルも素直に頷いている。というかむしろ、ちょっと嬉しそうね。
――そういえば、二人が揃っているのを見るのは久し振りだった。
いつの間にか、随分関係が改善されているみたい。
あの事件のせいなのか、何か他にもあったのかはわからないけれど。胸の奥がじんわりと暖かくなって、私は自然と目尻が下がった。
「おいルイス、金髪のガキってもしかしなくてももう片方か?」
「そうですよ。僕とは昔から交流があるんです。」
「ジジイから聞いてんよ。なんだ、兄貴の方がよっぽどガキくせーんだな。」
そうかしら?
ダンの言葉に首を傾げていると、レオが私の前でひらひらと手を振った。
「わりー、紹介いい?」
「あ、っと、もももちろん!」
誰を紹介するのか察して一気に緊張してしまった。
抱えていたバスケットをベンチに置いて、カレンが……あの、カレン・フルードが。不安げに揺れる赤い瞳で、私を見上げている。
「お前達が戻ってくるまで喋ってたんだ。な!」
「は、はい…。私、カレン・フルードと言います。」
ひぇえ、可愛い……。
口元を手で覆いたい衝動に駆られたけれど、なんとか堪えた。
「よ…よよ、よろしくね……シャロんぐっ!」
「危ない!」
横からどつかれてよろめいた私を、ウィルが助けてくれる。
代わりにカレンの正面に出たダンが、無愛想に彼女を見下ろした。
「ダン・ラドフォードだ。」
「よ、よろしくお願いします……。」
「ダン!怖がってるでしょう!」
「てめぇの挨拶が遅ぇんだよ、ルイス。」
うっ、と言葉に詰まる。
ダンは私が本名で名乗りかけたから邪魔してくれたのだ。
どうせ学園でバレてしまうけれど、通行人も多い今は、念のために偽名で通すしかない。
ウィルにありがとうとお礼を言ってから、私は改めてカレンの前に立った。
あーっ、可愛い!白い毛並みと赤い瞳を持つウサギのよう!いえハムスターもありね!なんて可愛いのかしら!うう、なんという、なんという事なの…!心臓が握り潰されてしまいそう!
目の前の存在のあまりの尊さに耐えきれず、私は跪いて手を伸べた。周りから「は?」と声が上がる。
「ルイスと申します。カレン、貴女に逢えた幸福に最上の感謝を。新雪のような純白の髪、宝石すら見劣りするであろう赤い瞳、儚いようでありながら、心に確かな芯を持つ麗しの貴女。もし許されるのならば、僕を貴女の友人の一人にして頂けませんか。」
頬を紅潮させ、溢れる感動に思わず涙が浮かび、眉尻を下げた私は明らかな懇願の顔をしていただろう。
カレンはとても驚いた様子で、けれど私から目をそらせないみたいだった。
徐々に彼女の頬の赤みが増し、そして、ポッと耳まで赤くなる。
「は、はい…私で、よけれ、ば。」
震えながら重ねられた手を、私は微笑みと共にそっと握って立ち上がった。
ちょっとだけ早いけれど……お友達だわ。あの、カレンと。
「ありがとうございます。嬉しいです、とても…」
「る、ルイスさん……」
熱く潤んだ瞳で私をじっと見つめてくれるカレンの後ろに、お花の幻覚すら見えてしまいそう。
