53.距離感というもの
「私、邪魔かしら?」
「まぁ、割と。」
足を止めた馬の上、辛辣に事実を告げたアベルは私に手綱を押し付ける。
声に余裕があるから、きっと彼には勝利する未来しか見えていないのでしょう。どうやって勝つ気なのか知らない私は結構、ドキドキしているのだけれど。
なんて思う内に、剣を抜いたアベルはもう片方の手を私の前に差し出す。預かっていた手綱を返すと、彼は器用にも片手のまま軽く束ねて短くし、ぐいと引いた。
馬が駆け始める。
「屈んでてくれる」
「はいっ!」
私に拒否権などあろうはずもないし、腰にさげた木剣を振り回して参戦するなんて馬鹿な真似もしない。アベルに任せた方が良いという事は百も承知だ。
情けない格好ではあるけれど、私は掴まるための出っ張りに縋りつくようにして身を縮めた。
馬のスピードが上がる。
子供相手と油断しているのか、前方から男達の笑い声が聞こえる。
「っ!」
アベルが何かに気付いたように息を漏らし、方向転換した。
「ッらぁぁああ!!」
どこかで聞いた声が斜め後方あたりから飛んできて、
「何だありゃ!?」
「おい!止ま――ぎゃあ!」
「ぶっ飛べ!!」
咆哮のような叫び声の直後、鈍い音がして強い風が吹き荒れた。
「なっ、何!?」
「顔上げていいよ。」
アベルにそう言われて、おそるおそる姿勢を戻してみる。
私達が乗った馬はスピードを落としており、トコトコと緩やかに進行方向を騒ぎの中心へ向けた。
焦ったように小走りで逃げる馬達には誰も乗っていなくて、地面には剣と持ち主がバラバラに落ちていた。
男の片方はなぜか、右腕をバタバタと地面に叩きつけて悶えている。
そして、
「ダン!メリル!」
「ルイス様っ!」
ダンに抱えられていたらしいメリルが、地面に下りてこちらへ走り始める。
手を振ろうと少し前のめりになった私の肩をアベルがぐいと引き戻して、私は再び彼の胸にとんとおさまった。
どうしたのかと振り返るより早く、真剣な声で囁かれる。
「大声で復唱。宣言、水よ消せ。はい」
「え?…っと、宣言、水よ消せ!」
ばしゃん!
何も無い右腕を地面にこすりつけていた男へと、水が降り注いだ。ずぶ濡れだ。
メリルが音のした方を振り返って足を止める。息切れしているらしい男は、疲れ切った様子でべしゃりと倒れ伏した。
「あぁ…そうでした。ありがとうございます、ルイス様。」
「彼女、《色彩変化》だね?」
耳元でアベルが囁く。
再び歩き出そうとしたメリルは、私達を見てなぜかビタリと止まった。今のセリフが聞こえたわけはないと思うのだけれど。
目を丸くする彼女を不思議に思いながら「えぇ」と返せば、アベルが答えを教えてくれた。
「透明な火で剣を取り落とさせた。《色彩変化》では最上級レベルだ」
「透明…!?」
そんな事ができるなんて。
口を押えてこちらを見つめるメリルを、私はまじまじと見つめ返した。見えない炎なんて避けようがないし、ほとんど最強ではないかしら?
