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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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522/522

520.どうせ生きるなら



 アベルは困っていた。


 ジークハルトからバルコニーへ誘われ、シャロンの耳に入れない方が良い話だろうと出てきたまではよかった。身を隠していたリビーは屋根上かどこかへ退避しただろうから、それも問題ない。

 しかし話の内容は予想外だった。


「――そこから急に出血がひどくなってな。妃は『自分はいいから子を』と言い、医師達も最初からそうしていた。当然治癒の魔法も使われたが、結局どちらも呆気なく死んだ。」


 手すりに軽く寄り掛かり、帝国の皇子は自らが見たものを語っている。

 彼には六人の妹と、既に殺された五人の弟がいたが、名を得るより先に死んだ者も多かったという話だ。妊娠中に体調を崩して流れた者、精神不安になり自ら命を終えた妃、仮に出産まで辿り着いても母子共に健康でいられるかは不確定であること。


 ――……なぜ、それを俺に聞かせる。


 黙って話を聞きながら、アベルはジークハルトの意図がわからない。

 皇帝は基本的に一夫多妻だという話から、一人でいくらでも産めるのかという点にも触れていたのは確かだ。「現実的ではない」と言ったジークハルトが、その根拠として自分が見聞きした事実を持っていたのもわかる。


 しかし、なぜアベルに聞かせるのか。

 食事の場で、そして女性であるシャロンの前で話すべきではない事も理解できる。ジークハルトにその配慮をする心があってよかったとアベルは思っているが、なぜという疑問は消えなかった。

 単に品のない話であれば、さっさと切り捨てるなりできたというのに。


「くく、親父殿は遺体を見にもこなかった。孕んだ後も夜だけ通うほどだったくせにな。」

「……出産の場に居た口ぶりだけど、よくその許可が下りたね。」

「俺の母の傘下にあたる家の妃であればな。なに、強引な事はしていない。他の妃から殺されかねない事を考えれば、むしろ俺がいる方が安心して産めると言っていたほどだ。」

「なるほどね。」

 普段は妃自身も気を張れていても、出産の場となれば警戒するにも逃げるにも限度がある。

 とはいえジークハルトが守ってやれるのはあくまで、外敵からの攻撃だ。出産そのものにまつわる危険から救ってやる事はできない。


「総括すると、妊娠も出産も大層危険が伴うという事だと思うけど。こちらへ移動してまで、なぜ僕にその話を?」

「書面からの知識より、見聞きした者が言う事の方が臨場感があるだろう?いずれお前も子を成すのだから、危険は承知の上で作れよという話だ。」

「予定は全くないんだけどね。」

「くはっ、馬鹿を言うな。」

 さらりと返したアベルを見て、ジークハルトは可笑しそうに肩を揺らす。

 知らずにいざ妻が苦しむ様子を見たら、この男はさぞ取り乱すだろうにと考えて。


「お前の子が残されないのは、ツイーディアにとって痛手だと思うが。」

 本心なのだろうジークハルトの言葉を聞いても、アベルは僅かに首を傾げてみせるだけだ。

 双子の兄であるウィルフレッドと、その妻に相応しいシャロン。未来にはその二人の子が存在するのだから、欠陥品(アベル)の子などいなくて構わない。


『僕のような不出来の血を残してどうする?子がまた憑かれたら国が荒れる。』

『それは遺伝するものではないし、憑かれたのはおぬしのせいではない。』


 エリとそんな会話をした事を思い出したが、「だとしても」だった。

 アベルはウィルフレッドとシャロンが彼ららしく幸せに生きられるならそれでいいのであって、自分の隣に誰か女性を置きたいとは全く思わない。居てほしいとも思わない。

 必要がないから――とはいえ。


「一応は王子だからね。義務的に、政略結婚はありえるのかもしれないけど。」

 婚姻という契約をしてまで王家が必死に縛りたがる家など、現状アベルには思いつかなかった。

 ツイーディアにおいて、星々たる王家の地位は安定している。反旗を翻したいのならまず五公爵家を取り込むか担がなければならないが、それをできる者がいないのだ。


 もしアベルが結婚するなら侯爵家か伯爵家の中で、変わらぬ関係を対外に改めて示しておく必要があれば、といったところか。

 強制されてまでとなればまず無いし、アベルに子を作る気がないので要交渉だろう。相手側が偶然子を成せない体だとか、そういった理由があれば違うかもしれないが。


「まぁ、いずれシャロンが苦痛を味わう事だけは確かだろう?」


 瞬いて、アベルは横目でジークハルトを見やった。

 それはその通りだ。


「さすがに俺はこの国におらんだろうからな。お前らが気にかけておけ」

「……わかってる。君に頼まれるまでもない」

 ジークハルトのように目視できる位置にいられるのは、夫であるウィルフレッドだけだろう。

 ただの義弟であるアベルにはせいぜい、当日まで励ましたり、危険から守ってやるくらいしかできないに違いない――。


 いつか出産でシャロンが命を落としたら、ウィルフレッドの絶望はどれほどのものか。なんと声をかけたらいいのか、まったくわからない。

 少し血の気が引く思いがして、アベルは無意識に室内へ目を移していた。当然ながら元気そうだ。

 ふと「何年先の話をしているんだ」と気付き、心の中で小さく舌打ちする。


「…そういった話をするには、随分気が早いと思うけどね。」

「ふはは、まぁよかろう?次に俺がいつお前達と話せるかわからんのだからな。それにこの国は魔法が発達しているからこそ、《治癒でどうにかなるだろう》と思っている連中が多い。現実は想像ほど容易くないものだ」