ここは乙女ゲームの世界であって、少女漫画の世界ではないのに。
「呼び捨てで構いません。どうか、ルイスと。」
「ルイス…」
「えぇ!」
ズビシッ。
「どんなキャラだよ。」
ダンが真顔で手刀を叩きこんできた。
痛いほどではないけれど、突然何かしら!?びっくりして思わずカレンの手を離してしまった。目を丸くしてダンを振り返る。
「な…何をするんですか、ダン。」
「いや…え?俺が怒られるのか?止めてやったんじゃね?」
「素晴らしい出会いに感謝していただけですよ。ね、皆さん。」
同意を求めるべく、私はくるりと皆の顔を見回してみたのだけれど。
「うん…?えっと、なんだろうな…?悪ぃ、俺なんて言ったらいいかわかんねぇや……」
ぐんにゃりと眉を八の字に曲げ、申し訳なさそうに苦い顔をしているレオ。
「……あっ、そ、そうだね?うん。友達が増えるのは…いい事だと思う。」
少し頬を赤らめて視線を彷徨わせているウィル。さてはカレンに見惚れていたわね。
「…………。」
アベルはなぜか、目を閉じてこめかみを押さえていた。
…なんですか?その反応は。
「オイ弟。なんとかしろ」
どうしてか、ダンが私をアベルの方へ軽くどつく。この人は本当にうちの使用人なのかしら。おまけにアベルを弟呼びするとは、さすがに後で注意しないと…。
アベルは眉間に皺を寄せて顔を上げると、ため息を吐いて私の手首を掴んだ。
「…ちょっと来て。」
「えっ。」
何がなんだかわからないままついていく後ろから、「いつもはああじゃないんだ」「ちょっと落ち着かせてくるから」とかなんとか聞こえてくる。
感激をそのまま言葉に出したのが、そんなにまずかったのかしら…。
建物同士の隙間にできた、大人二人分くらいの幅の小道に来て、アベルは手を離した。
首を傾げる私の顔をじっと見て、困ったように眉を顰めている。
「さっきの、何?」
「さっきのとは…」
「チェスターの真似事?」
「まさか!お世辞じゃなくて本心だわ。カレンは本当に良い子な……良い子だと思う。そう、それこそ誰もが好きになってしまうくらいに。」
暗にチェスターのセリフはお世辞と断じてしまったけれど、いったん見逃してほしい。
つい目をきらきらさせてカレンを語る私を、アベルは「どうしたものか」と言いたげな苦い顔で見ている。何かしら、その目は。初めて見るかもしれない。
「あ…」
貴方だって、彼女に惹かれるはず。
そう言いかけて、やめた。それはさすがに言って良い事ではないし、それに……それに?
続く言葉がスルリと浮かばない。
自分はいったい何を思ったのかと小さな疑問ができてしまったけれど、どの道言うのはやめたのだから関係ないわと切り捨てた。
「…会えた喜びを語っただけ、なのだけれど。」
「シャロン。」
「はい」
敢えて呼んだ様子だったので、私も姿勢を正し改まって彼を見る。
建物の影で少し暗がりになった中で、真剣な金色の瞳に貫かれた。少しだけ息が詰まる。
「さっきの君と同じ事を、僕が初対面の男にしたらどう思う?」
はい?