少し離れたところでは、ダンが燃えなかった方の男に関節技を決めている。そんなものいつの間に習得したのだろう…。
ふと笑ったアベルの吐息が少し耳にかかって、くすぐったい。
「さすがはアーチャー公爵家長女の専属、といったところだね。」
「ふふ。そうね、メリルは自慢の…」
「そっ、そろそろ離れてくださいッ!ルイス様にはまだ早いですから!!」
なぜかメリルの頬が赤い。
何が早いのかわからないけれど、子供扱いの一つのような気がした。
「さて。」
仕切り直すように呟いたアベルの前には、武器を奪われた男二人が座らされている。
彼らの視界の外、背中側にはメリルとダンが立ち、その後ろに私がいた。
「誰を狙ったのかな?」
子供からの問いであり、アベルが腰に佩いた剣の鍔には、布が巻かれている。王族にだけ許された星の意匠は隠れているけれど、男達がアベルを見くびる事はもうなかった。
助けが入る前の自分一人で倒すとでもいう態度、落ち着いた様子、メリルでもダンでもなく彼が仕切っている事で、高位の子息だとは察しているのだろう。
「お、俺らは依頼されただけだよ!」
「そうだ、別にただ…ちょっと脅かしてやれって言われただけで。」
「うん。誰を?」
「あんたと、さっき一緒にいたもう一人だ!」
その言葉に、メリルがピリ、と緊張感を滲ませた。
ウィルとアベルを、王子を狙ったという事?正体は知らない様子なのに?……脅かしてやれとは、どういうつもりの依頼なのかしら。
「花売りのガキの前で、尻餅でもつかせてやれって。」
「はァ?」
何考えてんだとばかりにダンが聞き返した。
私とメリルは顔を見合わせ、アベルはため息を吐く。
「……くだらない。」
「俺らだってこんな事になると思わなかった!!」
男が叫ぶ。
いわく、別に怪我をさせるつもりもなかったし、子供をちょっと脅かしてやるだけで金が手に入る、楽な仕事だと思って引き受けたのだと。
それが蓋を開けてみれば花売りは魔力持ち、通行人に仲間が取り押さえられ、ついてきた子供を振り切ろうにも、追いつかれるのは時間の問題で。
こうなったら馬から叩き落としてやれと思ったら、問答無用で叩き落とされたのは自分達の方だった、と。
その程度の依頼、もちろん雇い主を吐くのに一秒たりとも必要なかった。
カレンをいびっていた少年達のリーダー、アベルに転ばされていた大柄な少年だった。
誰を相手にしたかは知らないままかもしれないけれど、彼の両親は今夜にでも血の気が引く思いをする事だろう。
ヴィクターさんが手配してくれたらしい増援の騎士に男達を預けて、私達は引き返した。
私とメリルは馬術ができないのでどうするか迷ったのも一瞬のこと、身長差を考えればダンとメリル、アベルと私という組み合わせしかない。
「失礼ながら、お伺いしてもよろしいでしょうか。」
道行く人を安全に避けられる程度の速さで進んでいると、メリルが聞いた。アベルが先を促す。
「なぜ、騎士様に任されなかったのですか。」
逃げる二人に対して、魔法を使おうとしたヴィクターさんを止めてまで、アベルは自分で追いかけた。
止めなければ、そのまま広場で三人とも捕えられていたかもしれないのに。
「場合によっては、街中でやりづらい事をするかもしれないと思ってね。あの目立ち方ではそれなりに野次馬がついてきただろうから。」
アベルはそんな風に答えた。
後ろにいる彼の顔は見えないけれど、メリルは少し眉根を寄せている。
「それは、ルイス様の前でやりづらくはないのですか。」
「!ぼ、僕が強引に同行を頼んだんです。彼は悪くない」
連れて行くなという言葉裏が聞こえた気がして、私は慌ててメリルに言った。
自分から近付いたところは見ていたはずだけれど、メリルとしては、そこは拒絶して置いていくべきという意見のようだった。
……正直、正論である。
「本気ならやりづらい。ただ、あれらはそこまで耐えるようには見えなかったでしょ。」
「…それは、そうですが。」
二人の会話から察するに恐らく、尋問を私の前でしていいか、という事かしら。
それくらいでは怖気づかな――…もしかして、尋問というか、拷問の話?
「最悪は、そうだな。目を閉じて耳を塞いでおくように言ったかもしれない。」
拷問の話だったわ。
「んなもんソイツがちゃんと聞くのかよ。」
「さ、さすがに聞きます。」
ぜひ拷問を見学させてください、なんて言う令嬢ではないつもりだ。
私をソイツ呼ばわりしたせいだろう、メリルはこちらに対して心配そうな顔をしつつも、ダンに一発肘を入れた。
「とにかく、ついて行くと我儘を言ったのは僕ですから。」
「ルイス様……」
「許可した僕に責があるというのは、間違っていないと思うけどね。」
「ちょっと、まとめようとしているのですから――…」
振り返りかけて、私は静止した。
思っていたより近いわ!?