 戦場を経験したジークハルトだからこそ、その言葉には真実味があった。

 致命傷を受けた者、毒に侵された者、病にかかった者。治癒の魔法で助けられない事例は山ほどある。


「それはわかるが……こんな話をしていると知れたら、彼女からすると気持ち悪いんじゃない。」

「だから場所を変えてやったろうが。」

「もう終わりにしようと言ってるんだよ。」

「いいのか?お前が手を出す時のために、次は閨事(ねやごと)の注意点でも」

「終わるぞ。」

義兄(あに)としての助言だろうが。そう怒るな」

 アベルが一歩進めば、室内に待機しているロイがすぐさまこちらを見た。

 聞けばよかったと後悔しても知らんぞと笑う声を背に、開いたガラス戸から中へ戻る。シャロンはルトガーと問題なく食事を進めていたようだ。


 にこりと微笑んだ彼女の瞳が「何の話だったのかしら」と聞きたそうにしているけれど、言えるはずもない。

 目をそらし、緊張した面持ちのジャックに「大した事ではない」と目線で伝えた。


「有意義な話ができたな、アベル。」

 適当な事を言うジークハルトの後ろで、ロイが静かにガラス戸を閉める。こちらも好奇心旺盛な面持ちだが、教えてやる気にならないアベルは黙って席についた。

 アベルからジークハルトへ目を移し、ルトガーが口を開く。


「何についてのお話だったのです?」

「お前の師についてだ、シャロン。」

「ホワイト先生の?」

 一瞬「死について」と聞こえたアベルはジークハルトを見やったが、聞き返したシャロンに対して彼があっさり頷いたので、何も言わないままカトラリーを手に取った。


「植物や薬について学んでいると聞いたが。」

「ええ。知識が豊富でわかりやすく、何を聞いても答えや探り方を教えてくださるので…とてもためになっています。」

「らしいな。しかし、お前があの男から学べるのはそれだけではあるまい。」

「と、言いますと……もしや」

「勿体ないだろう、あれの下についておきながら。」

「彼の役目じゃない。」

 アベルがぴしゃりと言った。

 ホワイト先生ことルーク・マリガンは歴代の《薬学》《植物学》担当と比べて剣闘に長けているが、それは《剣術》《体術》や《格闘術》の教師が教えればいい事だ。

 ジークハルトは意外そうな顔でアベルを見た。


「反対なのか?お前が直接教えるなら、それでも構わんと思うが。」

「…君が気に掛ける事でもない。ジーク」

 隣から期待の眼差しが注がれている事には気付いたが、アベルは遠回しに否定する。確かにシャロンは喜びそうだが、この場で安易に引き受けるわけにはいかない。


「ふむ……では帝国(うち)に来るか?シャロン。俺が手ほどきしてやろう」


 アベル、ルトガー、ジャックの三人が一斉にジークハルトを見た。

 シャロンは朗らかにくすりと笑う。


「ふふ、ご冗談を。殿下はお忙しいでしょうし、今貴国へ行けると言うほど自信過剰ではありません。…むしろ、滞在を延ばされますか?」

「くはっ!はははは、遠慮しておこう。あまり長居すると、向こうで暴れる者がいるのでな。」

 シャロンと笑い合うジークハルトの隣で、ルトガーは額に滲んだ冷や汗をそっとハンカチで拭った。

 二人の間では最初から完全な冗談だったようだが、第二王子やジャック・ライルは僅かにでも疑ったはずだ。現に、第二王子の眉間には少し皺が寄っている。


 ――しかしその歳で、おまけに女の身でジークとそんな軽口を交わせるとは。大したものだ、まったく……。


 かつり、ジークハルトのフォークが肉を貫通して皿を叩いた。

 ひどく機嫌が良さそうな顔で、ルトガーの主君は口を開く。


「毒のない食事、襲撃されない時間。平穏も悪くはないが、これが延々と続くのも退屈だ。」


 彼にツイーディア王国での暮らしは合わない。

 たまにこうして遊びに来る程度なら、楽しめるだろうけれど。

 口へ運んだものを咀嚼して飲み込み、ジークハルトはぺろりと唇を舐める。


「時間は決めていないが、明日適当に帰らせてもらう。お前達と挨拶する隙があるかはわからん」

「気まぐれな。…まぁ、対応しよう。そうなるとは思っていたからね」

 アベルはちらと視線を投げて言い、その先のジャックがしっかりと頷いた。手配は問題ない。


 次に会うのが来年か、再来年か、それより後か、今は誰にもわからない。

 それまでに彼が成すだろう事を思い、シャロンはカトラリーを置いて静かにジークハルトを見据えた。


「ご無事を――…いえ、殿下の勝利を。祈っております」


 シャロンの瞳を数秒見つめ、ジークハルトはにやりと笑った。

 彼女が言いたいのはもちろん戦の勝利ではなく、皇帝との戦いのみにおける勝利だ。殺して勝つか、殺されて負けるか、敗者として折られて従うか。


 アクレイギア帝国の国花はオダマキ。紫色のそれは「勝利」を示すがゆえに、帝国において紫は縁起の良い色とされている。


「俺は自分がやりたいようにやるだけだが、くく。恐らくお前が望む通りになるな。」


 フォークを皿にからんと置いて、白い瞳がアベルを見やった。

 金色の中には疑問が混ざっている。ジークハルトが己の死すら絡む話を軽い調子で言っているせいか。あるいは、本当に勝てるのかと疑っているのか。


「誰しもいずれ終える命だ。なら、その時己が納得できるかどうかだろう?」


 だからこそと、ジークハルトは緩く笑って彼女を見る。

 澄んだ薄紫色の彼女を。


「どうせ生きるなら満足して死ね。シャロン」




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