私は、自分が真顔になるのを感じた。
「………正気を疑うわ。」
「そういう事だ。わかったね」
「はい。ごめんなさい」
素直に謝った。
顔を赤くして初対面の男性に跪いて褒め称えるアベル…?なんて姿を想像させるの、やめて頂きたい。――って、私はそれを実践したわけね。
本当にごめんなさい。それは皆呆気にとられるわけだわ。反省しましょう…。
本当はまったく初対面じゃないけれど、それは誰にも言えないのだから。
踵を返そうとしたアベルが、ぴたりと止まる。
なんだか今日は彼から色々と注意されている気がするわ。私に非があるのだけれど。
シュンとしつつ、まだ何かあるのかしらと見上げると、気まずそうに目をそらされた。
「……一つ、聞いておきたいんだけど。」
「何かしら。」
「君……女性が好きとか言い出さないよね。」
「はい?」
つい素っ頓狂な声で聞き返してしまった。アベルの片眉が不快そうにぴくりと動く。
「君の言動がおかしいせいでしょ。」
「あ、そう、ね…?」
「それで、どうなの。」
どうと言われましても。
男性が好きですと言うのは憚られるので、ちょっとだけ言葉を選ぶ。
「将来、好きな男性と結婚できたらいいなとは、思っているわ。」
「……そう。ならいい」
公爵家である以上、好きになった相手によっては大変かもしれないけれど。
でも、まだまだ先の話ね。隣国に嫁ぐ途中で殺されてしまう私だけど、今は目先のバッドエンド回避で忙し…
――あら?もしかして、それまでに国内で婚約すれば、私は助かるのでは。
「君なら大丈夫でしょ。誰も文句は言わないよ」
「…ありがとう、アベル。そうだと嬉しいわ。」
歩き出した彼に置いて行かれないよう続きながら、私は微笑んだ。
こんな確認をされるなんて、余程さっきの私の熱量がすごかったのね。不良少年に貶されているのを見た後だし、とにかく貴女は素敵だと伝えたかったのだけれど…カレンに引かれていないか心配だわ。
戻って来た私を見て、なんだかウィルやレオはほっとした様子だ。ダンは呆れ顔だけれど。カレンはポポッと頬を赤くしていて可愛らしい。ウィルが側にいて照れてしまったのかしら。
紹介が最後になったアベルの肩に軽く手を置いて、ウィルがカレンに笑いかける。
「カレン、遅くなったけど、俺の弟だ。」
「…アンソニー・ノーサム。よろしく」
「は、はいっ。よろしくお願いします。」
ぺこりと頭を下げる可愛いカレンの周りで、「そんな名前なのか」とレオとダンが目を丸くしている。二人とも顔に出過ぎだと思うわ。
そうすると、ウィルはバーナビー・ノーサムという事でいいのかしら?
ダンが少し背を丸め、ぼそりと囁いた。
「いったん買い出し済ませてくる。アレもいるからいいだろ」
アレとは、もしかしなくてもヴィクターさんの事ね。
わかってしまうあたり、私もすっかりダンに慣れてしまったみたい。ランドルフが聞いたら怒るわねと思って、小さく笑う。
「わかりました。この広場で待っていますね」
「おう」
ひらりと手を振って去っていくダンを見送る。
カレン達と別れてから一緒に行こうと思っていたけれど、ヴィクターさんがいらっしゃるうちに護衛から外れて済ませるとは、なるほどちゃっかりしているわね。一人で動けるから自由度も広がるし。
私は隣に立つレオを見上げた。すぐに琥珀色の瞳がこちらを見つめ返してくれる。
「うん?どうしたんだ。」
「レオ、ありがとうございます。貴方のお陰で彼女に会えました。」
カレンには届かないようにこっそりと囁いた。最初から探していたなんて知られたら驚かせてしまう。レオはニカッと笑って頭の後ろで手を組んだ。
「礼なんていーって。俺も友達が増えて嬉しいしな!あいつらがまた来たりしないか、ちょいちょい様子見に来るよ。」
「本当に?とても助かります。心配していたのですが、僕はなかなか来られないですから。」
きっとあの大柄な少年はもう顔を出せない状況になると思うけれど、取り巻きの少年達がどうかはわからない。レオの申し出にほっと安堵の息を吐いた。
「なんかあったらシャ…ルイスにもちゃんと言うからな!」
「ありがとうございます。僕、シャルイスに改名しようかな?」
「ご、ごめんって。」
「ふふ」
つい微笑みをこぼすと、レオは「まいったな」と目をそらした。頬を少し赤らめた彼の視線の先にはカレン。
攻略対象じゃないレオまでこうなってしまうのだから、やはりあの可愛らしさは万人共通なのではないかしら。
発覚イベントで会うのは本来ウィルだけで、会話もそこそこに立ち去ってしまうはずだったけれど……攻略対象であるアベルも、サブキャラである私とレオも、そしてゲームにはいなかったダンも、今日彼女と知り合う事になった。
これはどんな未来に繋がっているのだろう。