すぐ傍というか、真後ろというか、いえそれは当たり前なのよ。だって私の背中が彼の胸にぴったりくっついていたのだから、それは、振り返ろうとしたらすぐそこに顔があるに決まっている。
「なに?」
「なんでもないです」
顔が赤くなるのを自覚して、私は速やかに前を向いた。
メリルが「シャ…ルイス様…」と呟く声と、ダンが吹き出した後、大笑いしかける声と短い苦悶の声が聞こえてくる。また肘を食らったのかもしれない。
あら?おかしいわね。アベルの馬に乗せてもらうのは初めてじゃないし、このぴったりくっついた状態だって、最初こそちょっぴり恥ずかしかったものの、さっきまでは全く気にしていなかったのに。
どうしてかしらね、なんて適当に心で呟くと、今しがた見た光景が頭に浮かぶ。
少し癖のある柔らかな黒髪、冷静であまり動きのない眉、意志の強い切れ長の目と、その中に煌めく金色の瞳――今更なんだと言われそうだけれど、でも、見慣れてきたとしても、不意打ちであれほどの至近距離はちょっと心臓にこたえるわ!
しかも驚いた様子も嫌がる素振りもなく堂々と見つめ返してくるのだから、タチが悪い。……いえ、私が振り返ったのだから、悪いなんて言ってはいけないかもしれないけれど。
体の両脇にある、手綱を握る彼の腕を視界に入れておく事すら気恥ずかしくて。
私は懸命に前方の空を見つめようと、
「なんだァその体たらく?この前は部屋に男連れ込んで、鍵まで掛けてたじゃねぇか。」
「え?」
にやにやと楽しそうに笑うダンに、何の話かしらと首を傾げる。
メリルが零れ落ちそうなほど目を見開いているわね。私もびっくりだわ。数秒考えて、思い当たった。
「…あぁ、今日の事でレオに相談した時でしょうか?」
「か、鍵を掛けたのですか?内緒話と思って追いはしませんでしたが…」
メリルが口元に添えた手がわなわなと震えているのを見て、私はようやく失態に気付いた。
「うっ……い、言われてみれば良くない事ですよね。内密に相談しなくてはと思って、つい…」
「駄目です、男性とは皆ケモノですから。密室は駄目です。」
メリル。そのセリフは、男性二人が一緒の時でないと駄目だったかしら?なんだか気まずいのだけれど…。
「う~ん……でも、レオですよ?屋敷内での事ですし…」
「おっしゃりたい事はわかりますが、駄目です。」
「はい……ごめんなさい。」
私はシュンと項垂れて謝った。
身内しかいない場所でも、子供同士でも、お友達でも、駄目なのだ。
アベルをじろじろ見ていたらしいダンが、つまらなさそうに舌打ちした。
「ンだよ、無反応か。つまんねェ」
それはそうでしょうとも。
アベルからしたら、呆れるか無関心の二択だと思うわ。
「やりそうな事ではあるからね。」
「そ、そうかし…そうですかね?」
「君は躊躇いなく人の手をとるし、距離感は近い方だよ。入学までに見直した方がいい。厄介ごとが増える。」
グサッ!
見直した方がいいとまで言われてしまったわ!?…というか、躊躇いなく手をとってくれるのは、貴方の方ではないかしら。
「メリルは…どう思いますか?」
「ルイス様は、お願い事があったり、感動した時、励ます時などに、手をとるクセがございます。」
「……心当たりが、ありますね……。」
確かにその通りだった。
なるほど、躊躇いなく人の手をとるとは、そういう。夢中になっているとつい力が入ってしまうのよね。
「まだ未成年だしマナー違反とは言わないけど、誰彼構わずだと、勘違いする輩は出るだろうね。」
「そう…ですね。誰彼構わずのつもりは、ないのですけれど……。」
「…正式発表がまだとはいえ、控えた方がいい。」
アベルが呟いた言葉に疑問符を浮かべる。発表とは何の事だろうか。
聞き返すべく口を開いた時、ダンが笑いながら言った。
「男を振り回してるおじょ…ルイスも面白ぇから、いーんじゃねぇの?さすがに、夜のベッドに男を連れ込んだとかじゃなけりゃなァ?」
「ッ、こふっ!」
私が噎せる横で、メリルが無言でダンに肘鉄をお見舞いした。
『アベル、こちらへ降りてこない?』
――だ、大丈夫、部屋に入ってないし、その。
あぁ、こんな時も平然と無反応でいられるアベルが羨ましい。
――ベッド脇に呼んだだけだから!
とても口に出しては言えない言葉を心の中で叫びながら、私は必死で呼吸を整えるのだった。




